123. 道路を作る
確か私たちは家を作っているはずだ。
道路は作れないし、そんなものは個人で作るものでもなかろう。
家から直近の文明世界(公共交通機関が走る村)までは2.7km、そのうち石畳だったり舗装だったりされているのは 半分程度。集落のある開けた場所まで約300m続く下り坂が特に状態が悪く、先人がパッチのように敷いたアスファルトが剥がれたり壊れたり、むしろその下の岩だらけの地面をえぐり取ってしまうのでタチが悪い。15年ほど前はバスも来ていたっていうんだけど、ちょっと眉唾…
行政はどうしたよ、行政は。
Casa Arkadiaのある自治体は、メキシコ全体で考えれば松竹梅の竹の下、あたりになるのだろうか。面積はかなりあるが人口はそこまででもなく、平均的な田舎町と新興住宅地、古くからある集落と農村地帯が広がる。うちの集落はその端っこ。村の大通りから一歩入ると石畳の小道が何本ものび、その延長にある集落は石畳すらなく未舗装のガタガタ道。毎年雨季になると大雨で地面が洗われ、その下にある石や岩、火山岩が細かく砕かれた砂利の混じった層が露出する。車高の低いセダンには厳しい道。
この道を綺麗に舗装しない限り、救急車両も到着に時間を要するし、住民の行き来もかなり不便だ。ゆっくりゆっくり、車のお腹を擦らないように気をつけながら。
当然、行政がそれをやるべき舗装作業なんだけど、そこはメキシコ。何をどうしたらそんなにのらりくらりができるのか不思議なほど何もしてくれない。地域住民有志が集まって市役所に陳情にも行くのだが、たらい回しにされ、やっと「個人的な知り合い」の上層部の人間を捕まえ話をすると少しだけ協力してくれる。少しだけ。地域住民が集めたお金(個人の寄付金として)を使って直接舗装資材のサイトに出向き、トラック3杯分のアスファルトを買う。それだったら役所からそれを固めるローラーと労働者を派遣して、アスファルトも少し出すよ、という具合。信じられないでしょう?
でも、その労働者の数は足りないので、住民自らスコップやらトンボやら自宅にあるものを持ち出し、炎天下に文字通り汗だくになってそのアスファルトを広げ、道を作る。作業中も、LINE的な物で土地所有者のグループにバンバン写真やビデオを揚げて、寄付金を募る。リアルタイムで皆さんから「入金したよ!俺たち手伝いに行けないけど頑張って!」と寄付金が少しずつ集まる。そのお金で、市役所から派遣されてきた労働者や私たちの昼食や冷たい飲み物を買うことができる。次のアスファルトにもなる
文字通り、みんなのお金、みんなの労力で道を作るのだ。それもこれも皆、この集落の人口が少ないのと、本来役所にがっちり交渉するはずの「集落代表(町長みたいな立場)」がしっかりしていないからだ。町長はかなり困った癖の強い人で、それまでいたリーダーシップにあふれた前町長をやっかんで自ら引き摺り下ろし自分が町長に立候補、あれこれがなり立てた挙句に当選した。が、その選挙数ヶ月前の不正発覚を恐れて雲隠れ。一年半ほど何もしないまま時間が過ぎていき、その間私たちは道が良くなることを待ち続けた。でも待っても何も起こらないので、実力行使に出た、というわけ。
坐骨神経痛の痛みが治って2ヶ月。腰にコルセットを巻きながら私もスコップ持ってあれこれやっていたが、相当応える。無理はできない。ので、私は広報連絡担当。ビデオと写真撮影、グループに現状報告と募金の呼びかけをする。この泥臭い道普請、実行グループは最年長のラファ77歳を筆頭に、男性6名女性4名。黙々と、トラックから小出しに下されるアスファルトを広げていく。季節は4〜5月。この地域が一番暑い時期になぜやるかなぁ、とぼやきつつ、汗は吹き出すが乾燥と熱風ですぐに乾いていく。2時間もするとクラクラしてくる。どんなに水を飲んでもすぐに出ていく。次のトラックが来るまでの間、木陰で休憩しながら。そろそろ今日の作業が終わる、という頃、誰かが頼んだビールが到着する。ビールの小瓶が大きなバケツに氷ごと入って、村の酒屋から電話一本で届く。いいシステムだ。こういう時のメキシコでのビールは「お酒」ではなく、渇きを癒す最高の飲み物。酔っ払うためではなく、水分補給とシュワっとするあの刺激。
そんな作業を2ヶ月間の間に6〜7回行った。
1番の問題点となる下りの悪路は、資金と時間が足りずに断念したが、そこまでの直線道路約800mをしっかりとアスファルトで固めることができた。それだけでも大きな違いになる。
早く全線開通しないかなぁ…
それにしても、「こういうふうに道は作られていくんだ」と、自分たちの手で汗流して働いてみるとよくわかる。そしてありがたみも一入。先進国だろうとなんだろうと、子供も大人も、こういう経験すごく大事だなと。やる必要がなければそれはそれでいいんだろうけれどさ。