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東京神田の偉人と三次もののけミュージアムの不思議なつながり

今回は広島と旅に関連する話で、鉄道と昔の要素はありません。

夏に東京に出張したとき、神田に宿泊しました。
出張のときはいつも朝に宿の周りを散歩します。

2024年筆者撮影

何気なく道端に石碑があり、気になりました。

2024年 筆者撮影

江戸の町人文化を描いた斎藤月岑(さいとうげっしん)という人がこの地域に住んでいたことを示す石碑でした。

斎藤月岑 石碑

石碑の文言

斎藤月岑(さいとうげっしん)は、文化元年(一八〇四)に、この地(神田司町二丁目)で生まれた。斎藤家は代々、神田の雉子町・三河町三丁目・同裏町,三河町四丁目,同类町 ・四軒町の六ヶ町を支配する名主であった。
十五歳にして家督を継ぎ、九代目市左衛門と称し、実名を幸成といった。祖父幸・父幸孝が手がけた大著「江戸名所図会」を完成させたほか、「東都歳事記」・「武江年表」など江戸 の町人文化を研究する上で欠くことのできない多くの著作を残している。江戸を代表する文化人であり、神田の誇りである。明治十一年(一八七八)三月六日永眠。行年七十五歳。
累代の墓所は東上野の法善寺にある。

平成十六年十一月吉日 月岑翁生誕二百年を記念して
 斎藤月岑顕彰碑を建設する会 ――――
この碑に使用した石は、江戸城跡の石の一部である。

秋に入り、広島県三次市のもののけミュージアムに行ったときに、この名前を目撃してびっくりしました。
「人面草紙」の筆者として、斎藤月岑の名前があります。

説明文
 「人面草紙」
「肉筆の絵入り本で、描かれているのは異形の人面 キャラクターです。「江戸名所図会」で知られる江戸 時代後期の著述家・斎藤月岑(一八〇四——一八七八)が二十四歳のときの戯作と考えられます。
作者の体験に もとづいた出来事や、江戸市中の年中行事、郊外への遊興 の様子などが、人面キャラクターの活動として、自由気 ままでときに滑稽に強調された筆によって描かれています。
妖怪をテーマにしたおもちゃ絵などが流行する なか、このようなキャラクターも生みだされたと考えられます。怖いものや新奇なものを求めた人々の意欲 によって、妖怪とその周辺分野は、新たな創作の対象となりました。」

三次もののけミュージアム

斎藤月岑は、もののけミュージアムに行った人は決して忘れないであろうこれらの愛嬌のあるキャラクターたちを生み出した人でした。もののけミュージアムのあちこちに彼らがいます。このセンスは、江戸時代のものとはとても思えません。今まで現代のものとばかり思っていました。

三次もののけミュージアムで撮影

世の中、どこで何と何がつながるかわかりません。やっぱり自分の目でみて、いろいろなものに興味をもってみるものだなと思いました。

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