curryにこ

28歳 🚺 FUK→TKY 亡き父の背中を追って飲食したい。 キッチンカーで焼きカレーを売りたい。 ただ、夢に突っ走るだけのつぶやき。

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最近の記事

HALLO BABY👶🏻🩵〜ありがとう〜

2023/5/11pm2:58 おおきなおおきな男の子が誕生しました👶🏻✨ なんと4258g🩵 産まれてきた時の旦那の第一声は “わぁ、(私の父)に似てる!!!!!!” でした! 予定日1週間越えでしたが、 促進剤ですんなり産まれてきてくれて 無事元気に産まれてきてくれたことに 感謝の気持ちでいっぱいです。 これまで不妊治療を通して 命が産まれるって本当に当たり前じゃないし 簡単に『奇跡』なんて言葉で片付く話でもない。 ずっとこの子に会いたくて私は治療してきたけど、妊娠して

    • 胚移植から妊娠判定そして今の現状

      お久しぶりです。 ずっと書けていなかった胚移植から今の現状までお話しします。 胚移植8/16(2022) 採卵に比べたら1/100000000くらいの時間で終わりました笑 採卵からの恐怖から膣に何か器具が入るのが恐怖で力入っていましたが、看護師さんが優しく手を握ってくれて、無事終わりました。 鼻に水が入って息を吸ったあの【ツーン】と来るやつの方が痛いかもと言うくらい胚移植は痛みはあまりなく終了。 終わって内診で移植できているかの確認をして、膣洗浄で終了!! 妊娠判定8/

      • 不妊治療(胚移植に向けて)

        いよいよ本日より胚移植に向けてホルモン値を 上げていくテープをお腹に貼ってます!! 明日はシャワーのみで明後日湯船に浸かるという 2日に一回張り替えに合わせてお風呂の スケジュールも言われました!!!!!! 飲み薬よりも何よりもテープの効き目が1番 いいらしい。 10日後また受診してそのまた10日後に胚移植かな🙏🏻 無事不妊治療終えれますように...。

          不妊治療(体外受精)

          全然今までの父の話とは関係ありませんが、忘れないように残しておきたくて...。 あくまでも個人差あると思うので、 参考までに、、✨ 妊活始めて1年3ヶ月。 妊活始める前は1年なんて短いと正直おもってました。 この1年本当にしんどかった。いっぱい泣いた。 そしてなにより妊活をなめてた。 2021年4月 上京を機に元々生理不順でカウフマン療法をしてたからそれも含めて新しい病院へ受診。 薬でまた生理を起こし始めると同時に、結婚してるなら妊活はじめませんか?と先生から提案された

          不妊治療(体外受精)

          最近の私

          私は保育士辞めていちねん。 そりゃ夢は飲食したい。 でも、子どもはめちゃくちゃすき。 他人の子とか関係なく子どもは正義。 キッチンカーで今アルバイトをしています。 たくさん勉強できるし、お客さんと たわいもない会話するのも本当たのしい。 あー!!!!でも子どもと関わりたい。 そう思い隙間時間でベビーシッター はじめました!!!! いやー本当可愛い。 癒されるし沢山悩みを抱えてる 保護者の方いて、少しでも力になりたい。 そりゃ、5年しか保育士してないから 経験豊富

          最近の私

          自己紹介🌻

          沢山の温かいコメントを頂いております。 ありがとうございます。 たまに、コメントを読んで泣いてしまう事もあります。優しすぎて、、😭笑 今さらですが、私の自己紹介をさせていただきます。 1995年生まれ 女 亥年 バレー部 元保育士(5年間) 今は 某サウナの受付清掃 キッチンカーでアルバイト をしつつ 主婦 福岡県から去年東京に引っ越し 多分来年から広島に永住予定。 こんな感じです👍🏻 今はキッチンカーをする前に、 東京にいる間どこか間借りでランチでも してみたいな

          自己紹介🌻

          父の開いた家族会議

          ある日、仕事帰りに父から電話がかかった。 たしか、あれは1月2週目に入る頃だったかな。 『今日夜家におるか!?』と その日久しぶりの友達とのご飯を約束していた。 そのことを伝えると、それは優先しろ!と 言われた。しかし、もやもやしていた。 でも、キャンセルするまでもないのかな!? 自分の中でモヤモヤが消えないが、 友達と食事に行くことにした。 家に帰ると、父が明日は空けといて欲しいと。 何のことだろう。嫌な事ばかり考えていた。 その翌日、仕事を終えて帰宅。 弟も部活を終

          父の開いた家族会議

          父の残り1ヶ月の生活

          父はクリスマスに入院して以来年越しも病院だった。 弟と彼氏(旦那)と3人で『あけおめ』と 顔を見に行った。 年を越せるのも最後だな。ははは〜と 明るく言っていた。 私たちは必死に『そんな事言いながら10年後も行きとったらギネスやね!!』とわらいながら話した。 年明け1週間で父は帰ってきた。 いよいよ、在宅に切り替わったのだ。 癌は全身に転移している。 私はイマイチ理解出来ていなかったが、今できる事を!と思い、精一杯私なりに看病した。 痛み止めの坐薬は私が入れる係だ。 お風呂が

          父の残り1ヶ月の生活

          夢をくれた父の術後

          父の手術の日、私は保育科に通っていて 幼稚園実習の真っ最中。気が気じゃなかった。 実習を終えてすぐ病院へ向かうとまだ 手術の最中だった。 祖母と母が待っている待合室に向かった。 私も1時間くらい待った16:30ごろだった だろうか。先生が見えた。 手術を終えて胃を全摘した父の初めて喋った言葉は『焼酎飲むぞ!!!』だった。 父から手術前に俺の胃を写真撮っててくれ。と 頼まれていた弟だったが、腰が抜けていた。 頼りないな〜と思っていたが、今考えると 無理もない。中3のまだ子どもに

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          夢のきっかけをくれた亡き父の話

          父が他界したのは2017.01.30の雪降る夜 22:22だった。 1.30は母の誕生日だし、ゾロ目の時間だし 死ぬまで話題作りの男だった。 父は生前、陶芸家として窯で働いていた。 それは趣味のようなもので、地元では 誰もが知っていると言っても過言ではない くらい、顔の広い父だった。(顔もデカかった) 〇〇(名字)です。といえば、 『あー!あそこの娘さん!』と言う感じで 子どもの頃から持つべきものは親父の人脈 と感謝して生きてきた。 そんな父がずっと夢見ていたのが 自分の

          夢のきっかけをくれた亡き父の話