楽曲解説 春の日の花と輝く
私が初めてハープに出会ったのが今から30年近く前の1995年頃。膝に乗せる小さなナイロン弦ハープで雨田光示先生から初めて学んだアイルランド音楽が「春の日の花と輝く」でした。何もわからないまま、楽しい曲なのかなと思い、勢いよく早く弾いていたら、「違う!アイルランドの暗~い空をイメージしてもっとゆっくり弾くように」と言われたのを思い出します。私にとって思い出深い一曲です。
この曲はハーバード大学の校歌 Fair Harvard や讃美歌467番「おもえば昔イエスきみ」などでもよく知られています。
小泉八雲の「ひまわり」
小泉八雲、ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn (1850-1904) の『怪談』に含まれる随筆「ひまわり」にもこの曲が登場します。7歳のハーンは、ロバートと一緒にゴブリンのような様相の下品なウェールズ人ハープ奏者が大きなハープで
Believe me, if all those endearing young charms, Which I gaze on so fondly to-day …
と弾き歌いをはじめるのを聞きますが、ハーンはそのアクセントや声に憎悪を抱き、「お前に歌う資格はない!」と叫びそうになります。しかし、次第に不思議とその声の魅力にひきこまれていき、気が付けば涙を流していました。ハーンはその男が恐ろしくて、嫌っているのにも関わらず、音楽の力で心を動かされてしまったことに怒りと恥じらいを感じたといいます。
後年、ハーンは高田村のひまわりを見て40年前のハープ奏者の声を思い出しました。それはこの歌の最後に、ひまわりが登場するからです。
As the Sunflower turns on her god, when he sets, The same look that she turned when he rose.
詩人トマス・ムーア
このラブソングを書いたのはアイルランドの国民的詩人トマス・ムーア Thomas Moore (1779-1852) です。「若さという魅力は妖精の贈り物のようにはかなく消え失せてしまうけれど、私の愛は変わらない」というような内容で、堀内敬三 (1897-1983) が「春の日の花と輝く」という素敵な訳詞を作りました。訳詞は調べたら出てきますので、気になる方はチェックしてみてください。私自身も齢を重ねることで、このような歌の良さが少しずつわかってきたような気がします。
ムーアは1807年『アイルランド歌曲集 Irish Melodies』の第2巻でこの曲を発表しました。10巻と1巻の補遺からなるこの曲集は、1807年から1834年にかけて出版され、ムーアは古いアイルランドの旋律に新しい詩を付けました。編曲はスティーヴンソン John Stevenson (1761-1833) や「埴生の宿」で有名なビショップ Henry Bishop (1787-1856) が担当していました。ムーア自身も、ピアノやダブリンのイーガンが制作したロイヤル・ポータブル・ハープ (1821) で弾き歌いをしていました。ムーアのハープは現在ダブリンのロイヤル・アイリッシュ・アカデミーに保存されています。
彼は、老ハープ奏者の演奏を採譜、編曲していたバンティング Edward Bunting (1773-1843) の知人で、ふたりは大変不仲でした。なぜなら、バンティングは苦労して収集した音楽をムーアが「盗んで」経済的な成功を収めたと考えていたからです。ムーアとバンティングとの確執について書くと大変長くなるので、ここでは割愛します。
ムーアの「春の日の花と輝く」の出典 My Lodging is on the cold Ground
ムーアはバンティングだけではなく、ホールデン等、複数のソースからアイルランドの民俗音楽を集めていました。アイルランドの音楽学者ボイデル Barra Boydell によると、「春の日の花と輝く」は「複数の出典が考えられるが、おそらく1797年に出版されたジョージ・トムソンの『スコットランド歌曲集』第4巻であろう」としています。ボイデルはこのように書いていますが、私が原典を確認したところ、この曲が収録されているのは第4巻ではなく、第2巻でした。
スコットランドのトムソン George Thomson (1757-1851) は詩人ロバート・バーンズRobert Burns (1759-1796) と『スコットランド歌曲集 A select collection of original Scottish Airs』(1793-7) を発表し、ハイドン Franz Haydn (1732-1809) やベートーヴェン Ludwig van Beethoven (1770-1827) にスコットランド、アイルランド、ウェールズ音楽の編曲をさせていました。
トムソンの曲集第2巻 75, 76ページにバーンズの Farewell, thou fair day という歌が収録されています。この詩に "My Lodging is on the cold Ground" (我が宿は冷たい地面の上)という旋律(エア)が付けられ、プレイエル Ignaz Pleyel (1757-1831) がデュエットに編曲しました。
「春の日の」に酷似したスコットランド音楽 I Lo'e Ne'er a Laddie but Ane [Happy Dick Dawson]
トムソンの曲集第4巻185ページには詩人マクニール Hector Macneill (1746-1818) の I Lo'e Ne'er a Laddie but Ane (私は一人の女性しか愛さない) という詞が "Happy Dick Dawson" というエアに付けられています。この曲が「春の日の」と大変似ており、注釈にも「このエアは "My Lodging is on the cold Ground" によく似ている。どちらかが真似したに違いない」と書かれています。
27弦の金属弦ハープで I Lo'e Ne'er a Laddie but ane, Happy Dick Dawson を弾いてみました。かなり似ていてほとんど同じ曲のようですが、ほんの少し違っていますね。
時系列でみる「春の日の花と輝く」が収録された資料
ドイツ系アイルランド人音楽学者フレイシュマン Aloys Fleischmann (1910-1992) が編纂した Sources of Irish traditional music c. 1600-1855 vol. I, II (1998) によれば、"My Lodging is on the cold Ground" の初出は1780年頃エディンバラで編纂された手稿譜 NLS MS 3340. でした。その後、ムーアまでの出版状況を調べると下記の通りで、主にスコットランドで繰り返し出版されてきたことがわかります。
1787-1803, James Johnson, The Scots musical museum, Edinburgh, [I loe na a laddie but ane]
1788, Corri and Sutherland, A new and complete collection of the most favourite Scots songs, Edinburgh, [My Lodging is on the cold Ground]
1790-97, James Aird, A selection of Scotch, English, Irish and foreign airs, Glasgow, [My Lodging is on the cold Ground]
1790, S. A. and P. Thompson, The Hibernian Muse: A collection of Irish airs, London, [Irish mad song]
c.1790, Edward Light, A collection of songs properly adapted for the Harp-lute, Lyre, and Guitar, London, [I lo'ed ne'er a laddie but ane]
1793-97, George Thomson, A select collection of original Scottish Airs, London [Farewell, thou fair day, Air, My Lodging is on the cold Ground]
1793, D. Sime, The Edinburgh musical miscellany, Edinburgh, [I lo'ed ne'er a laddie but ane, My Lodging is on the cold Ground]
1799, The Vocal Magazine, Edinburgh, [My Lodging is on the cold Ground]
1804-16, O'Farrell, London O'Farrell's Pocket Companion for the Irish or Union Pipes, [My Lodging is on the cold Ground]
1807, Thomas Moore, A selection of Irish Melodies, Dublin and London
1790年のS. A. and P. Thompson の The Hibernian Muse で "Irish mad song" というタイトルで紹介されているのが興味深いですね。 上記の曲はすべて現在知られている「春の日の」と同じ旋律で、18世紀後半のスコットランドで "My Lodging is on the cold Ground" というタイトルで広く知られていたことがわかります。
オリジナルの My Lodging is on the cold Ground (1664)
実はこの「我が宿は冷たい地面の上 My Lodging is on the cold Ground」というタイトルはより古い時代にさかのぼります。
1664年、イングランドの詩人ダヴェナント William Davenant (1606-1668) が喜劇 『恋敵 The Rivals 』を作りました。これは、シェイクスピア William Shakespeare (1564-1616) とフレッチャー John Fletcher (1579-1625) 合作の 『二人の貴公子 The Two Noble Kinsmen』 (1613頃上演) の改作です。ダヴェナントの劇中に登場するのが、 My Lodging is on the cold Ground という歌でした。1667年にモル・ディヴィス Mary Moll Davis (c. 1648 – 1708) がこの歌を歌い有名になりました。モルは英国王チャールズ2世(1630-1685) の愛人となった人物で「彼女があまりに美しい声で歌ったので、冷たい地面から宮廷のソファに行くことができた」と言われています。
ところで、讃美歌467番の「おもえばむかしイェス君」の曲名はDAVENANT, 作曲者として William Davenant (1606-68) と書かれています。しかし、上述のとおりこれは誤りで、ダヴェナントは My Lodging is on the cold Ground の作詞をした詩人で、作曲を担当したのはマシュー・ロック Matthew Locke (1621-1677) でした。
ロックの曲は1665年にプレイフォードが 『舞踏教師 The Dancing Master』第3版の第2補遺で出版しました。後に、英国の作曲家バントックGranville Bantock (1868-1946) の One hundred songs of England (1914) にも収録されています。
ロックの My Lodging is on the cold Ground (1664) を20弦の金属弦ハープで弾けるようにアレンジしたのでお聞きください。一部変則調弦(スコルダトゥーラ)を行って、臨時記号の音を弾けるようにしています。
この旋律を聞くと、私たちがよく知っている「春の日の花と輝く」、あるいは先ほどお聞きいただいた I Lo'e Ne'er a Laddie but Ane [Happy Dick Dawson] とは全く異なっていることがわかると思います。つまり、讃美歌467番の作曲者はダヴェナントでもロックでもなく、正確には作曲者不詳でアイルランドかスコットランドの民謡と思われます。おそらく、ダヴェナントの My Lodging is on the cold Ground の詞を歌う旋律が、18世紀のスコットランドで置き換わってしまったのだろうと思います。ひょっとしたら、スコットランドの Happy Dick Dawson というエアが関係しているのかもしれませんが、確証はありません。
譜面の紹介とチップのお願い
「春の日の花と輝く」は私が編纂した『20弦ハープで奏でる366の曲集』第39番、『12弦ハープのための333の曲集』第121番、『8弦ハープのための曲集24』第1番に収録されています。
「春の日の」は1オクターヴしか使わないので、8弦の小さなハープでも弾くことができます。
記事をご覧いただきありがとうございました。よろしければチップをお願いします。特典として、私が金属弦ハープのために編纂した下記5種の譜面をダウンロードできます。4番、5番は未発表の譜面です。
Believe me, if all those endearing young charms(春の日の花と輝く) 8弦用
Believe me, if all those endearing young charms(春の日の花と輝く)12弦用
Believe me, if all those endearing young charms(春の日の花と輝く)20弦用
I Lo'e Ne'er a Laddie but Ane (私は一人の女性しか愛さない) 20弦用
My Lodging is on the cold Ground(我が宿は冷たい地面の上)20弦用
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?