楽曲解説 4つの「引き潮 Dislyll y Donn (The Ebb of the Tide)」
ウェールズの伝統音楽に「引き潮 Dislyll y Donn (The Ebb of the Tide)」という曲があります。出典はウェールズのハープ奏者、考古物愛好家、民俗音楽収集家エドワード・ジョーンズ Edward Jones, Bardd y Brenin (1752-1824) が 1784 年に出版した曲集 Musical and poetical relicks of the Welsh bards です。「王のハープ奏者 Bardd y Brenin」 というあだ名(バルズ名)が示すように、英国王ジョージ4世のハープ奏者でもありました。
8分の6拍子で Gayly という指示が書かれています。はじめにメロディーが書かれて2段目からはウェールズ語の歌詞も書かれており、歌だったことがわかります。この曲は John Thomas, Ieuan Ddu (1795-1871) の Y Caniedydd Cymreig, The Cambrian Minstrel (1845) にも Y Glecwraig, The Town Shot という歌として単旋律で掲載されています。 いずれも IMSLP から入手可能です。
何よりも特徴的なのがその調号です。フラットがひとつついていて、通常はBの音に付けるはずなのに、Eの音についています。これについて、ジョーンズは「古いウェールズ音楽に特有のキーでゴガワイア Gogywair と呼ばれる。Eb または、主音から3番目の音を半音下げるものである」と注記しています。
このような音階なのですが、要はハ短調の旋律的短音階の上行と言い換えることもできます。「ゴ・ガワイア」は "Sharp tuning" という意味で解釈されています。
ジョーンズのアレンジは時折 E をナチュラルに戻していたりするので、ダイアトニックなハープでは少し弾きにくいです。譜面に近い編曲で弾いてみたのがこちらです。1オクターヴに8つの弦がある特殊なハープなので、EとEbの音が弾けます。
次は、ダイアトニックな20弦の金属弦ハープでの演奏。先ほどのようにEをフラットにしたりナチュラルにするのが面倒なので、全部フラットにして弾いてみました。あまり違いが判らないと思いますが、ものすごく弾きやすくなっています。これが実用的なアレンジだと思います。
ちなみに古いウェールズのハープ音楽には5つの主要な調弦法と、ひとつの正統的な調弦法がありました。Robert Evans によると次のように解釈されています (Welsh Music History, vol.3, 1999, わかりやすく1オクターヴだけにしています)。調弦法は諸説あって、必ずしもエヴァンスの解釈が正しいとは限りません。たとえば、ウェールズ人ベネディクト会修道士、グウィリム・ピューGwilym Puw (c. 1613-c.1689) が1676年に編纂したノートには「ゴ・ガワイア」はFに#が付けられたいわゆるGのキーとして書かれており、昔から混乱して伝えられていたようです。
1613年に編纂された『ロバート・アプ・ヒュー手稿譜 Robert ap Huw MS.』には上記を含めて17種類もの調弦法が書かれています。途中でいきなり低くなったりする調弦もあったり、ものすごく面白いのですが、とっても長くなるので今回は割愛します。
次に、この曲を別の調弦で弾いてみたらどうなるんだろうと思い、「トロ・タント」と「イス・ガワイア」を組み合わせた低音にBbを入れるアレンジで弾いてみました。かなり印象が変わって面白いかと思います。
古いウェールズのハープ音楽では同じ曲を違う調弦で弾いていた証拠が残されています。『ロバート・アプ・ヒュー手稿譜』(c.1613) に記録された「カニアド・サン・シリン Caniad San Silin」という曲の終わりには、「『カニアド・サン・シリン』は tro tant、あるいは is gowairで演奏するのがより良い」と記されています。つまり「どちらの調弦法でもかまわない」と記されているのです。このように、ウェールズのハープ音楽では、ひとつの曲に対する調弦法は厳密に固定されていなかったのです。
最後に私が一番気に入っているアーチドハープのアレンジをお聞きください。サムネ画面に korffiniwr 11001011.11001011 という数列が書かれていますが、これは古いウェールズのハープ音楽で「24のメジャー」として知られていたものです。ちなみに私の修士論文のテーマはこれでした。
24のメジャーとはウェールズのバルズ(職業的詩人兼音楽家)が知っていなくてはならない音楽理論で、音楽を作り、理解するために必要不可欠なものとみなされていました。2種類のコードの交代と考えられており、1はカウェイルダント Cyweirdant と呼ばれ「主要な弦」を意味します。0はタニアド Tyniad と呼ばれ「引っ張ること」「ドミナント」を意味していると解釈されています。今回はその中からコルフィニゥルというメジャーを使って伴奏を付けてみました。
お聞きいただいてわかるように「ぶんぶん」とマルハナバチの羽音のような響きがすると思います。弦の下のきのこピンを弦に触れるか触れないかの場所に調整することでこのようなブレイ音を出すことができます。ブレイハープは17世紀以前のウェールズで広く用いられていた楽器でした(ここで弾いているアーチドハープはより古い時代のものです)。
1613年に編纂された『ロバート・アプ・ヒュー手稿譜 Robert ap Huw MS.』をブレイハープで弾いた動画もあるので、次回詳しい解説記事を書いて紹介したいと思います。
ここで紹介した曲を弾いてみたいと思われた方は、横浜と京都でハープ教室を開講していますので、よかったらお越しください。