124. 道路整備は続く
話は現在、2024年11月に飛ぶ。
22年春に、その前の町長?地区長クラウディアを引き摺り下ろして「俺がやる!」と鼻息まいて立候補、就任した地区長エフラインはなぜかその後一年ほど姿をくらました。直前、近所の人々に散々「クラウディアはみんなから徴収した水道代をネコババしている」とありもしないことを言いふらし、悪態をついて。クラウディア(家のあちこちの作業でお世話になった我らが兄貴セサールの奥さん)は、知り合いもコネクションも多く、市役所関係の人々あちこちに顔が効き、しかも交渉ごとが上手だ。エフラインはそれを知っていて、しかも自分では上手くそれができないことをやっかんでいるのは明らか。しょ〜もな。
一年姿を見せず何もしなかったのに突然23年秋になって「はい〜、私が地区長です。道路整備するので寄付金募ります」と、前回123で私たちがやった方式でお金を少々集めてメインとなる道の一箇所に砂利を引いた。私たちのグループのやり方ではない。砂利など、一回の雨季でみんな流されてしまう。そのために資金を使うのなら、もう少し増やして市役所に交渉して、もっと長期間使えるアスファルトを引くのが当然ではないか?でも彼は聞く耳持たず、誰にも意見を聞かずにお仲間たちとやった。案の定、宍戸錠、矢吹ジョー。今年24年の雨季に入ってすぐには以前にも増してボロボロになった。
それよりももっとやるべき箇所がある。
村に入る下り坂の整備。
約500mの下り坂の半分以上は石畳で、その至る所で石が取れ穴ボコが現れ、散々な様子。4WDやピックアップトラックなら気にせず走るのだろうが、そのほかの車両(セダンや軽自動車、バイクなど)は時速10km以下で慎重に行かねば車を痛める。
今年の夏前から準備を進めてきた私たち(地区長とその取り巻き以外の住民)はリファ(景品付きくじ引き)を他の住民や地区に関係ある人たちに売り、収益を上げ、それと寄付金を合わせて下り坂のアスファルト化を始める。まさに今現在進行中の出来事である。
アスファルトには冷性と熱性があると。日本語でどういうのかはわからない。
長く丈夫に使うのならば、まず地面に冷性を敷き整え、その上から熱性を敷いてプレートコンパクター(分厚い鉄板を地面に叩きつけてアスファルトを押し固めていく機械)を用いてならす。
冷性と熱性の資材をその500m分147,500ペソ(現在のレートで日本円110万円ほど)。これには作業にかかる人件費は含まれていない。今のところ、熱性を敷くときにかかる人員、機械は市役所に掛け合って派遣してもらっている。私たち住民が滝のような汗をかき、灼熱にさらされ作業をしている分についてはどこからも捻出されない。むしろそこに「参加者1人日あたりいくら」出したいのだが、ここに出してしまうとやんややんやうるさく面倒なことになる。あくまでも「自分たちが使う道を良くしたいから」というだけの思いでもって作業に参加しているのだ。
日本人の感覚から言うと、ずいぶんおかしなことになっているな、と。そうですよね、そう思うでしょう。私もいまだに思っている。だがしかし、メキシコシティ出身のクマ夫曰く、住民の少ないこの地域だけの問題ではないらしい。
ご存知のように、このCasa Arkadiaのある一帯はざっくりみて半径1km内に定住者10軒25人。税金徴収源となる上下水道は通っていない。なので、市からすると全く財源となっていないのだ。そこになぜ、予算を投入して道を作るのか?という問題が生じる。あくまでも市役所側はそう言う気持ちでいる。明文化なんてするわけない。もうこうなるとあとは個人的にグループとして市役所担当者に直談判するしかないのだ。
そしてメキシコシティ。人口密集地域の大きさ世界一らしく、まあごちゃごちゃしている。その端っこの小さな路地なんてのも、市役所は何もしてくれない。そう言うところでさえ、住民達がお金を出し合って舗装するんだ、と。そこでさえそうなんだからうちのあたりなんて期待はできない。今いる住民が頑張っていくしかない。
土木工事担当部署のトップに掛け合い、熱性アスファルトを20tトラックに配分と人員を出してもらえることになった。土埃まみれの採石場に行き、自分たちの資金で冷性20t分を購入したという領収書を持っていく。それをしたんだから後の分は市役所お願いしますよ、と。
さあ、一年半ぶりの道普請、開始です。
一番若いのはうちのクマ夫とクラウディア共に42歳。
最年長はラファエル79歳。この歳でも鍬やトンボを持ってこの作業に参加できる彼は、20代からアメリカの各地農場に出稼ぎに行き、重労働を行なってきたから。アメリカの居住者ビザを手にした今もまだ、年1で数週間行き、がっつり稼いでくる。40代半ばのセサールは流石の酪農家、体の使い方、作業の進め方を知っているので頼りになるし、彼がいなかったらどうにもならない。都会出身の私たちこそ、足手纏いにならないようにちょこまかと動き、セサールたちのやることを見て覚えるようにする。
作業は二日間、二週にわたって行われ、500m下り坂の一番悪路部分累計150mにアスファルトを綺麗に敷くことができた。
感涙ものである。
お金出して済むのだったらそうした。
ドカンと札束おいて「じゃあこれで道をよくしましょう!」という資産家が出てくるのをお待ちしております。それまでは自分たちで泥臭く手弁当で汗かいてやるしかないわけで。
頭の中ではヨイトマケの唄がいつも流れております。