雨上がりの音楽
今年の梅雨寒は厳しいものがある。
6月から低気圧に翻弄される毎日。
なんとなく頭が重く、思考もままならない。
先日もツイートしたが、とにかく6月は体調が悪かった。
1つは低気圧。2つ目が薬をサボった。
実際、鬱の症状は基本的に今はない。
特に寝れないこともないし、気持ちの上下もない。
だから薬を自分でやめてみた。
これが良くなかった。
メンターにも黙ってやめてて。
でも限界がきた。
6月のある日、1ヶ月ほど薬を飲んでないことを話した。
「よくがんばったね〜」
驚きしかない。
この人はどこまで大きな人間なんだろうと思った。
僕はすぐに病院に行き、薬を再開した。
電車に乗っているとイヤホンから日食なつこの水流のロックが流れてきた。
久しぶりに曇り空から晴れ間が見えていた。
雨上がりというわけではないが少し雨と埃が入り混じった匂いがする。
電車のドアが開くたびにその匂いがいろんな記憶にアクセスしてくる。
梅雨は苦手だけど、音楽との相性はいいなと思ってる。
雨上がりに音楽を聴きながら散歩するのが僕は好きだ。
低気圧について調べている時に無理に外に出ないで休みましょう。という記事があった。
その通りなんだろうけど、僕はドライブに出かけることが多い。
なんとなくラジオを流してフラフラと運転をする。
最近は釣りに行くことが多いから山によく行く。
渓流近くのコンビニは大概、年配の方の社交場になってる。
異常に広い駐車場に軽トラが自由な形で停まっていて、イートインでコーヒーを飲みながらズッーと話している。。
僕は大体、それを脇目に見ながら外でタバコを吸っている。
別に釣りしても、場所代もかかるし、高速代もかかるし、結局支出ばかりが増える。
でもなんとなく山に行ってぼーっとラジオから流れてくる、自分では選ばない音楽を聴いているのが心地よかったりする。
今月に入って #せいかつ編集サロン で吊るし上げzoomが始まった。
僕の吊るし上げだ。
サロンメンバーから1ヶ月フィードバックや質問をもらい、zoomで直接意見ももらえる。
これがこのタイミングで本当に良かったなと感じている。
三年計画を立てたのが2018年。
きっかけは石井ゆかりの占いだった。
なんとなく、文章が心地よくて好きだった。
その折り返しが今月。
そんな節目にこの吊るし上げに選ばれたこと。
本当にうれしく思った。
そんなわけで久しぶりにnoteを書いてみた。
合わせて今日はとっても気づきの多い1日となった。
自分の当たり前はもちろん他人の当たり前とは違くて。
自分の普通ばかりを信じていると良くないということを深く気づくことができた。
具体的でなくて申し訳ない。
糸井重里が何かの文章で、
「今の時代って具体化の時代でしょ?でも具体的になったらおもしろくないんですよ」
と言っていた。
確かにそういうところもあると思う。
ビジネスの場面ではもちろん具体的なことが重要である。
でももっと大事なのは人と人とが関わって仕事というのは成り立っているということ。
まだ自分自身の答えはないけど、その中には抽象的で感情的な部分が常にあって、実はそういうところを言語化しようと世の中にはたくさんのビジネス本や自己啓発本などが出ているのではないだろうかと感じた。
結局、何かに偏るわけでもなく。
柔軟な気持ち。
そんな幼稚園で教わるようなことが大事なんだなと。
僕は具体化することを面白いと思ってしまうし。
でも茨木のり子の詩集を読んであたたかい何かを受け取ることもある。
ヨシタケシンスケの絵本を読んで、生きることについてハッとすることもあるし。
アンパンマンのマーチを聞いて涙することもある。
同時にすべてはできない。
でも兼ね備えたようなそんな人になりたい。そんなことを思う。
欲張りだな。
この一言に今日という日は集約される。
僕は本当に欲張りだ。なんでも知りたい。深めたい。
押し付ける人にはならないつもりでいたけど、無邪気に相手を傷つけることもある。
まるで幼い子供のように。
まだ答えは出ないし、身体は素直に不調を訴えている。
「水流のロック」を聴きながらこの文章を書いていて、どこに最初打ち震えたのか考えた。
余白だった。
隙間だらけのピアノとドラムの音。
そこに柔和なメロディが吹き抜けていく。
PVの滝がとても涼しげで。
夏はいつ来るんでしょうね。
そろそろ寝ます。
身体も大事に。
人も大事に。
そんな1日。