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幸せとは、するべきことがはっきりすること。

お疲れ様です。

久しぶりのnoteです。

本当は4月の振り返りも書きたいんだけど、とりあえず今は思ったことをつらつらと。


最近は何かと忙しい。

何かとってところが重要。

仕事も遊びもプライベートも趣味も。

こないだ、バイオリニストの高嶋ちさ子が

「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」

って言ってました。

素敵な言葉だなって。

そう思えるくらいにはなったんだなって。

そういえば、僕音楽を始めるんです。

心から素敵だと思えるボーカルに出会えて、話し合った結果、活動することになりました。

このアカウントとは関係ないけどそんな報告。


仕事の方は、この数ヶ月をまとめる資料を今作ってます。

新たなお仕事ページですね。

今回僕はこのお仕事ページにいろんな人からFBをもらっています。

サロンの人もオフラインの人も、プライベートの友達も。


最近の話をすると僕は勢いにのっていました。

こんな話はわざわざ書くことじゃないんだけど書きたいから書く。

いろんな人に活動を知ってもらえたり、興味を持ってもらえたり、仕事も少し増えました。

うれしかった。

僕は否定の環境で育ってきたと思ってる。

これは自認でしかない。

でも僕の主観がそう判断するんだから、そうなんだと思う。

だから、初めて仕事とか自発的に始めた活動を他者から評価してもらった。

そんな日々だった。

ある日、今のサービスを資料にしようと思い立った。

人に説明するのにその方がわかりやすいから。

スタートしてみると僕の考えはなんて甘かったのだろうと思うことばかりだった。

コンセプトを作ること、なぜ今のサービスを始めるのか。

もちろんそれは、昨年の12月の段階でしていた。

でも浅かった。今見返すとツッコミどころ満載。

ワークのノートはみるみる赤ペンで埋まっていった。

新たなワークと内省を繰り返す。

図解も作っては消し、作っては消しを繰り返した。

そして僕は完璧主義の渦に飲まれていった。

ぐるぐると深夜までパソコンに向かう日々。

モノを作ること。それは僕にとってとても楽しいことである。

と同時に暗い暗い闇の中でもがく行為でもある。

昼間はクライアントと会ったり、仲間や友人と情報交換をしたり何気ない会話をするから忘れられる。

移動の電車内ではメッセやlineの返信をして、また人に会って、帰宅する。

食欲もどんどん落ちていった。

寝る時間は、体力的に疲れているので確保できたがやはり数日に一度は電源が切れるような日がやってくる。

そんなことを続けていてふと気づいた。

「自己開示」

この言葉を思い出した。

昨年の2月に僕は動き出した。

そのきっかけが自分のことを他者に話すことだった。

僕は作っていた資料を一度手元から手放すことにした。

そして友人達に連絡を取った。

すぐに反応が集まった。

なるほど。

僕が必要じゃないと思っていたことがみんなは聞きたいのか。

そんな発見でいっぱいになった。

そして僕はまた作業に没頭した。

僕は今楽しいのである。

そして僕はまた完璧主義の渦に飲まれていった。

バカだというかもしれない、愚かだというかもしれない。

でも僕はこの完璧主義と付き合っていくことは覚悟している。

だから渦に飲まれて気づく。

そして今日また渦から顔を出し、水面で助けを求めた。

そして手を差し伸べてもらった。


若干話がそれるが読んでほしい。

先にも書いたように僕は勢いにのっていた。

それは成長を実感していたからだと思う。

ちょうど1年前の5月。僕はフリーランスになるための講座を受けた。

受講中、僕は作業をしなかった。

劣等生だとも言われた。

1つ、厳密に言うと僕は「作業が出来なかった」

なぜなら作業をする心構えがないのである。

マインドの面でこうしよう!がないのである。

作業というのは、「よし!これをやろう!」ということが明確に見えて初めてできると思っている。

目標に対して、現状とのギャップを埋めるために作業をして、自らを成長させたり、仕事に取り組んだりする。

僕は、現状も分からなければ、目標もなかった。

結局それ以前の段階でその講座を受講してしまった。

だから、今だにその頃の僕を知る人は僕を「作業をしない人」という目で見る。

まぁどう見ても、いい印象ではない。

しょうがないと思っている。

だって事実そうだったのだから。

だから最近当時の人と出会うと驚かれることも多い。

しかしながら、いつまでも当時の目で見る人もいる。

それは僕にはどうしようもない。その人の決めることである。

それでも、周りの目など気にならないくらい、僕はうれしかった。

作業できる。

それは本当に幸せなことなのである。

先日読んだ本にこんな一節があった。


「幸せとは、するべきことがはっきりすること。」


まさにそうなのだと思った。

話を戻す。


先日こんなツイートをした。


僕は、仕事や作業ができる喜びを日々感じていた。

そして先ほどから書いている勢いにのるという言葉。

僕はこの言葉をここで否定する。

勢いにのっていたのではない。

ただ張り詰めて、視野を狭くしてがむしゃらに動いていただけなのである。

それに気づいた。

幸せの意味を間違って捉えて、視野を狭くして、1人でわかった気になって作業をしていたのである。

だから僕は苦しくなった。

そして僕は水面に浮かび、差し伸べられた手を掴んだ。


少し話が飛躍するが人生とはこういうことの連続な気がする。

間違う・転ぶ、助けを求める、誰かの手を掴む。

これを繰り返して人は一生を終えていくのだと思う。


先日受けた質問で、

「満足感の終わりはいつ得られるのですか?」

と聞かれた。

僕はその場で数秒考えた。そしてこう答えた。

「生命が終わる時です。」

現状の僕の答えはこれである。


はっきりいって怖いことも多い。

というかほとんど不安だらけだ。

そして一歩めはみんな何よりも不安だ。

もちろん育ってきた環境もそれぞれ違う。

いろんな人が交わって社会はできている。

フリーランスになって、会社に勤める人も、フリーもパラレルも多数交流したが全てがみんな違う。

でも僕はそんな人たちが困った時に寄り添いたいと思っている。

昔の僕に寄り添うように。

だから今のサービスを作った。

その話は新しいお仕事ページでしますね。

よければ読んでみてください。


GWも #無理せずで



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