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初診患者を救急外来で看取る難しさ

症例(架空):
呼吸不全からの意識障害で家族から救急要請となった症例。当院の受診歴はない。保存的な加療では改善が見られず,人工呼吸管理でないと命の危険があった。
しかし搬送時から家族は何もしてくれるなとの訴えがあった。家族が言うには患者は呼吸器の持病があり,以前から人工呼吸器の装着は希望していなかったと。しかし,院内にはそれを証明する客観的記録は残っていない。かかりつけの開業医は救急車を呼ぶようにとだけ言って,既に連絡がつかない時間帯になっていた。

さてこのような症例が救急搬送された場合,あなたはどうしますか?

A. 家族の希望通り何もせず看取る
B. 患者本人の意思確認ができないため,気管挿管・人工呼吸器管理に移る


「看取る」要件はなにか

治療介入しないと死亡することが目に見えている患者に対して,治療環境下にある医師として何もしないと業務上過失致死や殺人罪に問われる恐れがある。一方で,終末期の患者に対する治療中止の議論はこれまでも活発に行われてきた。では,治療中止(つまり緩和や看取り)を行う要件とはなにか。


これまでの判例を振り返ってみる

東海大学事件:
病院に入院していた末期がん症状の患者に塩化カリウムを投与して、患者を死に至らしめたとして担当の内科医であった大学助手が殺人罪に問われた、平成3年(1991年)の刑事事件。裁判で医師による安楽死の正当性が問われた。

この事件では,治療中止について横浜地方裁判所は以下のように判断をし、被告人につ いて殺人罪が成立するとして、懲役2年、執行猶予2年を言い渡した。治療行為の中止は、「患者の自己決定権の理論と、医師の治療義務の限界を根拠に」、 一定の要件のもとで許容されるものと考える。その要件とは、(1)「患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること」、(2)「治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在すること」である。

東海大学事件では、最後に行われた致死薬投与行為のみが起訴の対象とさ れていたのに対して、最後の積極的安楽死相当行為だけではなく、最初の抜管行為から最後の筋弛緩剤投与までの一連の行為が起訴の対象となったのが、 川崎協同病院事件であった。

川崎協同病院事件:
神奈川県川崎市川崎区の川崎協同病院で、医師が患者の気管内チューブを抜管後に筋弛緩剤を投与して死亡させたとして殺人罪に問われた事件である。患者が喘息発作を起こしていったん心肺停止状態になり、同病院に搬送され昏睡状態のまま入院となった。11月16日に担当医師が気道を確保していたチューブを外した後、患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため、准看護師に指示して筋弛緩剤を注射し、患者はまもなく死亡した。2002年4月、同病院が経緯を公表し、同年12月、医師は殺人容疑で逮捕・起訴され、2009年に有罪判決が確定した。

横浜地方裁判所は、終末期医療における治療中止については、(1)患者の自己決定権の尊重と、(2)医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として認められるとの姿勢を示している。そのうえで、本件事案については、回復不可能で死期が切迫している場合にはあたらず、患者本人の意思の確認がなされておらず、医師の治療義務の限界を論じるほど治療を尽くしていない時点でなされた早すぎた治療中止であるとして、弁護人の主張を斥けて X に懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

高裁判決では、家族からの要請の有無は本件抜管の適法性の判断のうえで重要な事実であるから「家族からの要請がなかったと認定するには合理的な疑いが残る」としたが、それに続けて、患者の考え方は全く不明であり、患者の死期が切迫していたとは言えない本件においては、家族の意思を患者の意思と同視することはできず、本件抜管が患者の意思に基づいていたとは認められない、と判断した。

最高裁判決では「被害者(患者)が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていない。また、被害者自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかでない」ことを確認した。その上で、法律上許される治療中止にあたるという被告人の弁護人の主張を排斥し、法律上許容される治療中止にはあたらないと判断した。

いずれの事件においても積極的安楽死が行われており,今の時勢ではここまで踏み込んで死期を早める医師はいないだろう。しかし,治療中止の考え方についてはある程度参考になる(ただ,これを忠実に実践したからと言って法的免責が得られるわけではないことに注意したい)。

また,川崎協同病院事件での高裁判決では「終末期の患者の治療中止について患者の自己決定権と医師の治療義務の限界から論じられているが、尊厳死問題を抜本的に解決するためには、尊厳死法の制定・ガイドラインの策定が必要であり、国を挙げて議論・検討すべき課題である」と指摘した。

そして 2014 年に集中治療学会,救急医学会,そして循環器学会は合同で「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3 学会からの提言~」を公表した(https://www.jsicm.org/publication/guideline.html)。


ガイドラインはどうなっているのか?

そもそも治療中止を考慮する前提として,患者が終末期にあるのかどうかが出発点になる。前述のガイドラインでは終末期を次のように定義している。

救急・集中治療における終末期には様々な状況があり、たとえば、医療チームが慎重かつ客観的に判断を行った結果として以下の(1)~(4)のいずれかに相当する場合などである。
(1)不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合
(2)生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合
(3)その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合
(4)回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合

「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3 学会からの提言~」

終末期の定義といっても非常に難しい。ガイドラインでも「いずれかに相当する場合など」とあいまいになっている。これからも分かるように,よく検討することが必要なのだ。

終末期の定義をクリアしたあとにようやく,治療中止の選択肢が出てくる。


救急外来に適応できるのか?

今回の症例で振り返ってみると,終末期の定義としていずれにも該当しない(というか判定不能)。それもそのはず,(かかりつけならともかく)初診の患者を救急外来で終末期かどうか判定するのはほとんど無理なのだ。

そして,このガイドラインには文書外の Q&A の項目で次のように書かれていた。

Q2:救急外来や救急初療室でも使用されるガイドラインですか?
A:
集中治療室に入院中の患者を対象にしています。集中治療室で、いわゆる生命維持装置などの高度な医療機器や様々な薬剤が使用されている場合を想定しています。救急外来や救急初寮室などこれから治療を開始する場合を想定したガイドラインではありません

「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3 学会からの提言~」
Q&A集


救急外来で治療を中止する問題点

以上見てきたように,「治療を中止する」ためには「終末期」の判定が必要であり,初診の患者では救急外来ではそれが事実上不可能である。

さらに,
・患者自身が継続的かつ直前まで明確に治療を拒否しているのか
・患者と家族が本当に共通した合意形成ができているのか
・患者家族が悪意を持って死期を早めている可能性を除外できているか
・事件性はないのか
・方針決定に際して多職種で十分検討できる状況にあるか
これらを確認する必要がある。

ことさら夜間で人員が少ない状況では,情報が少なすぎて「治療中止」という重大な決断は事実上極めて困難である。


ほんとうの終末期の患者はどうすればよいのか?

いままでは性悪説にたってみてきた。では逆にほんとうの終末期の患者はどうすればよいのか?

「治療中止」の検討は患者本人は当然のこと,家族や他職種での検討も必要で,さらには「時間をかけて」それらを「客観的に記録に残しておく」必要がある。これは患者自身が意思表明できる段階で,かかりつけ医(またはその医療機関)と準備しておかねばならない。いよいよ「その時」が来たときにはバックアップの病院も必要だろう。そのためには事前に情報を流しておく必要もある。バックアップ病院でも終末期評価のために定期的な受診が必要になるかもしれない。

もっとも悪手は,なんの連携も取っていない救命センターに,情報提供もせず,いきなり投げ込む,というものですべての準備を台無しにする行為だ。これまで見てきたように,初診の救命センターでは事実上蘇生処置をせざるを得ず,救命センターに搬送して看取りを迫るのは「無理筋」なのだ。


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