母の涙が問うもの~宇和島・6歳双子金網監禁事件~
法廷にて
「私、前に自分一人で解決しないといけないと思い込んでしまって、失敗したことがあるんです。だから今度は、ちゃんと相談しようと思っていました。」
松山地方裁判所宇和島支部第一号法廷。
証言台に座る女の無造作に束ねた髪には、その年齢にそぐわない白髪がのぞいていた。
被告人席には、夫の姿。両脇を屈強な刑務官が固める。その傍らに、女性職員の姿。
この事件の被告は、夫婦だった。
女は時折涙をぬぐい、自己の罪をかみしめるように、言葉を紡いだ。
「最後に何か言いたいことはありますか。」
促された夫は、
「そうですね、こんな事件起こしてしまって、Aくん、Bくんはじめ上の子3人、会社や周囲に大変な迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした。」
と少し早口に証言を終えた。
続いて、妻の番。しかし、妻は顔を上げ前を向いてこう言った。
「特に、ないです。」
事件
令和3年5月27日、愛媛県警宇和島署は6歳の双子の男児を押し入れに監禁したとして、父親で会社員・安野健司(仮名/当時46歳)と、母親で無職の千佳(仮名/当時39歳)を逮捕、松山地裁宇和島支部に送検した。
安野家には双子の男児以外に、上に3人の子供がおり、当時7人家族だった。
双子は低体重で療育に通っており、実は以前から家庭の問題は懸念材料となっていた。が、両親の前向きな姿勢も見られたことから一時保護などには至っていなかったという。
しかし2月、双子に重度のしもやけがあることや、一人の体に側弯の症状が認められたこと、自分でしっかり座れないなどの症状から、児相(南予子ども・女性支援センター)は一時保護に踏み切る。
加えて、子供たちの聞き取りからどうやら双子が食事の回数が著しく少ないことや、押し入れの上下に「監禁」されているという疑いもあった。
自宅を確認したところ、なんと押し入れのふすまの代わりに、木枠に金網が張られたものがはめ込まれており、しかもそれを外せないように木材でつっかえ棒までしてあったという。
両親はその押し入れに双子を監禁していたことを認めたため、双子以外の3人の子供もそのまま保護となった。
家族が転居してくる前の自治体でもネグレクトなどの疑いがある要注意家族だったこと、金網を張った押し入れといった衝撃的な事実が報じられた一方、児相や行政が機能したケースにも見えたため、子供たちの命に別条がなかったことなどとあわせて安堵の声もあった。私もそう思った。
子供たちを飢えさせ、挙句その身体的自由を奪い命の危険にさらしたこの両親はどういった人間なのか。
また、両親の年齢がある程度いっていることや、若い夫婦や内縁の夫らによる感情的な暴力とも違うことで、余計に闇が深い気がしていた。
それを知るために、私は7月27日、実家にほど近い宇和島市へ赴いた。
しかし法廷で語られた事実は、関係機関がその名に恥じぬ働きをしていなかったからこそ、起きたことではないのかと思わざるを得ないものだった。
判決はまだ出ていないが、一人でも多くの人に今日の法廷の中身を知ってもらいたいため判決を待たずに公開する。
熊本の家族
この事件は子供たちの存在があるため、通常は読み上げられる本籍や現住所などはすべて伏せられた。
被告人らの経歴や身上も流す程度しか読み上げられず、健司と千佳のそれまでは把握するのが難しかった。
わかっていることだけをつなげていくと、安野家は宇和島に来るより以前、熊本で生活をしていた。
そこで子供たちが生まれたが、双子が誕生した時点では夫の健司は無職で、生活保護を受けて暮らしていたという。
生まれた双子は未熟児で、体重の増えが悪かった。千佳は上の子たちにした時と同じように離乳食を手作りし、双子にも食べさせたものの、なぜか思うように体重は増えなかった。
その後、低体重だったことや上の子供たちがまだ幼く、家庭環境が良くなかったこともあって一時的に乳児院に双子を入れたというが、直後に熊本地震に見舞われたことから安野家は被災者生活を送らざるを得なくなり、双子を引き取ることもできなくなった。
結局、いつまでたっても引き取れないことに業を煮やした千佳が弁護士に依頼し家裁に審判を仰ぎ、条件付きで乳児院が双子を返すという決定を得る(この辺聞き取れてない部分もあるため誤認がある可能性あり)。
条件は、父親である健司が就労すること、家庭環境を整えることなどが挙げられたが、この時点では家裁の調査でもそこまでひどい状況ではなかったという(家裁の決定文を弁護士が読み上げた)。
健司の就労は千佳の父親が世話をした。いつまでも生活保護では子供たちに示しがつかないこと、健司が「九州(熊本)に仕事がない」とこぼしていたことから、ならば千佳の父親が暮らす宇和島に引っ越して、父親の勤務する会社で働いたらどうかということだった。
双子も引き取ることができたこともあり、家族は新しい生活への期待を胸に、宇和島へ降り立った。
ただこの時、熊本からは宇和島の関係各所に対し、「要保護の家庭がそちらに転居する」という情報がもたらされていた。
高校中退の健司だったが、仕事ぶりは義父の目からみてもまじめで得意先の評価もよかったという。
当初、ルート配送の仕事をしていたが、仕事ぶりが認められたことで営業職へ栄転となったほどだった。
しかしこの転属が、後々ひずみを生むことになる。
一方の千佳も、看護学校を中退後ホステスなどをしていた時期もあるが、事件当時は無職だった。これについては後述するが、実際千佳は仕事ができるような状況になかった。
生活保護を受けなくても生活できるほどの給与はあり、また、子供たちの手当てなどもふくめると宇和島での生活は十分成り立っていたが、この家庭にはほかにも問題があった。
千佳も健司も、片付けが全くできない人間だった。
糞尿の家
熊本から要注意家族と引き継がれた安野家は、宇和島でも要注意だった。
令和1年6月の時点で家庭訪問を行った市役所の担当によると、千佳が双子に対して頭ごなしに怒鳴りつける場面が見られた。
また、家の中は悪臭が漂っていたため千佳に聞くと、「双子がお漏らしをする」と話したという。
令和2年7月、ふと目をやった部屋に、檻のようなものが見えたというが、その際は「これでは開けられないではないか」と思ったものの、それ以上は突っ込まなかった。
その際、子供たちは家族で外出する際、双子が犬と一緒に留守番するのだと話していたという。
そのころ双子の顔に表情はなくなっており、療育施設の職員によれば普段家で双子のお兄ちゃんが押し入れの上に、弟が押し入れの下にいるという話を双子たちがしていたという。
療育の職員は「ドラえもんみたいだね」と話したというが、そのころすでに関係者の間では双子の家の中で何が起きているのか想像はできていたと思われる。
しかしそれから半年以上も事態は表に出なかった。
安野家の内情を知る人物として、証言台には千佳の父親が立った。
長身の、きちんとした印象の父親は、あの同居男性傷害致死の神野光洋の両親のように全力でかばうようなことは一切なく、むしろ非常に厳しく接していた。
父は犬の散歩の途中で娘の家に立ち寄ることがあったというから、おそらく近いところで暮らしているのだろう。
しかし、家の中に入ることはなかったと話した。理由は、単に家を訪ねると子供たちが玄関先に出てくるのでそこで対応していたと。
加えて、「ゴミだらけで汚くて、私としてはそんな家に入れなかった」とも言った。
父親はピシッとしたシャツにスラックス姿で、清潔感にあふれた人、とみえた。几帳面な印象もあった。そんな父親からすれば、悪臭の漂う家に入ることは不可能だったのだろう。
父が娘夫婦の家に入ったのは健司と千佳が逮捕された後だった。入らざるを得ずに入った、という感じだったが、食器は山積み、ゴミだらけに加え、タバコの吸い殻はあふれ犬の糞尿が掃除されずにそのままだったという。
余談だが、このどうしようもない状況にあっても、なぜか犬や猫を飼う人がいる。子供が5人、しかも双子が二人、実はこの家族にはほかにも問題があった。
にもかかわらず、犬までいたこの家の中は、誰の目にも尋常ではなく荒廃していた。
父親は現在、上の子供3人を預かり、監護しているという。その子供たちのことについても、心配な面があると話した。
父親「次女はそういうことはないんですが、長男はやんちゃで。長女は……学力とかは普通なんですけど、もう言うことが毎日変わる。毎回違う。忘れ物もすごいし、対応が大変で……」
ちょっと引っかかるものを感じた。長女自身のその「特徴」に思い当たることがあったのと、どこかこの父親がその長女の状態をあたかも健司と千佳の育て方にあるというように思っているのでは、と感じたからだ。
父親は、今日法廷に来る前に子供たちに確認したという。この先、お父さんお母さんと一緒に暮らしたいかどうかを。
子供たちは、「両親が考え方や生活態度を直さないなら一緒に住めない」と話しているという。
家を片付け、朝ご飯を作ってほしい、ゲームをしないで……子供たちの願いは実に当たり前のことばかりで、さすがに不憫に感じた。
父親は今後も積極的にかかわりは持っていくし、監督していくと話したが、職を失いかけている(まだクビにはなってない)健司については、クビにならないように会社に働きかけはするがそれも限界があり、クビになったあとは仕事については助けてやれない、自分で探すなりなんなりしなさいと突き放した。
実の娘である千佳には、一瞥もしなかった。
不誠実な両親
検察官は若い女性。30代前半だろうか、細身で、上品な紺色のワンピースがよく似合う人だった。
マスク越しの早口で聞き取りにくい面はあったが、淡々と千佳と健司のそれまでの対応、児相や市役所、療育の対応、この夫婦への印象などを読み上げた。
それによれば、熊本で双子が預けられていた際、毎日面会に来るよう伝えていたにもかかわらず、面会に来ない日もあったという。
子供が幼ければ幼いほど、その家庭環境に問題があるかどうかについて体重の増えや体格などは重要な指針であるのは間違いない。しかし、双子はもともと未熟児で生まれていて、低体重である、というだけで施設が子供を返さないというのはいささか不自然な気もした。
当初は一時的な保護のはずが、このような千佳と健司の不誠実な対応が児相が双子を返さなかった要因だったのだろうか。
しかしその後千佳が申し立てた双子の返還について、家裁は条件付きであるがそれを認める決定を出している。
要注意家族とまで言われ、ネグレクトの疑いあり、とされたケースであるにもかかわらず、この家裁の決定との間に何か温度差というか、そういったものも感じた。
ともあれ、熊本で不誠実な両親との烙印を押された健司と千佳は、宇和島で一から再出発を試みていた。
健司は義父の紹介で入社した会社で問題なく働いていたが、その分、子供たちのことはすべて千佳にかかっていくようになる。
千佳が子供たちを怒鳴りつける場面が増えていった。
特に、双子は二人ともがやんちゃで目が離せなかったという。
なぜか夜中に起きだしたかと思えば、家じゅうの食べ物をぶちまけるなどの、いたずらにしては度が過ぎる行為が頻発しているのを、千佳も健司も悩んでいた。
悩んだ挙句、一度は双子の生活スペースの入り口に外から鍵をかけたという。しかしそれは、令和1年11月、家庭訪問の際に市役所(児相?)の職員に咎められたことから、すぐに外した。
双子は再び解き放たれ、家の中は片づけても片付けても追いつかない状況が生まれていった。
令和2年になると、それまで通っていた療育に双子を連れて行かなくなった。平日は毎日来るようにと言われていたというが、実際には月に1~2回に激減していた。
久しぶりに双子がやってくると、お尻にはおむつかぶれがあり、姿勢も悪く、当然、栄養状態も良くなかった。
皮膚炎も見られ、相当劣悪な印象を受けたというが、同時に双子の母親である千佳に対する態度が気になった。
二人とも千佳に対しては直立不動、もしくは正座なのだという。この年齢の子供にありがちな、母に甘えるとか、そういったことは皆無で、表情は乏しかった。
そして令和3年2月、子供たちの話から、真冬にもかかわらず裸で過ごしていること、押し入れの中でご飯を食べさせられていることなどが発覚。
子供たちは保護され、その後健司と千佳は逮捕となった。
私製の檻
当初の報道では、押し入れに子供たちを入れていた、という話だったため、お仕置きの度が過ぎたか、ともとらえられたが、実際はすでにみなさんご存じの通り、ふすまの代わりに金網入りの木枠がはめこまれた、いわば私製の「檻」に双子は閉じ込められていた。
なぜこんなことを両親はしてしまったのか。
被告人質問ではまず、父親の健司から始まった。
健司は白シャツに黒のスラックス姿。どこにでもいる年相応の、どちらかというと小柄な父親だった。
罪についてはすべて認めていて、その動機についてもこのように述べていた。
「A、Bが悪さをすると押し入れに入れていた。妻がやり始めたと思う。そのうち、押し入れに入れても勝手に出てくるのでつっかえ棒をした。」
双子は勝手に出るとひどく叱られることから、そのうち日常的に押し入れにいるようになったという。
夫が帰宅し、ただいまと声をかけると、押し入れの中からお帰りと声がすることもあった。
このように、ひどい状況であるにもかかわらずそれを受け入れてしまう状態のことを、のちに検察が依頼した公認心理士は「条件付き学習」と表現したという。
あることをやっても成功しないとやらなくなる、アクションを起こした後で叱られるとやらなくなる、そういった心理である。
双子は当初は脱走を試みたものの、それができない、成功しても怒られることで学習し、檻の中にいることを受け入れるようになっていたのだ。
弁護人は、きっかけからエスカレートしていく状況を丁寧に健司に質問していく。
弁「目的は何だったの?」
健司「目的っていうか……言うて聞かせるつもりでした、(双子を)引き取るのを焦りすぎたと思います。距離を詰めたかった。」
弁護人の質問以外のことまで答えようとする健司に注意した後、質問は続く。
弁「しつけだった?」
健司「はい。」
弁「何年会えなかったの?」
健司「正確には覚えてないですけど、2~3年」
弁「(さっきあなたが言った)急ぎすぎたっていうのは?」
健司「子供の反応が(親の期待に)追いつかんかった」
弁「押し入れに入れるのはしつけになるの?」
健司「ならないです」
弁「いつ頃、しつけにはならないと思った?」
健司「正直、覚えてないです。もうどうしようもなかったんで……」
双子は家の中を荒らしまわる以外に、大きな問題を抱えていたという。
トイレトレーニングがうまくいっていなかったのだ。
健司と千佳はそのことが一番の困りごとであり、それを改善するために相当頭を悩ませていたようだった。健司は、逮捕されるまでに少なくとも4か所の専門機関に相談したと話した。
しかし、療育先ではトイレの失敗がなかったことからうまく話がかみ合わず、また、返答自体もらえなかったところもあったという。
押し入れに監禁するようになった経緯についても、最初から金網を張っていたわけではなかった。
健司「最初は悪さをしたら押し入れに入れるだけだったんです。ところが、押し入れの中で双子がかえって楽しそうにしていたので、これでは罰にならんな、と。それでつっかえ棒をして自由に出られないようにしたんです。
ところが、ふすまが開かないとなると内側から二人でふすまを破って出てきてしまった。ならばと、外側にベニヤを張ってみた。そしたらそれも壊して出てきてしまう。
ホームセンターで金網を見て、これなら、と思ってしまった。」
正直この状況を思い浮かべたとき、トムとジェリー的な追いかけっこを想像して笑いそうになってしまった。大人の浅知恵を軽々と突破する子供。それに翻弄され、頭に血が上って冷静でいられない大人。エスカレートする構図はこういうことかと思った。
ちなみに、金網にした直後も枠ごと外されてしまったといい、結局枠が外せないように外からつっかえ棒をしたのだという。
これを「最終形態」と健司と千佳は言っていた。もうこれも笑いそうだった。
しかし両親は笑い事ではなかったし、真剣そのものだった。こうまでせねばならぬ事情が実はあった。
上の3人の子供を被害から守る側面もあったというのだ。
双子はいたずらで、姉の洋服のポケットに大便を忍ばせていた。
惨憺
家にいるとき、双子はなぜかトイレで用を足せなかった。
千佳がどれだけ声掛けをしてみても、促しても、トイレに連れて行っても、「ない!」といってしない。
ところがちょっと目を離すと、お漏らししていたり、家の中のトイレ以外の場所で大小便をするのだという。
窓のサッシ、畳、家の中のいたるところが、双子にとってはトイレだった。
おもらしだったり、トイレで用が足せない(おむつだとできる)とか、そういうことなら確かにトイレトレーニングの問題だと思えるし、気長にやるしかないよなぁという気もする。
千佳は10分おきに声掛けしていたというが、かえってそれがよくなかった可能性もあるだろう。
しかし、双子はその自分たちの排泄物で遊ぶのだそうだ。
そのひとつが、ほかの姉兄の持ち物を汚す、という行為となって表れた。先にも述べたように、姉の洋服のポケットから大便が出てくることもあった。
「あの……全体的に言うと、上の子に被害が行くのを防ぎたかった」
健司は力のない声でそう証言していた。
だからって監禁はあり得ない!確かにそうだ、正論だ。どんなことがあったって、閉じ込めるなどしてはいけないし、許されない。
しかしふと思う。自分だったらじゃあどう対処したかと。
以前、兵庫県三田市で精神疾患を抱える長男を20年以上にわたって1畳ほどのスペースに監禁していた父親がいた。彼もまた、家族に被害が及ぶのを食い止めるにはこうするしかなかったと話した。
ただこの三田の事件の場合、長男には重い精神疾患があって2歳のころから言葉でのコミュケーションはできず、意味のある感情の表現すらしないというのだから宇和島の事件とは質もレベルも違うわけだが、そうであったとしても、監禁など許されない。
……じゃあどうすれば?
専門機関に相談するというのがまず第一なんだろうが、健司も千佳もそれはやっていた。
にもかかわらず、事態は好転するどころか悪化した。
それはなぜなのか。
続く千佳の被告人質問では、千佳の口から専門機関の実態が語られた。
「うちでは出来てますから」
千佳は熊本時代のことから離し始めた。双子が乳児院にいたころの話である。
一日でも早く引き取りたいと願っていた千佳に対し、児相は頻繁な面会を条件の一つに提示していた。
しかし、実際に千佳が面会に来るのはそう頻繁ではなかったことで、千佳の印象は決して良くはなかったようだ。
ところがこれには深い事情があった。
千佳と健司の子供は双子以外に3人いるのだが、長女は実はADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されていた。やっぱり。千佳の父親が証言していた時、もしかしてそれは……と思ったが、ちゃんと診断を受けていたのだ。さらに、双子にもADHDの疑いがあるといい、長男には学習障害があった。
千佳は熊本時代の話を続ける。乳児院に面会に行かなかったのはなぜ、と聞かれた際のことだ。
千佳「……(諦めたような笑い)。片道40分かかるんです。乳児院まで。でも長女は迎えに行ってやらないと家に帰れない、迷子になってしまうんです。だから長女を迎えに行くことをしていたら、時間が無くなってしまう。面会時間も厳しく制限されてましたし、事情を児相に相談しても取り合ってもらえなかったです。」
その後、自宅近くの乳児院に双子が移って以降は、面会に行けていたという。
また、双子が乳児院に引き取られた際のことについても、千佳の弁護人がこう切り出した。
「低体重というだけで親から引き離されるというのはレアだと思うのだが、それ以外になにか問題があったからなのか。単に成長の問題だけなのか。どっちなの?」
千佳は少し考えた後で、
「私の栄養管理とか…」
と答えた。
ただ、気になる話があった。あまりに体重が増えないことから、市役所から指導があったという。その際、市役所はとにかく食べさせろの一転張りだったといい、千佳もそれを気にしてたくさん食べさせた時期もあったそうだ。
しかし、体重は増えなかった。
その後、おそらく逮捕後の面談などで知ったということだと思われるが、満腹中枢が未発達な状態で個人にあった量以上を食べさせることで、排便の感覚などがうまくコントロールできなくなってしまった可能性も指摘されたという(これは千佳の供述によるもの)。
指示に従えば余計に悪化していく……それでも千佳は、社会から双子を断絶したり、一人で抱え込んだり、アドバイスに耳を貸さないなど、そんな頑なな態度ではなかったようだ。
健司が話した通り、少なくとも市役所、児相、療育、病院などには相談をしていた。
トイレがちゃんとできない、どうしたらよいかという相談をある時千佳は療育のスタッフにもちかけた。
すると帰ってきたのはこんな言葉だった。
「うち(療育先)ではちゃんと出来てますから」
こんな返し方ある?悩んで悩んでどうしようもなくて相談して、こんな返答、いや、返答にすらなってない、拒絶である。
あなたが言ってることはうちには関係ないと言っているに等しい。
そしてこの療育の対応は、千佳の心に大きな不信感を植え付けることになってしまった。
宇和島に来てから、双子の問題行動は大きくなる一方だった。
弁護人によれば、双子は夜中に起きだして醤油を部屋中にぶちまける、家じゅうの食べ物で遊ぶ、ところかまわずおしっこをする、さらにはドッグフードを食べる、そして、姉らの洋服に大便をいれるなどの看過できない行動に発展していた。
弁「誰かの助けを得なければ、無理な状況だと思えるが。外部に助けを求めなかった?」
千佳「市や児相に相談しました。でも、返事は『あぁそうですか』であって、『こうすればいい』という答えはもらえなかったです。」
これは本当なのだろうか。市や児相にも言い分はあるだろう、しかし千佳の受け止めた印象としては、相手にされていない、だった。
にわかに信じられないような対応ではないか。熊本から引継ぎまでされた要注意家族である、ならば他の人らよりもしっかり話を聞く、手助けするとなるのではないのか。千佳が児相や市の立ち入りを拒んでいるという様子は見受けられない。弁護人も検察も、そんなことは全く指摘しなかった。
どこか、千佳を見下しているというか、相手にしていないというか真剣みがないというか、ハナから「ダメ親」認定しているというか、どうしてもそういう印象が拭えないのだ。
それはなぜか。
検察のことばに、そのなんとなくを見出すことができた。
「だからなんでしなかったのかと聞いてるんです!」
健司と千佳には、それぞれ別々の弁護人がついていた。健司の弁護人は、50代くらいの男性、千佳の弁護人は60代~70代だろうか、白髪の、なんとなく学校の先生を思わせるような人だった。
健司に対する被告人質問の際、「事件」は起きた。
健司の弁護人による質問が終わって、千佳の弁護人が質問をし始めたがのっけから弁護人は怒っていた。
弁「あなたAくんBくんの双子が生まれたとき、家事とか育児とか手伝いました?」
明らかに健司は言葉に詰まった。それでも取り繕うように何かを言いかけると、弁護人はそれを遮り、
弁「熊本時代、生活保護でしたよね。(時間はあっただろうけど)一日何してたんですか?」
健司「あの、病院とか……。できることはあったんですが、妻に男は台所に立つなとか言われt」
ここまで言ったとき、法廷に弁護人の怒声(といっていい)が響いた。
弁「なぜ(家事を)しなかったかと聞いてるんです!!」
法廷は一瞬沈黙。そのくらい、千佳の弁護人の言葉は怒りに満ちていた。
健司「……妻に任せて…」
弁「だから!任せていたのはなぜですかと聞いてるんです!!!」
健司は言葉が続かなかった。
その後、弁護人は夫婦のあり方について、千佳がどれだけ一人で背負っていたかを健司に問い質した。
弁「(台所に立つなと言われたなら)お風呂に入れたりとかはしないんですか?」
健司「いや、もう親と入る年ではないかと(おそらく長女の話をしている)…」
弁「もっと小さいころの話です!!」
健司「あ……しませんでした…」
弁「犬はどうですか。あなたが欲しいと言って九州までわざわざ迎えに行った犬のことですよ。その犬の世話をあなたはしたことがあるんですか!?」
健司「……いえ、ないです」
驚いた。千佳は5人の、ハンディを抱えた子を含む5人と、夫が欲しがった犬の世話までしていた。もっと言うと、この夫は起きて自分だけコーヒーを飲んで仕事に行き、帰ると自分だけ風呂に入ってあとはゲームだったそうだ。「でも課金はしてません」と言い繕ったのが何とも滑稽だった。
と同時に、この健司のなんというか「外面の良さ」が恐ろしかった。お手本のような反省の言葉を並べたて、平身低頭、実際に仕事先での評価は高かったことも頷ける。日々妻と共に子育てに悩み、どうしようもなかったのだと嘆いた健司だったが、私は健司の最初の言葉を思い出していた。
健司は押し入れに入れるようになったきっかけについて、聞かれてもないのに「妻がやり始めた」と言ったのだ。繰り返すが「どちらから提案したのか」などと聞かれてもないのに、だ。
反省の言葉を次から次から繰り出す夫を、どこかシラケた風に千佳がその背中を見ていた理由が分かった気がした。
千佳の弁護人は、夫の言葉に反省の色を見出していなかった。
弁「あなたが反省してるのか、直視してるのか、それができないと今後も変わりませんよ?」
厳しくも、今後の夫婦の関係を変え、千佳の負担を軽減できなければ同じことが起こるというこの弁護人の言葉を、健司はどういう思いで聞いただろうか。
20年前の「失敗」
裁判は、冒頭のあたりで被告人の経歴、身上を検察官が読み上げるのだが、今回保護された子供たちの存在を守るため、被告人の氏名以外は伏せられた。
ただ、簡単に学歴や職歴、事件当時の状況が読み上げられた後、最後に前科前歴についても読み上げられた。
その中で、千佳の前科前歴に私は言葉をなくした。
千佳自身、被告人質問の中でそのことにも触れていた。それが、冒頭の言葉につながる。
千佳はあの時、たった一人で何もかもを抱え込んだ。誰にも相談できず、せず、いや、してはいけないとまで思っていたのだろう。なんとしてでも自分で片づけなければならないと。
その過去は、どんな事情があろうとも許されるものではないし、どんなに若く、未熟であっても言い訳にはならない。
しかし千佳は、その20年前の過ちを自分なりに考え、同じことをしないようにと考えていたのだという。
だからこそ、宇和島に来てからも外部にも相談し、助けを求めていた。
これは私のものすごく勝手でうがった見方なのだが、この千佳の20年前の過ちを児相はどうみていたのだろうか。
大変重要な情報であり、これを知らなかったということは考えにくい。万が一、プライバシーの問題等で知らなかったとしたらそれ自体、プライバシーを勘違いしているように思う。
知っていたとして。こう言ってしまうと宇和島の人に怒られるかもしれないが、田舎の、児童福祉や親のケアの経験者も少ない中で、千佳に対してある種の感情を持っていなかったと断言できるだろうか。
生活保護で5人も子供がいる被災者家族、逃れるように宇和島へ来た安野家を、厄介な思いで見ていなかったと言い切れるだろうか。
そもそも、千佳が相談をしたかどうかに関係なく、双子をみればおかしいことに気づいていたのではないのか。
逮捕時、双子の体重は平均的6歳児の半分だった。しかしそれは、1か月やそこらで体重が激減したわけではない。療育も児相も、ずっと前から知っていたのだ。
そしてその間、千佳は双子の問題行動についての相談を持ち掛けたし、家庭訪問にも応じている。
檻のように見えた押し入れの金網の存在も、知っていたのだ。何のためのものか確認こそしていなかったかもしれないが、その存在を知っていた関係機関(裁判では市役所といわれた)があるのだ。
にもかかわらず、一年以上も何をしていたのか。
児相は、一時保護に踏み切ることができなかった理由として、双子が外出できていたことや親に前向きな姿勢があったことなどを挙げているが、その親の、千佳の訴えを門前払いしていたのではないのか。
それはまるで、いつかもっと重大な、一時保護やむなしの事態が起こるのを手ぐすね引いて待っているかのようにも思える。
結果、それは起こった。いや、起こるべくして起こったのだ。
再生できるか
検察は情状酌量の余地なしとし、今後も引き続いて千佳の父親のサポートが受けられるとしても不十分で再発の危険性ありとして、懲役1年6月の求刑をした。
弁護人両名は、事実関係に争いはなく、素直に罪を認め、自身の間違いを反省しているとして、執行猶予付き判決を求めた。
判決は8月10日。おそらくだが、執行猶予5年あたりになるのかなと思った。
千佳は確かに未熟だ。規則的な生活を自分自身ができておらず、朝ご飯も作っても子供らが食べないからと作らなくなり、風呂も子供たちを適正な時間に入れることができず結局遅くなって入らない日が続く。
それらについても、どこか、自分はやっているんだけれど、子供に流されてしまう、子供の言いなりになっていたと、自身の弱さではなく子供に責任転嫁する場面もあった。
ただ「家の片づけができないのはなんで?」と検察官に聞かれたときは同情した。考えたらわからないものか、子供が一人だったとしても、片づけて振り向いた瞬間おもちゃ箱をひっくり返されることなど日常茶飯事ということを。
千佳もそれを訴えたが、紺色のワンピースにバレエシューズの検察官には、ピンと来ていなかったように見えた。
ただ、千佳は千佳なりに双子の問題行動についてこう話していた。
千佳「今思えば、お試し行動だったのかな、と。わざと悪いことをして親の反応を見たりする、それだったのかなって。」
検察官「それはなんでそう思ったの?」
千佳「逮捕されてから、刑事さんとか、子供いる人とかから聞いて…」
こんなことも、療育や児相は千佳に話していなかった。逮捕後にいろんな人と話をする中で、千佳は落ち着いて考えることがようやくできた。それをなぜ児相や療育は事件が起きる前に時間をとって向き合おうとしなかったのか。
「うち(療育先)ではやれてますから」
この一言で片づけられた千佳のその時の心情を思うと、絶望に近かったのでは、とすら思う。
双子との関係について、千佳は涙ぐみながらこう話した。
千佳「子供側からはやっぱり(私たちが)親という認識がなかったのではないかと思う。だからお試しとかいろいろしてきたんじゃないか…。それを自分たちが(涙)。怒ったりして。(双子は)怒られることが怖くなって。こっちから話しかけても反応薄くなって、どんどんひどくなって、話しかけても『はい』『いいえ』しか言わないんですよ。」
千佳は健司と違って自分の言葉で話しているという印象を受けた。順序もバラバラ、思いつくままに話しているが、それがむしろリアルで千佳の心そのままという風に思えた。
そして、涙声でこう続けた。
「でも、(双子の反応がそうなっても)自分の子と思ってるんで、こっちは。」
今後どうしていくのかという検察官の問いには、
「最初は普通にしてたんですけど、物心ついた時を見てないんで。懐いてくれないってのもあって、頭ではわかってるんですけどお互い気持ちが追い付かない感じだった……
もうちょっと気を付けるべきだったと思います。」
と締めくくった。
千佳は多分、思いのたけをある程度自分の言葉で話すことができた。だから、最後に何かあるかと聞かれても、「ないです」と言ったのだと思う。
少しだけ、すっきりしたようにも見えた。
千佳と健司が起こしたこの事件は、どんな言い分があったとしても罰せられて当然であり、ここで逮捕されなかったら双子はさらに危険な状態になっていた可能性もある。
もうひとつ、逮捕されたことで児相や療育先のとてもまともとは思えない対応も明らかになったことで、今後は千佳と健司に対してはさらに踏み込んだ支援につながるという点では、逮捕されて良かったと言える。
というか、これでもし対応が変わらなかったら今度こそ責任は児相や療育先が負うべきだろう。
双子ちゃんとは、お互いのためにもある程度距離をとったほうがいいのかもしれないな、とも思った。千佳は望まないだろうけれど。
私を含め、当初の限られた報道で児相や福祉が動いてくれたから助かった、という風な印象を持った人は少なくなかったと思う。
が、実際は全然違っていた。健司と千佳は確かに間違っていたし片付けもできんしなんか危なっかしいし言い訳するしホントしっかりせぇよと言いたくもなったが、そもそも片付けができないのは私もだし犯罪じゃないし。
特に千佳を取り巻く環境というのは、彼女だけの問題とは言えないだろう。
問題は、生活保護なのに5人子供を作ったことでも、健司のうわっらの良さでも、片付けができないことでも、上の子にハンディがあることでも、児相が強権を発動できなかったことでもない。
助けを求めた千佳の話をじっくり聞かなかったその態度である。
この先いつか、一緒に暮らせる日が来るかもしれないが、その日が来るか来ないかは健司と千佳と、取り巻く人々の本気にかかっている。
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事件備忘録では基本実名としていますが、裁判で被告人両名以外の実名が伏せられたこと、おそらく執行猶予が付く可能性が高いこと、子供たちのことを考えて被告人の名前も仮名としました。