人と比べない生き方
私は小さい頃、よく母親に
「よそはよそ、うちはうち」
と言われて育ちました。
このセリフは、私たち兄弟が友達の家庭や環境を羨ましがった時なんかに言われていたのですが、母はそう言いながらいつも周りと比べ、常に世間の目を気にして生きている人でした。
もしかしたら母は半分は私たちに、半分は自分に言い聞かせていたのかもしれません。
私にはそんな母の生き方がとても窮屈に見えていたし、時にヒステリックになるコトもあって母の言うコトはだいたい聞き流していましたが(笑)、この言葉は今でも耳に残っています。
人と比べて自分の方が優れていたら〇、劣っていたら✖
人と比べるというのは、そんな世界だと思います。
私は〇(マル)なんていりません。
人にはそれぞれ個性があります。
その個性をお互いに認め合えるのが、健全な関係です。
もし優劣を付けて〇✖で判断する世界だったら・・・?
最初は、周りにいる人より自分が優れている部分を探すと思うんです。
「私にはこんなに立派な〇(マル)がある!」と。
でも、自分の得意分野で自分よりも更にもっと優れている人が現れたら?
また、そもそも自分の優れている所を見付けられなかったとしたら・・・?
「自分ももっと〇(マル)が付くように、頑張ろう!」
「あの人に勝てるように、もっと成長するぞ!!」
そう思えればまだ健全ですが、残念ながらそんなにストイックな人ばかりではありません。
次第に周りにいる人を見て、その人達が自分より劣っている部分ばかりを探すようになると思います。
苦手探し、不得意探し、やがてあら探しになる。
だんだんと自分が簡単に〇(マル)をもらえる方法は、周りの人が絶不調になるか失敗するコトだと気付きます。
それは、とても寂しい世界ですよね。
だから私は、結果的に誰かの不幸を願うような〇(マル)はいりません。
〇✖だけでなく☆や♢や♧…
色んな形のマークがあるように、それぞれの個性をお互いに認め合える世界。
少しずつですが、私の周りには広がっているような気がしています。
これを読んでくれた方にも、その周りの方にも、広がるといいな❣