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普通(ふつう)って何が基準?

「普通」って何かの基準があってのものだよね。

その「基準」「普通じゃない」っていうのが分かった。

基準がずれてる言い方

この一文を例にしていきます。
この場合「普通」

・普通は健常者(障がいはダメ)
・車いすは異常
・子どもに障がい者は不幸にする

健康な体(五体満足)が当たり前、車いすだと子どもが笑われる、車いすだから何もできないから、子どもをまともに育てられない。

だから「かわいそう」と言われるんだろうか。

この「車いすは子どもがかわいそう」ってフレーズは、動画からお借りしてますが、ゆうき自身実際に聞いたり、言われたことのあるものです。

健康が当たり前
五体満足が当たり前

そんな「当たり前」「基準」は普通じゃない。

いつどうなるか、分からないからです。

その人の生活環境(暮らし方・心身状態)は様々です。

その人にあった暮らし方や対応の方法があります。

周りが当人の「普通」を決めつけてはいけない。

本人の中の普通→生活の一部

車いすがないと生活できないなら、「車いすあり」の生活を「普通」と考え、どうしたら生活しやすいかを考えること。

それをどうやって暮らしやすいものにしていくか、自分だけで考えるンじゃなくて、色んな人に聞いたりして、試行錯誤していいと思ったものを取り入れていけばいいんだと思う。

その「良い方法」がどんなに変で不格好だとしても、その人にとっては最善のものだから、見守ってあげたららいいです。

そして、その車いす生活になった事故や病気での入院生活や治療期間などを


話のネタなんかにできたらいいな。

昔を掘り返すわけではないですが、話したりすることで、気を付けようと再確認したり、きっかけになるんじゃないかな。

車いすだからとか、ハンデがあるからというのは、
「かわいそう」ではない。

自分のが住みやすい環境をつくるのも大事です。
なかなかすぐにできるものではないし、一人では難しい。

決して恥じることはありません。

胸張っていきましょ!!

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