『文体の舵をとれ』練習問題③
※問題を引用してよいものかわからなかったので習作だけ載せています。どういう文章なのか気になる人は本を手に取ってね。(ル=グウィン、アーシュラ・K『文体の舵をとれ』大久保ゆう訳、フィルムアート社、二〇二一年。)
問一
時計を一瞥する彼の指は止まらない。結論部を残し卒論は完成した。これほど時間に追われるなど想定外だった。準備に時間をかけすぎたのだ。書き進める困難を甘く見たのだ。印刷の時間を考える。印刷機前には長蛇の列が予想される。誤字脱字を確認する時間はないだろう。推敲などは望むべくもない。焦りがタイピングを乱す。脂汗が額に滲み始める。呼吸の乱れが眩暈を引き起こす。スクリーンの文字が揺れ動いて見える。不完全な結論を強引に閉じる。それは不細工なほどに短いものだ。こんなはずではなかったと思う。思いながらUSBメモリを手に玄関を出る。キャンパスまでの坂道を駆け上がる。彼の脳裏には何が浮かぶこともない。
問二
どの店で出前を取るかを題材に白熱した家族会議はいよいよ最高潮に達し、父と私の寿司チームと母と祖父の薬膳カレーチームは互いに一歩たりと譲らないという気構えで、まんじりともせず相手をにらみつけているところで、私がしっかりと握った拳には汗がじっとりと滲んでいるし、母の顔も祖父の顔も、ほんのりと言わず紅潮しており、二人はしきりに水を口に含んでは熱を下げようとしているかのようで、これから第三ラウンドが始まるのだという嵐の前の静けさといったところ、父は掌で鼻をクイと摺り上げており、てやんでい、正月早々にどこの家でカレーなんか食いやがるんだと今日何回目かわからない主張を突き出すのだが、こちらも今日何回目かわからない反論を母が返すところでは、正月だからこその不摂生を正そうとする薬膳カレーがどうして正月に合わないことがありましょうかということで、昨年の健康診断の結果が良くなかった祖父もそれに首肯しており、私はそんなことどうでもいいからとにかくサーモンアボカドの寿司が食べたいわけで、野菜たっぷりカレーとは相容れないということを目で訴えながら、議論の方は父にまかせっきりで生憎のところ分は悪く、でもこういう時って幼い子どもが優先されるのが世の常ってものじゃないのと憤懣やるかたないというオーラを出しているつもりなのだけど一向に伝わる気配はなく、そもそもどちらもに電話をすればいいのではと第一ラウンド前に提案してみた時には、いやそれでは到着時間が合わない、正月なのだから一家揃って気持ちよく食事をしなければならないと、今のあんたがたに聞かせたいよと思わず口をついてしまいそうな返答を得たのだが、結局のところ着地点も見えず、誰にもどうしたいのかがわからなくなってきて、だらだらと言い合いをしているのが、意外と楽しいと思えてしまう我が家なのだったが、将来私は上手く他人とやっていけるのか不安な気もして、とはいえこうして私が生まれるくらいには家族を築けているのだから、まあいいのか、と納得し、やっぱりサーモンアボカドの口なんだよなあと祖父に目で訴えてみたところ無視された。