![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144175127/rectangle_large_type_2_d57de6c8196d4f7f14e2e75b95bc5ca1.png?width=1200)
圧倒的に選べないのが多い
付き添い入院でさまざまな「選択」をしてきました。
緊急入院で付き添いますか
この治療で行きますがよろしいですか
ユニツキシンやりますか
レチノイン酸服用どうされますか
ほとんどがきつく、考える余裕なんかない中決めないといけなかった。
選んだのに「こっちでよくなるのか」「薬が効いてくれるのか」とかほんとうにお先真っ暗のなかでの「選択」ばっかり。
その反面で、選ぶことすらできない子が圧倒的に多いのが現実だった。
同じ神経芽腫でも、同じステージ●●で、時期的にも同じ日にち。
けど増悪しこれより先の治療が受けれない、体調が悪くて標準治療自体が進めなかったりなど「選択肢」自体がない。
そして「嫌な選択」は腐るほどさせてくれる
「これ以上の治療がありません。どうされますか」
「緩和ケアにされますか」「できることがあるのでやりますか?」
「家で過ごされますか?病院で観察しながらすごしますか?」
こんなことばっかり選ぶことしか平等にないのか・・・・
付き添いも本来ならする必要はない(規則では不要)
けど精神安定のため想像したらせざるを得ない状況になってしまう。
そうしただけで「選択」できない、もはや強制になってる。
付き添いたくないわけではない。
付き添う以上手厚い看護や環境・家族が付き添い不要でも完全に安心できるだけの体制がないから、そばに居て自分の目で確かめるしかない。
治療の選択ができないのも「選択できるだけの方法がない」「薬が使えない」から現存する手札がなくなれば、もう先がない。
これが「ドラッグラグ」「ドラッグロス」「未承認」などになる。
1個でも2個でも選択できる治療があれば、使える薬があればもっと生きる選択ができるはずです。
いまはありがたい生活を送れている中で、今後「嫌な選択」をしないでいいように、「生きることに貪欲」であり、日々感謝を忘れない。