言葉や文化を越えて関わる難しさ〜在京外国人になった体験談〜
昨日はプールサイドで突然の世界奥様井戸端会議。
去年オーストラリアへ引っ越した友達から「今、シンガポールに来ていて下にいるよ!」とお呼びがかかったので階下のプールサイドへ行くと、その友達を筆頭に同じテーブルにすでに6人座っておりました。
久々の再会を喜び談笑していると、遠くから「久しぶり〜〜!!」と元気に近づいてきたのは、これまた3年の日本滞在を終えてシンガポールに戻ってきたばかりの友人Mさん。
同じテーブルに『これからまたシンガポールを出国する人』と、『シンガポールに戻ってきたばかりの人』がいて、他にも「最後にあったのはパリだったっけ?」などとそれぞれで会話も弾み、ここだけでかなりグローバルだな〜、と感じつつ、話は盛り上がっておりました。
ちなみにこの時に同じテーブルにぐるっと座っていたのは、このような国籍の方々。
◎シンガポール人が2人
◎日本人(私)
◎オーストラリア人
◎フィリピン系オーストラリア人
◎インド系イギリス人
◎韓国系オーストラリア人
日本を引き上げてシンガポールに戻ってきたばかりのMさんが、私に日本での思い出をいろいろ話してくれているうちに、
「日本は大好きな国だけど、正直シンガポールに戻れてホッとしてるの。」
という呟きに、隣に座っていたシンガポール女性も、
「確かに、旅行で行くには素晴らしい国だけど生活するのは大変よね。」
と合いの手。
確かに…、それは日本人である私でさえ感じます…。
その『何が生活するのに大変だったか』の議題をもとに集まった声をざっと書くとこんな感じでした。
■東京でさえ英語が通じないことが多い。(英語で話してくれないことも)
■電車などの乗り換えが複雑。
■ゴミの分別が難しい。
■コインしか使えないようなアナログなままな物事が結構ある。
■フレキシブルな対応ができない(しようとしない)
■外国人に関わろうとしてくれない。
特に最後の「外国人に関わろうとしてくれない」について、コロナ禍で引っ越しをしなければならなかったMさんは声高にこう話していました⏬
と、憤っておりました。
すると、先ほども合いの手を入れたシンガポールの方より、
「どれだけ在京外国人がいるかは知ってるけれど、ただそれに対応するのが面倒だから英語を止めた(無くした)んでしょうね。」
と鋭い一言。
はい、残念ながら私もそう思います…
恐らく「そんな暇はない。」とそう言うことなんじゃないのかと…。
世界的に「日本人は丁寧で優しい」とイメージを持たれてますが、それは表面上の短期的なもので、長期的に外国人からの「これはなぜ?」「こうして貰えませんか?」に真摯にその都度対応するのは、そういった文化に慣れてないと鬱陶しいものほかならない。
ましてやイレギュラー対応がほぼほぼ出来ない日本人にとっては、この外国人のカスタマイズ要望は理解し難いもので、受け取る人によってはワガママを言っているとしか思えないのでしょう。
(なので逆を言えば、いちいちどうするか聞いてくる環境にいると、それはそれで疲れます…。)
余談ですが、アメリカではステーキの焼き加減だけでなく、目玉焼きの黄身の焼き加減にでさえ幾通りもの焼き方とその呼称があることを知り、私は西洋系のレストランでウエイトレスは絶対にできないな、と若い頃に思いました。
(そもそも、目玉焼きの黄身の硬さなんてその焼いた人の加減だから、
注文なんてつけられるなんて考えた事もなかったし💦)
と、まあ…
来年の本帰国を見据え、日本と海外の架け橋になるような活動をしたいな、と考えている私にとってはなんとも言えない生の声が聞けました。
私自身13年も海外で生活していると、だんだんと一時帰国するたびに「もどかしさ」も増え、以前は感じなかったような違和感を感じるようになり、外国人よりの考えになったなと感じるものの、外国人である彼女達の言葉の壁にまつわる「もどかしさ」は、私の想像以上をはるかに上回る、高く長く続く万里の長城のようでした。
それでも日本の食や文化、素晴らしい自然と景観など、長期休暇が出来るたびに日本中のあちこちを旅して回った感動を、それはそれは嬉しそうに語ってくれたMさん。
一通り主要名所を抑えた後は、自分だけが知っているような隠れた名店や名所を探すのがとっても楽しかった!と生き生きと話していました。
総じて、
やはり、日本のハード面は唯一無二に素晴らしいと言うことを再確認でき、
それを支えるソフト面を磨かないと本当に勿体ない!と思わされる日曜の昼下がりの出来事でした。