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おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件③

警察官の後悔

弁護側はタカノ巡査に対し、当日の職務の様子について質問を始めた。
野田さんのことを、「常習者」だと聞いていたその常習という意味についてまず聞かれたタカノ巡査は、
「コインランドリーのみならず他の施設(駅や公民館など)で寝泊まりをしていたことを聞いたから」
と話した。

自宅に到着した際の様子については、
「野田さん自身が気の弱そうな人に思えたので、(光洋に対し)気を遣っていると感じた。理由として、野田さんは帰りたくないといったのではなく、『帰れない』と話していたから。」
と自身の抱いた感想を交え証言した。
弁護人は続いて光洋との接触時について質問した。
「野田さんが家出をよくすると言っていた。しかし心配していたとは言わなかった。野田さんを母屋へ入らせた際、野田さんは無表情、無言。被告は野田さんと親子ほど年が離れているように見えたが、それなのに非常に上からというか、物言いがキツイと感じた。」

タカノ巡査が光洋の野田さんに対する特徴的な対応について述べると、弁護人は待ってましたと言わんばかりに喰いついた。

「そういう、良い印象を持っていない被告に対して、あなたは野田さんを引き渡したんですよね?」

弁護人の意図はあきらかだった。
警察官の目から見ても、光洋が野田さんに危害を加えるようには見えなかった、野田さんの態度からもそれは窺えなかったということを強調したかったのだ。
さらに質問は続く。
「引き渡しても問題ないと思ったんですか?被告が危険だと感じたらどうしてました?」
この、一見どうとない質問だが、実は難しい質問だった。
引き渡したことが警察官として正しい判断だったと言えば、光洋が野田さんに対して暴力を振るうような相手ではないと印象付けられるし、もっと言うと本性を見抜けなかったということである。警察官としてその力量はいかがなものかと思われかねない。
逆に引っかかるものがあったと答えれば、それは警察官としての職務怠慢に取られかねなかったからだ。

ただでさえ、先の逮捕監禁事件を警察が事件化していれば、という声は少なくなかった。
矛先を変えるつもりとまではいわないが、どこか警察の落ち度を強調したいようにも思えた。

しかしタカノ巡査は毅然と答えた。
「(被告を)危険とまでは思わなかった。身の回りの世話をしていると言っていたし、実際野田さんに対し風呂に入って髭を剃ってこいなどと言っていた。ならば、きちんと世話をしてくださいと伝えて引き渡した。」
問題ないと思ったのか、という問いに対しても、
「野田さんが自宅へ自分で入っていった以上、警察官としてすべきことはない」
と言い切った。

それでも弁護人は食い下がり、2度目の通報で臨場した際のタカノ巡査の心境について言及する。
「(2回目ということで)あなたの中で早く店外に出てほしいという気持ちがあったのでは?」
ようは、焦りと苛立ちからとにかく処理することだけを考えて、特に野田さんの様子を確認することなく職務を行ったのでは、と言いたかったのだ(少なくとも私にはそういうように聞こえた)。

それまで冷静で毅然と質問に答えていたタカノ巡査だったが、さすがに質問の意図にピンと来たのか、
「は?いや、(出てほしいとかではなく)出さなければならないと思ってました、職務上。」
とそれまでよりも強い口調で返したのが印象的だった。

タカノ巡査は自身が被告の本当の姿を見抜けなかったことを取り繕うこともせず、事実をしっかりと述べた。しかし、もしも野田さんが助けを求めていたら、絶対に家に帰さなかった、とも話した。

検察からの質問に移る。
野田さんが言葉以外でなにかサインのようなものを出していたことはなかったか、という質問には、少し間をおいてこう答えた。

「家に帰りたがらない様子はあった。自宅は石岡神社のすぐ横にある。本来なら、参道があるので国道から神社に向かう場合、近くて通りやすい道というのがあるが、野田さんはそこを通らず民家や田畑の間を縫って帰った。
後から考えれば、彼はわざわざ『回り道』をしていたように思う。それほどまでに、家に帰れない事情があったのだと今は思う。」


毅然とした態度だったタカノ巡査の背中が、心なし力が抜けたように思えた。警察官として、最後に接触した人間として、野田さんを助けられなかったこと、どれだけ悔しかっただろうか。どれほど時間を戻してほしいと思っただろうか。
もっと事前に情報を持っていれば、救えたかもしれない。もっと光洋を観察し、野田さんの様子を観察すべきだったのでは、おそらく自責の念に駆られているだろうタカノ巡査は、野田さんが「帰れない。家に入れない」と言っていたことを再度証言して証言台を後にした。

「野田犬、わんと言え」


野田さんと光洋は、野田さんの自宅以外でも暮らしていたことがあった。
平成29年の5月ごろ、光洋は知人であるTさん宅に野田さんを連れていくと、以降そのTさん宅に野田さんを「預けて」いたという。
Tさんは他からも人を預かって寝泊まりさせていたといい、複数の「他人」同士がそこで生活していたようだった。

Tさんは野田さんを住まわせることは承諾したものの、なぜ光洋が野田さんと一緒にいるのか全く分からなかったという。
このTさん宅には大勢の人が出入りしていたが、その多くが光洋の野田さんに対する扱いに異様なものを感じていた。

Tさん宅での野田さんは、よく光洋から怒鳴られていたという。それは人目があろうが関係なかったようで、時には痣を作った野田さんを見た。
光洋はことあるごとに野田さんの世話をしていると強調していたが、その割に野田さんはいつも不潔で、ガリガリに痩せていたこともあり、Tさん宅に集まる人にしてみれば光洋の真意が分からないと感じていたようだ。

野田さんは用事を言いつけられてもさぼることがあったといい、そんな時は光洋が殴ることもあったという。夏、風呂場が使えなかった時には庭で行水をさせられる野田さんも目撃されているが、その体は痣だらけだった。

ある時、用事で訪ねてきた別の人物は、衝撃的な光景を目にした。
Tさん宅の居間で、野田さんが裸にされていたという。そして、その首にはロープが繋がれていた。
両手も縛られ、ひとり部屋に転がされている野田さんを見たその人物は、こんなことをするのは光洋以外にはいないと思ったという。
それまでにも、何に怒っているのかわからないが、野田さんに暴力を振るう光洋を見ていたからだ。
あまりにひどいため、その人物が光洋を叱り、野田さんにも「助けようか?」と聞いてみたが、野田さんは助けを求めなかった。ここまでされても助けを求めようとしない野田さんに呆れた気持ちもあり、その人物は以降関わるのを避けるようになっていく。

またTさんは、家に出入りしていた別の人物から、
「犬、飼いよんか?」
と聞かれたことがあった。犬を飼っていないTさんが不審に思っていると、その犬の正体は野田さんだった。
野田さんは犬のように首にロープをまかれ、そのロープの端を光洋が握っていたという。そして、光洋は野田さんに向かって
「野田犬、わんと言え」
と言って笑っていたというのだ。

Tさん宅での生活は8月ころまで続いたが、その頃にはTさん宅に出入りしていた人らは、野田さんを動物以下のように扱う光洋と、そこまでされても助けを求めない野田さんに対してある種の恐怖を抱いていた。

怪しい同居人


光洋の行動に不審な思いを抱いたのはTさん宅に出入りしていた人だけではなかった。
光洋は当初、野田さんの生活の面倒を見ることを目的に野田さん宅に出入りし、野田さんと生活を共にしてきたと話していたが、その一方で不動産売却の話を進めていた。
①の章で説明したとおり、これは野田さんの生活保護受給に必要なことで、不動産があるとなかなか生活保護申請が下りないから、というのが光洋の言い分だった。
しかし、野田さんは平成25年から平成26年11月まで生活保護を受けていたのだ。しかし野田さんが金銭管理がうまくできず、また、役所の指導にも従わなかったなどの理由で受給停止となっていた。

平成28年の夏、西条市の農地委員会に光洋が一人で訪れた。
対応した委員によれば、農地を売却したいという相談だったという。
その際、農地の売却価格がおよそ700万円程度になると話した光洋に対し、委員は
「価格が200万円以上の場合は税務署に先に話をするように」
とアドバイスすると、光洋は
「じゃあ200万でもいいか。」
と、あっさり価格を下げることに言及したという。
普通、どんなに手続きがややこしかろうとも、それを理由に価格を半値以下にする人などいない。そのため、委員は驚いたという。
しかもこの時、光洋は土地の名義が自分でないことは伝えていなかった。

土地の話は他にもある。
西条市内の不動産業者に土地の買取を打診していたのだが、査定額は坪単価52,626円で、131坪の土地で換算するとおよそ689万円となった。この時、光洋は野田さんに委任状と誓約書のようなものを書かせていたのだ。
内容は、土地の売却につき、坪1万円以上で売れた場合の差額はすべて光洋へ手数料として渡す、という信じられないものだった。
単純計算しても689万円のうち558万円が光洋のものになるという内容だ。
(ちなみにこの土地の買取については、不動産業者が査定はしたものの後に(事件前)買い取り不可と回答している。)

さらに、平成29年7月26日。
土地売却がうまくいかなかった光洋は、野田さんを引き連れて公証役場を訪れた。
応対した公証人の前で、光洋が一方的に捲し立てたというその内容は、包括遺贈についてだった。
野田さんが死亡した後、全ての財産を光洋に遺すという遺言を作成してほしいということなのだが、赤の他人に全財産をというのは稀なケースであり、公証人は注意深く野田さんの様子を探ったという。
しかし野田さんからは全く意思が伝わらず、遺贈される側の人間ばかりが乗り気に見えたため、不審に思った公証人も話をまとめきれずにいた。
結局、公正証書は作成されなかった。

このころの話が事件後報道され、光洋のことを不動産業者であるかのような話も出ていたが、実のところ全くの素人がマンガやドラマから仕入れたような胡散臭さ丸出しの浅知恵で野田さんの財産を意のままにしようとしたとしか思えない。
どこからどう見ても胡散臭い。これが通るとは思えない。

しかし光洋は真剣にこれが通ると思っていたようなのだ。
そういう、通る話と通らない話があるという分別が光洋にはついていないように思われた。

土地売却も公正証書もうまくいかなかった光洋だったが、実はまだあきらめてはいなかった。

ふたりの証人

検察は、野田さんと光洋の関係を知る証人を男女二人用意していた。
ひとりは、Tさん宅での様子をよく知る久保田さん(仮名/60歳くらい)。建設関係の仕事をしており、その関係でTさんとはかねてよりの知り合いだという。もうひとりは、野田さん宅の近くにあるローソンの店員で、野田さんと光洋を知る岡村さん(仮名/40歳くらい)という女性である。

証言台に立った久保田さんを、光洋はしっかり見ようとしていないように思えた。そのせいか、光洋にとって久保田さんは苦手な人なのだろうという印象を抱く。
光洋と久保田さんとの直接的な接触は、光洋から持ちかけられた除染の仕事だったという。
儲けになるからという話だったため、当初は話に耳を傾けていた久保田さんだったが、一向に話がすすまなかったという。
その後も別の話を持ちかけてくることはあったが、どれも実現には至らなかったため、「言うだけの男」としか見ていなかった。

久保田さんは自営業者で、Tさん宅には久保田さんのところで働く従業員を住まわせてもらっていたという。
そこで野田さんの存在を知ることになる。痩せて色黒の、ぼろぼろの服を着ている野田さんが、光洋に暴力を振るわれているのも何度も見て、何度も注意してきたという。先述の、真っ裸で居間で縛られている野田さんを見たと証言したのも、この久保田さんだ。

拳で野田さんの胸や肩をどつく光洋が、いったい何を理由に怒っているのかもわからなかったという。野田さん自身に、その理由を尋ねても野田さんは光洋を悪く言うことはなかった。

検察は主に、野田さんに対する光洋の接し方に重点を置いて質問していたが、続く弁護人の質問は、この久保田さんを含めた、Tさん方に出入りしていた光洋以外の人間の言動に焦点をあてていた。

弁護人は、6月に野田さんがTさん宅を脱走した際の様子を質問し、その時に久保田さんが光洋に送ったLINEの内容を問いただした。
「野田さんがまたいなくなった、という被告人からの連絡に対し、あなたはなんと返しましたか?」
実はこの時、久保田さんは光洋に対し、「死刑、無期」というLINEを送っていたのだ。もちろんこれは、深い意味があったわけでもなく、完全にふざけた返信だったのだが、弁護人はさらに、久保田さんら他の人も野田さんのことをうっとおしく思っていたのではないか、というようなことを聞いた。
「野田さんは『こすい』というか、ふてぶてしいというか、勝手に人のタバコを吸ったりしていた」
そう証言した久保田さんに対し、
「あなたは暴力を振るったことはありませんか?」
と意味ありげに質問した。
久保田さんは一瞬言葉に詰まったように見えた。が、野田さんに助け舟を出したにもかかわらず、野田さんが応じなかった事に苛立ち、おでこを小突いたことはある、と話した。
しかしその直後、弁護人の意図に気付いたからなのか、久保田さんが「何が言いたいんだ!(実際は西条弁)」と感情的になる場面も見られた。

ただ久保田さんはこの後、野田さんもたいがいだった、という話をし始める。光洋が「野田さんとおったら頭がおかしくなりそう」と言っていたことや、野田さん自身が光洋を「利用」している面もあったと話すなど、久保田さん自身にも野田さんに対する潜在的な苛立ちがあったことをうかがわせた。

「利用している、というのは具体的にどういったこと?」
弁護人が問う。
「(光洋と一緒にいれば)少なくとも飯食えとるからね」
久保田さんは野田さんが光洋と行動を共にすることで、多少のメリットはあったはずだと証言した。

ただし、野田さんの税金や生活用品を購入する費用を立て替えているという話は、光洋から聞いただけで証拠があるわけではない、とも話した。

弁護人の思惑どおりかどうかは別にして、この久保田さんをはじめTさん方で野田さんと光洋を見ていた人々は、どちらかというと光洋側の人間だったことが感じられた。
彼らはこれまでの人生において、暴力が身近にあった人たちだった。
ただ、暴力が身近にあったからこそ、光洋の野田さんへの暴力が理不尽で異様なものだったことを見抜いていたともいえる。
久保田さんは光洋に対し、「死ぬぞ」と警告していた。そしてそれは、現実のものとなってしまったのだった。

ラーメン事件


ふたりめの証人は、ローソンの従業員の女性、岡村さんだった。
野田さんにはお気に入りの場所がいくつかあって、この国道11号線沿いにあるローソンもそのひとつだった。
岡村さんがこのローソンに勤務し始めて2か月ほどたったころ、野田さんを見かけるようになったという。
野田さんはいつもボロボロの格好をしていて、浮浪者そのものといった風貌だった。そして、店に来ても買い物をするわけでもなく、持参したカップラーメンにお湯を入れに来るだけだったという。

通常、こんな客は客とは呼べず、店側としても「他のお客様の迷惑になりますので」的な出禁にしてもよさそうなものだったが、野田さんはなんとそれを許されていた。
岡村さんら店員レベルが黙認していたのではなく、本部のマネージャーらも野田さんのそういった行動を許していたのだという。
それは野田さんがおとなしく、他の客や店に迷惑をかけるわけでもないこと、また土地柄もあったのかもしれないが、店員らは野田さんのことは「ラーメンおじさん」「野田ちゃん」と親しみを込めて呼んでおり、他に顔見知りの客らもいたようだった。

光洋が現れたのは平成29年の6月ごろだった。
レジに立っていた岡村さんに、自分の携帯番号をメモした紙を渡して、「野田さんが来たら連絡してほしい」と告げた。
特に不審に思ったわけではないが、ある時店内で野田さんが顔見知りの客と深刻な顔で話をしている場面を見たという。
野田さんは、「神野さんに家や土地を売られそうになっている」と言っており、しょんぼりした様子だった。

そして平成29年の8月。事件が起きた。
いつものようにラーメンを手に来店した野田さんが、お湯を注いで待っていた時のことだ。
野田さんは待つ間、雑誌を立ち読みするなどして過ごしていたというが、その時に光洋が店内に入ってきたのだ。
野田さんに気付かずレジに来た際、岡村さんが「(野田さん)来てますよ」と告げたところ、光洋は踵を返したかと思うと雑誌コーナーにいた野田さんの首根っこを捕まえた。
そして、店内に響き渡る大声で
「お前なにしよんぞ!」
と叫んだのだ。完全に委縮している野田さんを引っ張って店外に出たあと、店の外からドンッ!!!という大きな振動が店内に伝わったという。
岡村さんはじめ、店の中にいた客らも、何事かと顔を見合わせたほどだったというが、再び光洋が店内に入ってきたかと思うと、野田さんが作っていたラーメンを持ち出した。

しばらくして岡村さんが外に出てみると、すでに二人の姿はなかったが、駐車場には野田さんのラーメンがぶちまけられていた。

その後野田さんを見たのは一か月後の9月に入ってからのことだった。
野田さんは明らかに顔を殴られたような痣を作っていた。岡村さんは8月のことを思い出し、光洋がやったんだなと思ったという。
野田さんはそれからもほぼ毎日、時には1日に5回来店することもあったという。
西条祭りが行われる10月の中旬頃は、野田さんの痣や生傷がかなり酷かったと岡村さんは証言した。
一度、岡村さんは店外でも野田さんを見かけていた。
ローソンと同じ国道11号線沿いにあるスーパーマルナカの駐車場で、野田さんがうずくまっていたという。
すでに寒くなり始めた折、痩せた体を抱え込む様にうずくまる野田さんは痛々しかったという。
同時に岡村さんは、「家に帰りたくないんかな…」と思っていた。

岡村さんは一貫して野田さんに同情的かつ、証言の内容も信憑性があった。野田さんの顔の傷についても岡村さんは自身が介護職に就いていた時の経験をあげ、野田さんの傷が自傷や偶然の痣や傷ではないことはわかると話すなど、非常にわかりやすいうえにリアルだった。

そこで弁護人は、その岡村さんの具体的な表現を崩そうと試みた。
まず、光洋が野田さんの首根っこをつかんで連れ出すのを見たということについて、店内の陳列棚の位置などを確認した上で、
「本当に見えたんですか?」
と聞き始めた。
岡村さんがいたのは奥のレジでありそこから雑誌コーナーは見えないのではないかと言いたいようだったが、実はこのローソンは、レジ前のスペースが他の店舗より若干広かったのだ。
私自身、実は裁判後このローソンへ行って確認してみたが、確かに広めのスペースであり、背伸びをしたり少し立ち位置を変えると雑誌コーナーは見渡せた。
しかも光洋は180センチを超えており、棚越しであっても優に視認可能であったろう。
弁護人は3人のうちの女性弁護士だったが、要領を得ない質問を続けるため主任検察官が「それは論理の飛躍では?」と苦笑しながら異議を唱える場面も見られた。

岡村さんには、裁判員と裁判長からも質問がなされた。
裁判員の若い男性(柄本佑似)は、
「なぜラーメンを被告がぶちまけた、と思ったのですか。落とした可能性もあったのでは?」
と聞いたが、岡村さんは即座に、
「食べた形跡がなかった。そして、落ちたというより、広範囲にぶわーっとばらまかれていたので、ぶちまけたという表現は間違っていない」
と答え、さらに、
「そのラーメンは私が後に片づけました」
と話した。これには裁判長も深く頷いていた。

弁護人は、先の証人であった久保田さんが「一応世話はしていた」と話したことを踏まえ、岡村さんにも、
「ローソンでの出来事は、被告が野田さんの身の回りを世話をしているから、ある意味保護者的な立場でのことだったとは思わなかったか」
と質問したが、岡村さんはきっぱりと否定した。

「面倒を見ていたとは思えません。面倒を見ていたというならなぜ、野田さんは汚れて痩せていたのですか。」

これにはおそらく傍聴席も含め誰もが異論をはさむ余地なしと思ったであろう。男性、女性の視点の違いともいえるが、岡村さんの証言は全てにおいて聞いているものを納得させる力があった。


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