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なにより必要なものです。

「健康第一」と新年とかでお願いする人が最初はよくわからなかった。

「なんで?」とか「もっと自分の好きなことを言えば」とか思っていた。

それは・・・

2番目以降でできることを知らなかった

その1番が「健康」という状態がないとできないのを知らなかった。

だから、自分が片足になるまで「好きなことが当たり前」とか思ってて、常に健康は当たり前だと本気で思ってた。

自分が障がい者になり、息子が小児がんになって初めて「健康第一」の意味を知ることができた。

それまでの自分がいかに「世の中を甘くみてた」というのがでた。

・当たり前は当たり前ではない
・健康は何りも優先
・健康でないとやりたいこと何もできない
・そもそも健康でないと自分でなにもできない

事故って集中治療室、小児がんで無菌室1ヶ月。

この時は本当に感じた。

ご飯は制限あり、部屋からはおろか自分で起き上がることもできない。
会話するのは医師か看護師など、医療従事者だけ。

もちろん面会もできない。

これが真の「身をもって体験」といえる。

自分が事故して9年、息子の小児がんから3年目を迎え、何かお願いごとをする場面があったらまず・・・・

健康第一で普通に生活できますように

この一言で終わっている。

それ以外のお願いは贅沢かなって思うようになった。

いつどこで誰がどうなるかなんて、神さましか知らない。

だからこそ「健康」で「普通」でいることで、好きなことはいつでもできる

ただ簡単に「普通」や「健康」が手に入るわけでもありません。

じゃあどうしたらいいんだ

ってなるかとおもうんですけど・・・

・背伸びしない
・大きく変わろうとしなくていい
・感謝を忘れない
・生きることを諦めない

色んなことが挙げられるけど、こんな感じ。

かみ砕くと・・・

・背伸びしない→ありのままの自分
・大きく変わろうとしない→小さいことの継続
・感謝を忘れない→ありがとうと言い続ける
・生きることを諦めない→辛くなったら一旦ストップ

病気になってから「ごめんなさい」しても、ものすごいスピードで浸食するから、やり直しが効かない。

身体の一部を失って「もうしません」と言っても、再生するわけでもないから、日ごろから1個でもいいからやってみよう。

絶対に大丈夫とはいえないかもしれないけど、悪くなることはない。

自分も背伸びしない生活を今は心掛けてます。
足がないからとか、偏見をされることもまだまだあります。

人はひと。自分は自分です。

生きるために、子どもたちに泥臭いけど命を大切にすることを示す。


自分見た・聴いた中で、印象に残った言葉などを自分の中で表現しています
色んなご意見があるかと思いますが、それだけ過酷な生活でした。

それを今もなお、戦っている方々に少しでも前を向くことのお手伝いができればと思って、noteを書いています。

自分の言葉を丸飲みしなくても全然いいです。
印象に残った部分・ここが引っかかっただけでも構いません。

闘病生活が少しでもいい方向に行くことだけを祈っております。

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