『文体の舵をとれ』練習問題④
※問題を引用してよいものかわからなかったので習作だけ載せています。どういう文章なのか気になる人は本を手に取ってね。(ル=グウィン、アーシュラ・K『文体の舵をとれ』大久保ゆう訳、フィルムアート社、二〇二一年。)
問一
筆を取ろうと思い立った。そこまではよかった。ところがなかなか決まらない。文体。仕掛けも作った。プロットも練った。それでもやはり文体が決まらない。一人称に軽妙な語り口でも良いし、短文を連ねてリズムを作っても良い。いつだって最後まで決まらない。文体。アイデアは溢れてくる。読者を取り込む仕掛け。苦しめる構造。無意識に埋め込むフレーズ。骨組みには自信がある。外目にも整っている。それにも関わらず、部屋の一つ一つに何も家具のない家のように寒々しく、歪なままに、小説になり損なった切れ端が、目の前を漂っている。文体。背後の本棚からは声が聞こえてくる。「文体の舵をとれ」と。大きなお世話だ。舵がないのだ、私の文章には。求められるその、文体が。
問二
トン、と肩を叩かれて、ヘッドホンを首にかけて振り向く。
「君は貪るように音楽を聴くね」
彼女はそう言って笑った。高校2年の、夏の終わりのことだった。10月にある体育会の練習だと騒がしい生徒たちが早々に教室を離れ、それをくすくす笑うまだ明るい文化系も部室に向かい、部活には興味ないっす、と日々をふらふら過ごすことに全力を注ぐ、どこかの漫画から飛び出してきたようなヒッピー男もいなくなったころ、ぼくは一人、日の暮れるのを待っていた。どうしても、オレンジに染まる教室で聞かなければいけない気がした、そんな曲の為に舞台を誂えていたのだった。フジファブリックの「茜色の夕日」。なんということはない、タイトルそのままの印象に、ぼくは支配されている。
「そうでもないと思うけど。珍しいね、こんな時間まで」
珍しいね、と言ってみたはいいが、彼女が普段どんな放課後を送っているのかなんてぼくは知らない。ぼくだって普段は早く帰る。何がやりたくて来たわけでもない、ただ流されるままに進学した高校に、特別な思いもない。目をつむったまま今時流行らない重たいヘッドホンに世界を閉ざして、また明日を迎える。そんな毎日だ。音の良し悪しも、楽器の巧拙もわからない。歌詞だって曖昧だし、雑誌を読んでもちんぷんかんぷんだ。それでも何か、音に触れていなければいけない気がして、それを大事にしなければいけない気がして、それでこうして夕暮れを待っている。貪ってなんかいない。ぼくなりにゆっくり味わっているわけだ。
「そうかそうか、まあなんでもいいんだけど。何聞いてるの」
「フジファブ」
「おお、懐かしいなあ、兄ちゃんが好きでよく聞かされてたんだ」
そう言って彼女は歌を口ずさむ。茜色の夕日眺めてたら。彼女が何を思ってぼくに声をかけてくれたのかはわからない。変わり者だとからかいに来ただけなのかもしれないし、教室に一人残るぼくに、気まぐれを起こしたのかもしれない。そんなことはどうでもよくて、ちょうど夕日が差し込んできたその窓に向かう彼女の背に、ぼくは青春を見た気がした。驚くほど上手いというわけではない、音を外さないというだけの彼女の普通の歌声が、何かそれだけではないあたたかさを帯びていて、思わず固まってしまったぼくの手にヘッドホンのケーブルが絡まっている。ふいの心の動きに恥ずかしくなったぼくは、へたくそ、と声をかけようとする。しかしその声が発されることはなかった。詰まる喉をそのままに、ぼくは穴のあくほど彼女の背中を見た。貪るように、彼女の歌を聴いた。