【#生きる音楽】僕たちは僕たちの生き方しかできない
半年ほど前に、友人がこの曲にハマっていると言い出した。
もちろんこの曲は知っていた。
そうなんだ。懐かしい曲にハマってるねと思っていた。
先日たまたま、和訳付きの動画が上がっていたのでみてみた。
「その他大勢」で守りに入ってんじゃねーよ
社会にうまく馴染めない友人が多い。
「それは変だよ」
そんな心ない言葉に傷つく友人が多い。
僕の友人たちは何も悪くない。
ただ自分に正直で、
自分が心地いいを知っていて、
自分に素直であるというだけ。
それを否定することは世界中の誰にもできない。
でも社会という大きな意識は、それを真綿で絞めるようにゆっくりと否定する。
オレなりのビートに合わせて行進する。それが唯一のやり方。
僕たちには僕たちのリズムがある。
生きることも、生活を営むことも、働くことも、恋をすることも。
多様性なんて言葉は嘘なんじゃないかってくらいSNSの世界ではみんなが同じ方を向いている。
「SNSで稼ごう」
「SNSを活用しよう」
「会社員ではない生き方を。」
「これからは個の時代だ」
別にどれも間違ってないと思う。
ただ全員が同じ方向を向く必要があるのだろうか?
先日、ある方にこんな質問をされた。
「FacebookとTwitterの違いってなんだろう?」
僕は少し考えてこう答えた。
「どちらもリア充をアピールしあっている。でもTwitterは特に【成功】を、Facebookは特に【幸福】をアピールしてる」
それが僕の結論。
誰かにアピールするためにあなたはその「成功」や、「幸福」を手に入れたのだろうか?
誰かへの感謝のためにその投稿をするならわかる。
でもただ自分のようにみんなも頑張りなよ。と言っている風に見えてしまう。
そして僕はどうしてもそこに馴染めなかった。
所詮マイノリティー。
そう言えばそれまで。
でもマイノリティという言葉が存在するくらいだから、いつの時代もそういう人はいたのだろう。
こんな生き方しかできないけどな
相手にされなくても 型を破ってやる
迷いなく抜きんでてやる
こんな生き方しかできないけどな
誰かに相手にされるために僕たちは生きているのではない。
僕は僕のやりたいことのために生きている。
相手にされないことも、
蔑まれることも、
陰口を言われることもあった。
そしてそのたびに傷ついていたりもした。
だからその度誰かを否定したりしていた。
それからいろんな人と出会って、
数少ないながらも僕のことを友人と言ってくれる仲間に出会うことができるようになった。
だから今でも傷つきはするけど、心の深くまで傷つくことは減った。
もう僕は前に進むしかないんだ。
足元を見つめて。
走らなくていい。
確実に歩を進める。
追い風に喜ばない。
向かい風に負けない。
つまづいたら立ち上がるのではなく、つまづかないように普段を丁寧にする。
ペースを守る。
誰かと競っているのではない。
自分のために、自分を積み上げる。
ただそんなことをブレずに続ける。
自由ってみんなのためのものだろう
アイツらホントいい加減にしろよ
お前はお前自身の味方であればいい
稼いだ人に会うと、
「僕の月収は7桁。」
とかいう人が普通にいる。
で?
僕はあなたの月収の話を聞きたいなんて一言も言っていない。
僕が個人で仕事を始めた頃に本当にこういう人に多く出会った。
どんな価値の基準を持っていようが自由だ。
たぶん月収7桁の男の価値基準は月収なんだろう。
それでもいい。
でも僕らにその基準を押し付けないで欲しい。
自由ってみんなのためのものだから。
誰の基準で生きる必要もない。
ただ自分の基準をしっかり持つ。
それもなく不幸を嘆くのは幼すぎる。
自由ってみんなのためのものだから。
小学生のときの担任の先生の言葉で忘れられない言葉がある。
「自由には責任が伴う」
今でもこの言葉を思い出す。
それでいい。
誰かと同じじゃなくていい。
あなたはあなたでいるだけで素晴らしい。
だからあなたはあなた自身の味方でいて欲しい。
なぜなら、僕たちは僕たちの生き方しかできないから。