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1年制のMBAを、3年かけて卒業

入学3ヶ月後に休学

9月から始まったMBAでしたが、12月に帰省した際、たまたま行った血液検査で、肝臓の数値が悪く、C型肝炎の治療が必要、と言われました。

今ではもっと短期に効き目のある特効薬があるようですが、2011当時は、インターフェロンとうい注射を1週間に1回、注射しなくてはなりませんでした。フランスでの留学は中断して、札幌にある実家に暮らしながら治療に専念することにしました。

幸いインターフェロンが効きやすいタイプで、注射を打ち始めてすぐに効果がでて、ウィルスが消えました。注射も2週間に1回に減らし、恐れていた副作用(髪が抜ける、だるさ)もありませんでした。

父と通った北大工学部

2学期間MBAに挑戦し、散々のテスト結果や、貢献できないスタディグループなど、その厳しい現実も体験した後だったので、治療している間、1年間かけて予習をすることにしました。

父の勤め先である、北大工学部の図書館で、時間に追われることなく、参考文献を読みました。

18歳で上京して以来、10年ぶりに実家で両親と1年間を過ごすことができました。海外で働く夫と結婚していたため、これから先、長期にわたる海外生活が予期されるていました。そんな中、1年間両親と一緒に暮らす時間を取れたことは、C型肝炎の治療で休学して良かったと思える点です。

父は小学校のときに両親を亡くし、貧しい暮らしの中、努力して北大の教授になった人です。昔から、賢いだけでなく、人の辛さをわかっている優しい父と話すのが大好きでした。

一緒の車で色々な話をしながら、北大工学部へ通いました。私は図書館、父は自分の研究室へ行き、また夕方一緒の車で帰宅する日々でした。

高校生の頃、進路に迷っていた私に父が言ってくれた言葉があります。「人にはそれぞれ天職というものがあり、いかに早くそれに巡り会えるかが、その人の運だ」と。

読んだ量と覚えた単語量は嘘をつかない

MBAの文献を読みながら、知らない単語を暗記していました。

英語講師の母が、毎朝、私が前日にまとめた単語帳から問題を出してくれました。

小学校6年生の時、ドイツに住んでいた1年間、クラスメイトに追いつくために母が毎日英語を教えてくれたことを思い出しました。その時に私は英語の基礎が身についたと思います。

私は、東大に入学したときから、周りの賢い学生に比べて、長い英語の文章を読むことがずっと苦手でした。

ただ、この1年間の地道なリーディングと単語の暗記で、苦手意識が大分なくなりました。

MBA卒業後、ヨーロッパのアマゾンで働いていました。アマゾンの会議では、発表者が6ページ前後のワードの文章を配ります。全員が10分程度でそれを読んだ上で議論になります。

そんなときには、やはり、自分の読むスピードの遅さ、理解力の低さは痛感しました。まず、みんなと同じ早さで読み終われません。大急ぎで最後まで読むと、内容がよくわかりませんでした。

それでも、英語の長い文章を読むことへの抵抗感はだいぶ減りました。少なくとも、ヨーロッパ人の3倍の時間があればわかるレベルまでにはなりました。

頭が悪いなら人の3倍努力するだけ

私はこうして、普通であれば1年で卒業できるINSEADのMBAに、2年半を要することになりました。普通の人の3倍の時間がかかっています。

休学していた1年は、自分がまるでニートのように感じました。社会的にどこにも属していないことで、惨めな気持ちにもなりました。でも、INSEADを卒業する頃には、時間をかけて返って良かったと思いました。

日本で育って、ネイティブの学生達と同じペースで勉強することは難しく、3倍時間をかけてやっと、まともに授業を理解し、スタディグループに貢献することができました。

もちろん卒業するだけなら、1年で可能です。C型肝炎の治療がなければ、私も、1年で卒業できていたと思います。

でも、それではヨーロッパで就職活動をする時間的・精神的な余裕はなかったです。根がガリ勉の私なので、勉強についていけなくなってきたら、まず就活をあきらめてでもなんとか頑張ったと思います。

でも、私がMBAに留学したのはヨーロッパで働く夫と暮らしながら仕事もできるように、という目標のためでした。

1千万円近い学費を払うMBAなので、3倍の時間がかかってしまっても、良い成績も、ヨーロッパでの就職も手に入れたかったです。勉強にゆとりがあったからこそ、復学後、就職活動に専念することができました。

高校時代通っていた駿台予備校の英語の先生が、「頭が悪いなら、人の3倍時間をかければよい」と言っていました。まさにその通りの結果となりました。


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