見出し画像

連載版「十束神剣百鬼夜行千本塚」 #32

……魔窟から行商人の気配が消え去った。足跡も、匂いさえ残りはしなかった。魔窟に通い続けていれば、いつの日か再び会うこともあるかもしれない。その時は友好的に付き合えればいいと思う。
色々と腑に落ちない点もあったが、そもそも此処は危険な禁足地であることを忘れてはなるまい。僕は次の新月までに一振りでも多くの魔剣を集めなければならないのだ。立ち止まってはいられない。
慌てて玄室を見回す。怪物どもを倒した後は、死体と入れ替わるようにして葛籠つづらが現れると思っていたのだが……。

「十二単を着た女性が現れましたね」

何かしらの財貨が入った葛籠が現れると思いきや、現れたのはこちらに背を向けて俯いた正装の女性であった。もちろん姉上ではない。それだけは後ろ姿を見るだけでわかる。だが、その装束から察するに姉上にも劣らぬ深窓の令嬢であろうことは疑いない。もしや彼女も姉上のように、あの牛車男どもによって魔窟に連れ去られた身の上なのかもしれない。機嫌を損ねないようにして無事に家まで送り届けられたならば、その見返りは計り知れない。

「どうします、若様」

どうするか。呼ばわって振り向かせるのもいいが、彼女の家の格によっては、それすらも失礼にあたるかもしれない。こういう状況に相応しい言葉遣いというものがある筈なのだが、不勉強な僕に出来るのは彼女の正面に回り込むか、肩を叩いて振り向かせることだけであった。
どちらにせよ、こちらから前に踏み出さねば話は進むまい。そう思った矢先のことであった。空拳入道たうろすどもの死体と入れ替わるように現れた姫様と入れ替わるようにして現れたのは、般若だった。

「……般若といっても流石に首から下は我ら人間と変わらない筈ですが」

そう、現れたのは顔だけの般若だった。
顔だけで、僕の背丈に匹敵する大きさの般若が虚空に漂っている。深窓の令嬢は何処へやら、である。怪物ならば退治するしかあるまい。(続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?