スピリチュアルきたー(゚A゚;)
先日、勝手に自分のパワースポットだと思っているFort Canning parkの写真を投稿したんですが、
それを誘発したのもやはり最近読んだ「本」だったわけでして。
日本人会に借りた本を返しに行った際、また2週間後に返しに来ないといけないからもう借りないでおこう。と決めていたにも関わらず、ふと返却された本の棚に見つけた4冊の本の束。スピリチュアルとかそういうものを、あまり信じていなかった私ですが、なんとなく気になってしまい、
「これを借りた人はきっとこの4冊を好んで借りたに違いない」と、他に借りる本もなかっので、そっくりその4冊をまんまと借りたわけです。
きっとこれも偶然的な必然なのかな。
と思いつつ、その1冊目を読み、2冊目を読み終わる頃には、ジワジワとその世界へ。まさか私がスピリチュアルの世界にハマってしまうとは。と内心ビックリ。
今までは「胡散臭い」と思っていた表現も「あ、分かる~」と共感するようになって今ではなっている。
なんか成長したな~私。笑
まあ、でも、小さい頃から、「ゴミをそこら辺に捨てたりすると悪い霊が憑く」というのを聞いてからは絶対に憑かれたくない!とビビり、それを信じ、そういう事をしなくなったとか、
「合わせ鏡に映った先の先には自分の死に顔が映るから見てはいけない」とか信じていたから、あながち全くのアンチだった訳ではなかった。と気づいた。
今回借りて読んだ本は「神社巡り」的な本達で、やはり見えない「何か」、主に神仏に見守られ、助けられている。と言う内容だった。
最初は半信半疑で読み始めたその本も、読み進めてくうちに、そういえばあんな事あったな~、なんて思い出す。
例えば、思い返せば私にはこれまで3回「あ、 私、死んだかも」という経験がある。
(ここから先 思い出話長くなります。笑 )
最初のは高校生の時に自転車に乗って横断歩道を渡っている時だった。
青信号だったという事もあり、右側を並走する友達の方しか見ずに横向いてベラベラ話していたら、友達の顔がみるみる青ざめるというか
「ああぁぁぁ-----@!ぉ*&^$#%#@!@*」
となっていくのがスローモーションで見えて、なんだろうと左側を見ると、何tトラックだか分からないがかなりデカいトラックのバンパーが目と鼻の先にあった。
大きな交差点だったため、その光景を見ていた人達の雰囲気はまさに凍りついていて、高校生だった私は見られているのが恥ずかしくて、逃げるようにその場を離れたのを覚えている。
今こうやって書いていて、そう言えばその大きな交差点の一角には父方の祖母が亡くなった時にお世話になったお寺があった事を今更思いだした。
(おばあちゃんが守ってくれたんだ。)
と今更ながらに気づいた。
(ありがとう。おばあちゃん。私元気に生きてるよ。)
と心の中で感謝の気持ちいっぱいになると、じわじわ~と暖かい感じが体に広がっていく。
この本達に巡り合ってなかったらこんな事をじっくり思い出す機会もなかったと思うと有難い。30年近く前のことを思い出してヒシヒシと感謝することなんてそうそうないだろう。
2度目は、子宮外妊娠をしている事に全く気づかず緊急手術した時。
ちょっとした不正出血はあったものの特に気にもせず、バリ旅行が控えていると言うこともあり、知らんぷりして過ごしていた数日間の間にその出来事は起こった。
それこそバリに行く前日、いつものように仕事に行ったがお昼前あたりにフラフラ、クラクラし始めて、居てもたってもいられず早退してクリニックに向かった。
不正出血もあったため、かかり付けの産婦人科へ行って診察してもらったらお腹廻りに影があるから、ガン検診センターへ翌日行ってみて下さい。と紹介状を書いてもらいその日は帰宅。
明日はバリ..
でもフライトは夕方。うん、大丈夫だな。
と思いつつ、家に帰り、調子が悪いなか、いそいそとスーツケースに荷物を詰めて、猫2匹のシッターを頼んだ友達への準備も済まし、さあ、寝よう。といつものように寝ていたのだが、夜中なんとも言えない痛みで起きてしまう。
こ、これは何!!!!!!!!!!!
痛すぎて、どのポーズも落ちつかない!!
救急車を呼んでいいのか。どうしたもんか。と悩み、看護師の友達に電話してみる。
耐えられない痛みなら電話してアトバイスもらって、来て貰うかどうかはあちらに決めて貰うのもいいと思うよ。という事で、朝方まで寝たり起きたりを繰り返し、これはただ事ではないな(今更)。とようやく救急に電話をしたら早朝から来てもらう事になった。
確かこの時周りの方に迷惑になってしまうからサイレンはつけないで来てください、とお願いした記憶がある。こんな気を回せる時点で救急なのか?と思われるだろうに。
そして救急隊員に連れられて、家を慌ただしく出る姿に猫達もオロオロと行ったりきたり。とりあえず、水とエサだけ多量におぃて行きたい。とちょっと時間をもらい。ようやく救急車に乗り込む。
運ばれた先はガン検診センター。到着する頃にはもんどり打つぐらいの痛さになっていた。ガン検の救急スタッフもどうしてこう言う状態になっているか分からず、あーだこーだと調べているうちに片方の卵管に着床した子宮外妊娠を見つけたわけだ。
不妊だった私は、どうにかその着床を子宮に戻せないかと気が狂うほどの痛さの中懇願したのを思い出す。
で、ガン検では施しようが無い為、即、大森の病院に緊急手術のため移送。
当時東京に住んでいた私たち。この渦中の時、主人はシンガポール出張で、バリで明日落ち合うはずだった。
のに、
救急車の中から電話。いつものように電話に出た主人に、
「あ、心配しないで聞いてね。私、今、救急車で運ばれてて、明日バリに行けないみたい。ごめんね」
「え!?てか、今どこなの?」
「救急車の中。子宮外妊娠してたみたいでお腹に血が3リットル溜まってて危ないみたい。で、これから緊急手術受けなきゃいけないんだって。父母にも電話しなきゃいけないから、1回切るね。」
プツーツーツーツーッ..........
主人の母はアメリカで産婦人科の女医をやっている。大パニックになった主人は即お母さんに電話して、どんな状況かを知り、更にパニックになったらしい。(次の日には飛んで帰って来てました。)
ピーポーピーポーうるさい中で次に電話したのは猫のシッターをお願いした友達夫婦。申し訳ないが今夜から様子を見に行ってもらえないかと頼み、
次に会社の友達に会社休むと伝えてくれ。と頼み、
実家の両親にもこれから緊急手術だ。と告げたり、と、
病人なのに電話連絡にかなり忙しい...
そのうち素に戻っていく気さえした車中。
しかしながら、病院に着くと自力でちょっと立ち上がる事すら出来なくなっていた。着々と状態は悪化していたらしい。
なんだかよく覚えてないが、手術が終わり病室に戻って目が覚めた時には宮崎の実家に居るはずの両親が目の前にいてビックリした。
いや、両親の方がビックリしたのは間違いないが。
「先生から万が一の事態になるかもしれないから来てください」と電話があったから、すぐに空港向かって飛んできたのよ。
心配とお金かけさせて申し訳ないな、と思う気持ちと、有難う、と感謝する気持ちでいっぱいになって涙が出てくる。
自分が我が子の事でそんな電話もらったらどうなってしまうんだろう。と考える。
とまあ、かなり危ない状態だったにもかかわらず、術後の回復は好調で、あっという間に元気になり、今では片方しか無い卵管で3人無事に産んでるから人生分からないもんだ。
余談だが、無事退院して家に戻ると部屋の片隅にバリに行くように詰めたスーツケースを見つけた。
あの痛みさえなかったら、あの日飛んでいたかと思うと恐ろしい....
きっとこれも1日前に誰か(何か)が、馬鹿言ってんじゃないよ。と止めてくれたんだろうと思う。
3度目は大雨の高速での出来事でした。
その夏は主人は忙しくてシンガポールに残り、1人で3人を連れて帰るという結構しんどいフライトだったわけですが、シンガポール航空のシンガポール-福岡間の直行便だと片道約6時間でタッチダウンできるのでまだ頑張れて、そこまで頑張れば娘と孫ラブの私の父が朝4時起きで宮崎~福岡間の片道3時間を高速ぶっ飛ばして迎えに来てくれる。母も一緒に同行してくれていて、毎回申し訳ないな。と思いつつ、有難うと甘えてしまってるんだな、これが。
で、この日はシンガポールに戻るフライトのために朝早く起きて、宮崎から福岡空港に向かっていたわけですが、途中から雨が激しくなり、そして更に激しくなり、凄い雨だねと話していた次の瞬間、バケツをひっくり返したような雨ってこう言う事を言うんだな~と言う雨がフロントガラスを真っ白に覆いつくした。
時速80km、自分達が気を付けても他の車が突っ込んでくる恐怖。
全く何も見えないままの数秒間、恐怖を感じていたからそう感じたのか、その数秒間スローモーションで動いているような感覚がし、雨の音がミュートされたような静けさもあった。
あ~、これが最期なのかな。パパ、ごめんね。
と子供達の寝顔を見ながら何度も心の中で呟いていた。
しかしながら、さすが運転歴50年を超す大ベテランの父。
慌てる素振りなど1つも見せず、静かに淡々と、全く前の見えない真っ白な世界のなか車を走らせて事なきを終えた。(実際は動揺していたらしい)
これはもう奇跡というものの他ならない。
雨が弱まり視界に道路が見えた時の安堵感と言ったらもう、、、
これほど「お父さんて凄い!さすがお父さん!有難う!!!!」と思った事はないくらい尊敬した(今でもしています。)
今私達が無事に生きているのは父のお陰であると言っても過言ではないくらい、あの時は本っ当に覚悟しました。
そんな私の父。そう言えば昔から信心深いところあったな〜。と本を読みながらこれまた気づいた。
初詣は毎年2日に霧島神宮に参拝に行き、家族で行くにも関わらず参拝の時は必ず1人消えて、1人で静かに拝んでいる。
家の中にも神棚があり、毎日出かける前には必ず拝んでるし。
子供の頃から当たり前のように見ていた事が、あ〜、こういう事だったのか、と本を読みながら腑に落ちるようになった。
「救われたいから信じる」というのも何だけど、信じることによって人間の行動が正され、自分を律し、誰かのために動ける、と言うことは駆け引きなしに素晴らしい事だと思う。だから信心深い人は慈悲深いし、いつでも正しい道を選ぼうと強くなれるのだと思う。
まだまだ壺や水晶に手を出すレベルには程遠いが、日々の生活にスピリチュアルを感じるのもアリだな、と思えるようになりました。