真顔がきつい件について
つい先日のこと。
ホームセンターでぐずる子どもをなだめるお母さんがいた。一人でさえ大変なのに、複数の幼児の相手をするとなると言わずもがなである。
かくいう私も、子どもたちの機嫌を取るのにてんやわんやになったことが幾度となくある。そして、そんな時に助けてもらえたりすると、本当にものすごく心が楽になるのだ。
そんなこともあり、困っているお母さんを見るとできるだけ、「何かすることはないかな?」と心を配るようにしている。
しかし、先日は思いも寄らない結果になった。
直接あやしたりはしないにしても、子どもがぐずっていると、物を落としたりしても見落としたりしがちだし、そういうのを確認するために一瞥したのだが、直後、
「なんで睨むの!?こわっ、おばさん!!」
と大きな声で言われたのである。
ちなみに、お母さんと目は合っていない。子どもが、小さな男の子二人なんだな、特にカートから落ちたりだとか危険なことはなさそうだな、というのが視認できたくらい。
他にも周りに人はいたが…タイミングと声の方向的に、私に投げかけられたセリフだと夫も私も認識した。
ショックだった。
「睨む」だなんて、毛頭も思っていなかったし、私にできるサポートはないか、と本当に思っていたからだ。
青天の霹靂、とはこのことだと思った。恩を売ったつもりはないが、仇で返された気分になった。
と、同時に、「あぁ、彼女はそこまで追い詰められているんだな」と思った。
育児は孤独である。休日の夜にワンオペをしているところを見ると、いつも一人なのかもしれない。
周りは家族連れが多いし、羨ましい気持ちもあったのかもしれない。夫が休日仕事だった期間もあるので、その気持ちはすごく分かる。
直後はただただショックだったが、冷静に考えると彼女は病的だった。普通は、もし、睨まれたと感じたとしても、口に出して言わないものである。
彼女は、自分以外の全てが敵に見えてしまうほど、追いこまれていたのかもしれない。余裕がない時ほど、卑屈な考えになってしまうものである。
そして、なぜ、「彼女は睨まれた」と感じたのか。それは、彼女が一番、自分を責めている証拠だと思う。
私は、件のセリフが叫ばれた時、なぜ私が彼女を睨まなければならないのか意味が分からなかった。一人でワンオペを頑張っているお母さんに対して、応援こそすれ、責める気持ちなど微塵も沸いてこないからだ。
しかし、彼女はそう感じていた。それは、彼女が一番、彼女自身を責めているからに他ならない。「通路の途中で止まって邪魔だ」とか、「子どもを泣かせてうるさい」とか、一番彼女が思ってしまっているのだと思う。
その時も私は、子どもを2人連れていたので、ワンオペの気持ちが分かると思ってくれてもいいものだ(私は勝手に、子育て中のお母さんは大体大変さが共有できる仲間だと思っている(笑))。でも、彼女は私を敵だと認識し、攻撃してしまった。そうやってしか自分を守れないほど、自分を責めてしまっているのだろう。
もちろん、どんな状況であっても、他人を理不尽に責めて良い理由にはならない。しかし、私はワンオペの辛さが分かるので、彼女を責めきれない。
彼女は、精神を病むほどに育児に向き合い、たった一人で頑張っているのだと思う。
申し訳ないが、攻撃されてなお救いの手を差し伸べるほど今の私には余裕がなかったので、いつか彼女に誰かの救いの手が届くことを願っている。
さて、タイトルに触れるが、私はこの一件で、「目つきが悪い」と何度か言われたことがあるのを思い出した。
子どもの頃に言われた以来だったので、すっかり忘れていたが、私は元々目つきがきついのだった。
年を取ってだいぶ柔らかくなった気もするが、似ている芸能人なんかを調べると、黒木メイサやら柴崎コウやら、THE・強面な女優が出てくるのである(ちなみに、結果はAIが無理やり絞り出したものなので、決して美人と言うわけではない)。
加えて、化粧をするときつさに拍車が掛かるのである(笑)。自分もそういう顔が好きなのかもしれないが、今回のように相手にマイナスのイメージを与えるのは良くないなと思った。
とはいえ、今から整形するわけにもいかないので、人と接するときはできるだけ笑顔を心がけるようにしようと思った。今までも微笑んでいたつもりだが、それでは足りないのかもしれないので…。
きつい顔で得をしたこともあるので(おじさんに理不尽なことをされない、痴漢に遭わないなど)基本の真顔はこのままでいこうと思うが、やはり好印象を与えるためには、口角を上げ、下弦の月のような目にするのが得策であろう。
急に変えるのも不自然なので、徐々に、できる範囲から。私は声も低いので、意識して高めに出そうとも思う。
日々意識していくことが、未来のおばあちゃん姿を作ると思って頑張ってみようと思う。
さて、ここからは推測であるが、なぜ私は真顔がきつくなってしまったのであろうか?
遺伝と言われたらそれまでだが、思い出したのが、私は家で笑うと怒られていたのだ。
厳密には、私が楽しそうにしていると、父の機嫌が悪くなるのである。私が楽しいのは大抵、父の関係ない事で、自分がいないのがそんなに嬉しいのか、と思われてしまうからだ。
自分の結婚式でさえ、ニコニコしていると「楽しそうだな」と言われてしまい、笑うのを我慢した。父の関係ないことで喜んではいけないのだ。
そのせいで、私は家で、特に父がいるときは笑わないようになった。私は絵と表情が連携してしまう人なので、いつも無表情の、暗い顔の絵を描いていた。母と兄に、「なんで暗い顔ばっかなの?」と言われたことがあるが、こんな家じゃ当たり前じゃないかと思っていた。
その呪いが、今でも残ってしまっているのかもしれないな〜と今回の件で思った。このことに気づかせてくれた彼女に、少し感謝している。お母さんが笑っていた方が、子どもたちにも良いに決まっているからだ。
自分が笑えないのは、寝不足とか、疲労によるものだと思っていたが、もしかしたら過去に固執しているからかもしれない。そう思うと、まだまだ実家を断ち切れていないのだなぁと感じた。
私は幸せでいい。幸せになっていい。私が幸せで、それを嫌がる人がいたとしても、私は幸せになるべきなのだ。これは、絶対に。
今日はこの辺で。
おやすみなさい、またあした。