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エッセイ テーマ : 愛着

1992年生まれであるが、自分の中で懐かしさや愛着を一番強く抱く曲やアイドル歌手は70年代である。決して、他の年代の曲やアイドル歌手が嫌いなわけではない。カラオケではスピッツ、ゆず、いきものがかりなどの曲も歌い、YouTubeで往年のモーニング娘。やAKB48のミュージックビデオを見たら、懐かしさでいっぱいになる。しかしながら、70年代のものには他の年代とは異なる特別な何かを感じるのである。触れると落ち着き、自分の拠り所と思える存在のようなものが70年代の曲であり、アイドル歌手である。

 一体いつからこのような心持ちになったのだろうか?最初のきっかけは、中学生の時に触れたユーミンの曲だったと思う。当時、父親が持っていたCDをいくつか聴いていたが、その中でユーミンの歌にはまった。「やさしさに包まれたなら」、「春よ、来い」、「恋人がサンタクロース」などのユーミンの曲に魅了されるうちに、曲を聴くだけに留まらず、ユーミンの歌手としての経歴を調べるようになった。そうした中で、「フォークソング」、「ニューミュージック」、「J-POP」というジャンルの概念に出会い、それらのジャンルの曲を聴こうと図書館で○○年代ベストアルバム集を借りるなどしていた。これが、私と70年代との邂逅であった。70年代のものに愛着を抱く下地は中学生の時点で形成されていたと言えそうである。ただし、この時は70年代を特別視しておらず、80年代、90年代とまとめて、少し古めの曲が好きな中学生だと自分を捉えていた。

 そこから進んで70年代のものが特別好きと自覚し始めたのは、大学院生の頃のネットサーフィンをきっかけに出会った天地真理の存在が大きい。大学院生の当時、80年代のアニメ「魔法の天使クリィミーマミ」を視聴していたが、その作品では主人公のアイドル役にアイドル歌手の太田貴子が起用されていた。アニメと現実のアイドルを連動させた画期的な作品ということを知り、他の昔のアイドル歌手もどのように活動していたかが俄然気になり70年代、80年代のアイドルについてネットサーフィンをしていた。そこで目に入ってきたのが、天地真理。素朴な表情に、とびきりの笑顔。見かけのかわいらしさに対して意外と低い声。なにもかもが素敵で、あっという間に天地真理の虜になってしまった。代表曲「ひとりじゃないの」の歌詞「ふたりで行くって すてきなことね いつまでも どこまでも」は実にしみじみとくるのである。これだけでは天地真理にはまっただけのように見えるが、他のアイドル歌手についてもネットサーフィンをしており、太田裕美、ピンクレディー、キャンディーズなどの他の70年代のアイドル歌手も非常に心地よいのである。更に派生して、渡辺真知子やかぐや姫などの歌にも心惹かれるのである。その一方で、松田聖子、小泉今日子、斉藤由貴といった80年代のアイドル歌手も確かに魅力的なのだが、何かが70年代の方たちとは違うのである。

 70年代の何かに心惹かれるのが宿命なのかもしれないと自覚したのは、同じく大学院生の時。当時付き合っていた彼女の顔をふと見ると、どうも天地真理の面影がするのである。何度も画像と見比べてみたが、確かに似ている。それは容姿だけではなく、素朴な雰囲気や、いまどきらしくない感性も含めたうえであり、無意識のうちにそういう人を選んでいたのである。彼女に一目ぼれをしたのはその3、4年前であるので、意図した結果ではないのだが、自分の特性をいやおうなしに自覚する羽目となり驚かざるを得なかった。ちなみに、その彼女に天地真理に似ていることを伝えたが、本人曰くAKB48の前田敦子に似ているらしい。確かに天地真理と前田敦子が似ている側面があるが、自分は前田敦子のファンでもなかったし、特段何かを感じることもなかったのである。

 人とカラオケに行ったり、好きな曲について話をしたりすると、毎回「古いのが好きなんだね」と言われるのだが、なぜ70年代の曲やアイドル歌手が特に好きなのかは自分でもしばらくわかっていなかった。最近になって、おぼろげながらその理由が掴めるようになってきたのである。その理解の手助けになったのが、2023年の8月に開設された「キャンディーズ」のYouTubeの公式チャンネルである。ただひたすら、当時のライブ映像が投稿されているチャンネルであるが、これをひたすら視聴することで見えてきたものがある。キャンディーズの映像から感じ取れることが他の全ての70年代の歌手やアイドル歌手に当てはまるわけではないが、そこまでズレているわけでもないと思う。要因として考えられるのは3点ある。まずは、表情から出てくる、素朴さやあどけなさ。メイクの違いなのか、食べているものが違いなのかはわからないが、映像を見ると当人たちの顔肌が他の年代の方々よりも際立っている印象が受ける。その際立ちが柔らかさを引き立てていて、見ていて生き生きやはつらつとした印象を受ける。次に、曲のテンポやリズムがゆっくりなこと。ダンスの振り付けも含めて、現代の基準に比べると、だいぶのんびりとしてのどかである。体操の難度で例えたら、当時がC難度で現代がI難度ぐらいありそうである。ただ難度が低いから曲として魅力がないというわけではない。むしろほどよいテンポであるからこそ、歌詞が身体に馴染みやすいと思うほどである。70年代の曲がすっと自分に馴染むのは、この側面はかなり大きいと思う。逆に激しい現代の曲は、リズムの良さに乗っかったとしても歌詞の意味までに思いをはせるゆとりが生まれにくい気がするほどである。最後は、歌詞に哀愁が漂っていること。聴いていると、曲調も暗いが、歌詞も全体的に暗く、うじうじしていて辛気臭いものが多い。特に新たな旅立ちに向かう際に、過去を相当ひきずる内容があふれている印象である。キャンディーズの「微笑み返し」や太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が別れの際に相手の存在感が伝わってくるのに対し、おニャン子クラブの「じゃあね」が颯爽に別れの季節を歌うのは、70年代と80年代の違いの象徴と言えそうである。けれども、このうじうじとした暗さは、ある意味では感情の揺れ幅をしっかり伝え、内面のもやもやとしっかり向かい合った勲章のようにも思える。悲しみや辛さを抱くときに、変に明るい言葉でごまかさない歌詞というのは、その人も思いにしっかり向き合っており、重さがありながらも実に染みる印象的なものである。これらをまとめると、私が心のよりどころとする70年代的なものの実態は、素朴でゆったりとしてうじうじとした人間模様のようである。たしかに言葉にしてまとめてみると、自分が好きそうな要素である。これらに波長があうことは確かだが、なぜこれらに波長が合うようになったかは、未だに自分ではわからない。

 昨年の8月から10月にかけて、マッチングアプリをやっていた。学生の頃に付き合っていた天地真理似の彼女とは数年前に別れ、それから彼女は一切いなかった。アプリを進める中で、相手に求める要素として浮かび上がってきたものの一つが、昭和の音楽や文学などにたいする暖かなまなざしであった。現代的なもののみが素晴らしいと思うような相手とは付き合えないと、極めて現代的なアプリを課金する中で感じたことであった。感性が合いそうな相手とは4回デートしたが、結局フラれて彼女は出来ずアプリもやめてしまった。お付き合いするような相手と今後出会えたらと思うが、70年代的なエッセンスが骨の髄に染みわたっている自分が今後そうした出会いに恵まれるのかに関してはやや不安である。

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