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3年目シーズン【原発層除去より】
先月から小児がんになり3年目に入ったことに対しての振り返り多め。
今日11月15日は「原発層除去」手術から本当の丸3年経過した日。
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原発層除去して、治療用のカテーテル留置でトータル半日(12時間くらい)かかった記憶がまだ残ってる。
昼過ぎにオペ室入って、まだかなまだかなってみんなでただ時間が経つのを待った記憶がついこの間のことのように感じる。
息子現在5歳で、この5年の短い人生の中で一番の大手術と長期入院です。
手術はこのあとカテーテルの差し替えでもう一度あったから計2回。
この「原発層除去」が自分も家族も含めて一番どん底に落ちることになるし、明日が来るかもわからないと思わされることになるわで。
そして今も忘れることができない「宣告」された日も。
・神経芽腫ステージⅣ
・予後不良、5年生存率40%
・再発リスク大
術後少し安心したら1週間後にまたどん底に落っこちたわな。
術後から診断結果がでるまでの期間はほんとうに生き地獄であり、ほんとうに息子はどうなるのか、今は寝ているがまた目を覚ますのかとかばっかり考える毎日だった。
そこからの「宣告」はもひん死を越えていた。
そんな中で2024年11月15日で3年が経ち自分の中で一つの山を越えた。
小児がんの渦中に足を入れてからは、先を見据えて・・・という生活ができず、毎日・毎時間を生きるだけで精一杯だった。
それを毎日続けていたら3年経った。
じゃあ次は「5年」があるのかってのが本音。
世間一般では5年が最初の山で、次が「10年」と言われる。
ようするに「完治」と言われる数字です。
厳しい宣告をされたらここまで命を区切られながら生活しないといけないのか、なにより苦しいことがあるわけです。
この「5年」「10年」は、自分の中であくまで「目安」としているものです
安心感は増えるかもしれませんが、完全には消えません。
自分たち家族にとってこの「3年」というのは、大きなものであり「あっという間」「濃密」でもあった期間です。
これからも先を考えていくのももちろん、「毎日を感謝」という当時の気持ちを常に持ち、生きていくことを忘れない。
今現在も、外来での診察を続けながら保育園・療育にも通いながら、日々過ごすことができています。
誰に似たのか・・毎日お調子者の鏡というほど笑わせてくれます( ̄▽ ̄;)
しなくてもいい姉弟ケンカも毎日のようにしています( ̄▽ ̄;)
それも途中まで「ありがとう」と思い見物していますが、やっぱりもうやめてくれとなります(笑)
全部ひっくるめて「ありがとう!!」
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