コミュニケーションとは相手に伝わった事がすべて。言葉に壁があっても気持ちがあれば伝わるもの(英語の発音が文法が、、と考え込んでらっしゃる方必見)
ここシンガポールはもちろん外国で、共用語は英語ではありますが、ある意味日本語だけでも生活できる国です。
というのもあって、10年ほど住んでいても一向に英語が上達しないという友達が何人かいて、
「あ〜、もっと話せるようになりたい」
「あなたは英語できるからいいよね〜」
と、何度言われ、聞いた事か。
恐らくあなたは知らない、私は苗字がカタカナな事もあって、
「英語話せるんでしょ?」「発音も綺麗なんでしょ?」
と思われる事がなかなかのプレッシャーな事を。
時には英語ができると言うだけで簡単に通訳もできると思っている人もいる。
ハッキリ言っておきましょう。それは大きな間違いです。
今ではそこそこ話せるようになった私にも、忘れもしない英語のターニングポイントがありました。
それはハードロックカフェでアルバイトをしていた時の事です。(しかも六本木)
洋楽が大好きなだけで、その頃ろくに英語が話せなかった私は、外国人のお客さんと話すのにも四苦八苦、ミスオーダーもよくあったが、テンションの高いお客さんに怒られる事は多分一度もなかったと思う。
グラス満杯の水をそのまま座ってるお客さんのスカートの上に落とした時はさすがにブチ切れられると思ったが、「it's ok.No worries」と笑って許してくれた時にはまさに神に見えた。
自分の持ち場でないセクションのお客さんにペンを貸した時、そのお客さんが私を探しきれずに他のスタッフに尋ねた際、そのスタッフが、
「あのウエイトレス?それともあっちのウエイトレスだった?」
とお客さんに聞くと、
「いいえ、そのペンを貸してくれたウエイトレスの子はもっと優しくナイスな子だった」
と言ってくれていたそうだ。
英語を流暢に話せる他のウエイトレスよりも話せない私のほうに好意を持ってくれるとは!
素直に嬉しかった。
そして、言葉がつたなくても、相手には誠意や気持ちがちゃんと伝わっているんだな、と何度も感じさせられました。
こんなやり取りを毎日続けていくうちに、
もっともっと英語で会話ができるようになりたい!
もっともっと相手が話している事を理解したい!
と心の底から思うようになり、
そこから、もっともっと英語ができるようになったら、もっともっと海外の人達と掘り下げた話もできて、ジョークの1つでも飛ばして笑い合える。
私、そうなりたい。
と、一人、暇があれば英語辞書を引いて使えそうな単語を書き出したりして勉強していました。
あの頃はインターネットやスマホなんて神器なかったし。
そしてその後、あまり何も考えずに、アメリカ’サンディエゴのホームステイ&英語の語学スクールに行く事に決めたわけで。
今思い返せば、本当に若いってそれだけで凄い、あの時の私は半端ない行動力だったな、と自分を褒めてやりたい。
英語がよく分からないものの、そのアメリカの語学学校と入学手続きのFAXを自分一人でやり取り。携帯もなく知人もおらず、ステイ先の住所を握り締め飛行機に乗り渡米。
のちのち聞くと、両親も本当に行き着けるのか半信半疑だったらしい。
よ〜、飛ばしてくれたな。感謝だわ。
3ヶ月間のアメリカ生活は苦楽はあったものの外から内を見る良い経験になった。
帰国後はトライ&エラーの日々で、とにかく英語を話せる環境を見つけてはできるだけ英語を使うようにしていた。
一時は外国人宿舎に部屋を借りて住んでた事もあり、まるで毎日が合宿のような毎日だった。トイレ/キッチン/シャワー共同、シャワーは3分100円という、今思い返せば本当によくやってたな、あの頃。
そんなこんなで何とか不自由ないレベルに話せるようになったと言うわけです。
なんだ、私、結構努力してきてんじゃん。
とは言え、発音がネイティブ並みに素晴らしいとか、どうしてここはOnでInじゃないの?と聞かれてもちゃんとは説明できない。
(余談だが、そう言う細かい事をアメリカ人の主人に聞くと、イギリス人に聞いてくれ、と言われる。)
日常で使ううちに、なんとなく、ここはOnの方がすっと耳に入る、というある意味慣れなんですね。
とまあ、自分の英語習得ぶりを延々と話しておいてなんですが、
よく「英語が話せたらな〜」という友達に言う事は、
コミュニケーションとは相手に伝わったものが全て。
結局は言葉が堪能とかそんなんじゃない。
相手に伝えたいと誠意を持って接してるかどうか。
だと思っていると言う事。
例えば日本語が話せる外国人が2人いて、一人はめっちゃ堪能に話せるけど話がつまらんくて態度が横柄なのと、もう片方はたどだとしくて時々何言ってるか分からないけどユーモアがあって誠実な人だったら、どっちと話したい?
恐らく答えは後者ですよね。
話せなくても伝わるものは伝わるんです。
逆を言えば、話せても、言葉意外のものが伝わってきてしまって、なんだかな〜って時があるって事。
もちろん話せた方がより良いに決まってますが、話せないからと困っている時に見過ごされるのと、話せないけど窮地を助けてくれるんだったら、話せなくてもいいから関わってくれ、と思いませんか。
(ちなみに私はどの国にいても、困っている時には誰か一人でも助けてくれる人がいると信じています。実際私はそうやってサバイブしてきました。)
もう一度言いますが、コミュニケーションとは相手に伝わったものが全て。
これは同じ言語間でも全く同じ事が言えると思うんですね。
自分はそんなつもりで言ったんじゃない。というのも、残念ながら相手がそう受け取ったのならば、それも伝わったものが全て。
最近は、音声での会話が減り、メールやLINEやWhat's upなどの文章でのメッセージが多いと思います。
下手すれば電話という手段を忘れてしまっている時もあったりするし。
ニュアンスや態度や姿勢、雰囲気などは一緒に送る事が出来ないので、その分、どう相手に受け取られるか殊更に気を使って、私もメッセージを送るよう心がけています。
そうなると、言語が日本語だろうが、英語だろうが、中国語だろうが、そこに伝えたい思いがあれば、言語はさほど関係ないんじゃないかな。と。
最終的には、あなたが相手の事をどう思い、その思いをどう伝えたいのか。だと思うんですね。
あなたがもし、言葉の壁で二の足を踏んでいるようでしたら、ちょっと考えるのを置いといて、一度アプローチしてみてはいかがでしょう。
何か新しい事が始まるかもしれませんよ😀
シンガポールにも児童館のような場所を作りたい!という思いから育児支援コミュニティKidsPriorityCafeを発足し日本に帰国後も主催運営しています。頂きましたサポートは有り難く運営費に使わせて頂きます🙏また、コラボ希望も随時受け付け中!お気軽にご連絡ください😃