【#生きる音楽】あの子とギブス
ギブスは大学時代に好きだった女性の十八番だった。
彼女がカラオケでこの曲を歌う時はいつも
「高いんだよね。この曲。」
と言ってから歌っていた。
彼女とはバンドも一緒にやった。
僕が組むバンドで僕はいつもバンマスでかつ調整役だった。
スケジュール調整も、練習曲を準備するのも、スタジオを予約するのも僕。
そんな僕を彼女は理解してくれていた。
「私はあまりバンドをやったことないからわからないけど、今野くんがいるからバンドとかできるんだよね」
まだ地下になる前の渋谷駅のホームでこの言葉をいわれたことを鮮明に覚えている。
彼女は少し精神的に脆い女性だった。
すごくストイックだったし、とても魅力的だったけど彼女は自分に厳し過ぎた。
大学が忙しかったからいつも重い荷物をもって朝から晩まで学校にこもっていた。
僕はいつも彼女が心配だった。
よく話をしていたし彼女を理解しているつもりだった。
その年のクリスマスは彼女と過ごした。
江ノ島で夜景をみた。
結果的に僕はフラれた。
独りよがりな恋だったし、それは相手を傷つけることを僕は学んだ。
「あなたはすぐに写真を撮りたがる。」
当時の僕は写真が嫌いだった。
撮られるのがということだ。
うまく笑えないし、いつも僕は変な顔で写真に写っていた。
「だって写真になっちゃえば私が古くなるじゃない」
すごい視点だと思った。
写真は記憶を切り取り記録するもの。
僕はそう思っていた。
でも何故か写真を嫌いな自分をうまく肯定できなくて。
でも椎名林檎という女性の視座、視点、言葉選び。
それによって僕は自分を肯定してもらえた気がした。
「また四月が来たよ 同じ日のことを思い出して」
四月に何があったのか僕には判らない。
人には思い出す季節というのが常にあって。
僕らは季節の風、風景、匂い、はたまた写真。
そんなものに感情を揺さぶられている。
「明日の事は判らない。だからぎゅっとしていてね。」
ギブスの中で僕はこの歌詞がとても印象に残っている。
明日なんてわからない。
今をあなたとすごせること。
それはとても尊くて。
それはとても儚くて。
それはとても刹那的で。
「だから」
この接続詞にとても深い意味がある。
少女のようなその願いと少しだけ大人なこの瞬間をともに過ごしたい。
そんな気持ちがこの言葉に現れている。
僕の好きだった女性が今何をしているのかはわからない。
今も歌を歌っているのか。
30歳の彼女がどうなっているのか。
僕は元気でいてくれればそれで良いと思う。
会いたいと思わないわけではないが、
彼女は僕にたくさんのステキな思い出をくれた。
それは僕の心の中に色褪せない写真として残っている。