postできなかった、この一年が一番濃かった理由
AM放送の民放ラジオ局でCASAのことが取り上げられたのが1月2日。
2019年はそんなところからのスタートでした。
・通信制の高校でひと月に4コマの授業
・ミラクル8(仲間たち)とのミラクルイベント開催
・助産師グループの「命」の活動のサポート
・オーガニックマーケットへの出店
・CASAでの食に関する様々なワークショップ
・あげまん講座
・ソトカサ 〜あそびの学校
・講演会
・心理学講座
・教員のためのご飯会
・ビーチフェスへの協力活動
・野外アクティビティの講師活動
・児童養護施設への出張授業
・農園イベント、動画制作、カウンセリング、カメラマン、デザイナーとしての仕事をしながら、CASAを運営。
そして最後は、タロット占い師という、なんだかよくわからないものまで。
これらが複雑に平行しながら、時に絡み合ったりして毎月お仕事としていただけるものですから、氣付けば2019年の休日はわずか4日でした。
一握の砂
はたらけど はたらけど なお
わがくらし らくにならざり ぢっと てをみる
石川啄木の詩集「一握の砂」には、代表的な詩がたくさん収めてありますが、時代背景的にもどこか仄暗さを感じさせる寂しさがあります。
僕にとっては、休みなく働くことは負担でもストレスでもありませんでした。むしろ、新たな出会い、新しい仕事をいただくことも多かったのでどちらかといえば毎日をワクワクしながら駆け抜けたような気さえします。
ただ、楽しい時間を得られるばかり、人の痛みに直接触れるような出来事に直面する機会が重なると、どうしても色々なことを考えます。
啄木の詩から感じる、社会の暗さを写すような明治時代の終わりの頃は、自らの利益を優先する富裕層と、競争に負けた人との格差が拡大した時代でした。その時代から100年以上たった今、同じように格差はさらに広がり、生きることが苦しく感じるような空気感が全体に立ち籠めています。
格差社会
自己の利益さえ得られればかまわないという欲求に心が支配された人たちが増えました。
それが、格差社会の原因です。
もちろん格差は個人だけの問題ではなく、社会構造にも問題があります。
格差は色々な所に存在していますが、特に、子供の貧困問題は日本という国がこのままでは修復できない所に行ってしまうサインだと思っています。
どうしてそういうことが起こってしまうのか?
その原因は、満たされたいと思い込んでいる大人たちにあります。
夢に生きればいい?
では、そんな閉塞感の漂う今の日本を誰が救ってくれるのか?
日本人が救うんですよね。
えっ?そんなこと、私にできるわけないじゃん。
って声がほとんどだと思います。
そういう人は、自分が役に立つためには何か特別な能力とかスキルや肩書きが必要だと思われているようです。
僕がいつもお世話になっている漢方の先生がいまして、風貌はまるで仙人のような内科と小児科のお医者さんです。
その先生とつい先日話してた時に、
「君は働きすぎだ。それは良くない。休まなきゃ。休むというのは、だらだらすることじゃない。好きなことをやる時間を作って、それに打ち込むことだ。そしてあとは学ぶ時間も作ること。仕事は7割、遊びは2割、そして1割学ぶくらいがちょうどいいんだよ。」
唐突にそんな風に言われたことが、あまりにも当たり前すぎてすっかり忘れていました。
今を生きる人たちの多くは、スピードのスパイラルに巻き込まれてしまい、自分の時間を生きることを忘れてしまっているように感じます。
夢や目標があるならば、そこに向かう時間をわずかでも持つことはとっても有意義だと思うんです。
僕には夢や目標はありませんが、希望を持って生きています。
そして、好きなことに触れる時間を大切にしています。
自ら笑顔でいることは、幸せな社会になるための必要な材料です。
人との別れ
分かってはいることですが、出会いがあればいつか会えなくなる時がきます。
それが、心が近くに感じる人であるほど、寂しさは大きくなります。
それはある日突然やってくるんですよね。
威張れるものではないけれど、自分の生き方は自分なりに「よし」とできています。ですが、まちがいだらけの人生であることも理解しています。
人生は選択の連続です。
なので、間違った選択をいっぱいしてきちゃったということです。
正しくありたいけど、あれない。
今がいいと思えるなら、それでよしと出来るようになりました。
あるお葬式で、生前、僕が撮らせて頂いた写真が遺影になっていたのを見た時に、寂しさと温かさを同時に感じました。
これから写真を見るたびに、その時のことを思い出すんです。
写真がその人の心を写しているほど、リアルにその人の笑顔を近くに感じます。
これでいいんだなと。
半々
良いことと、辛いことは、同じだけある
これは小学生の息子たちから教えてもらったことでした。
彼らは、6年生、4年生の時にスペインを歩いて横断して旅をしました。
39日かけて830kmを歩ききりました。
歩ききった後で、僕に言った言葉でした。
あの時6年生だった彼は現在19歳。
彼はつい先日、一人でまた同じ道を歩いて旅しました。
1,134km。フランスのボルドーからイベリア半島の果てであるフィニステーラまで歩いた距離でした。
夢を叶えたいというのは、幸せになりたいのと同じだと感じた。
歩き終えた彼はこんな言葉を残しました。
本当に色んなことがありました。
いつもそんなことを言ってますが、この1年は、特に濃くて早くて、出来事の一つ一つがはっきりと輪郭を帯びているので、今でも反芻し直しています。
この一年の体験を通して、ここに書いたこと以外の色んなことがさらに違う角度で観れるようになり、新しい考え方が備わったことがわかりました。
だから、自分の中で新たに湧いてくる思考や感情の一つ一つを味わい直す時間に費やしてきたのでした。
Cabo Finisterre
5th Dec 2019