【#生きる音楽】恋したことすら後悔してる side A
仕事帰りにここに来るのは何度目だろう。
妻がやめたと思っている煙草に火をつける。
深夜の桜木町にはカップルもおらず僕はベンチで1人煙草を吸っていた。
目の前に広がる人工的に作られた海は静かに凪いでいた。
子供が生まれて一年。
赤ちゃんなんて生まれた時はみんな同じ顔だと思っていた。
でも生まれてきた小さな命は明らかにこれまで見たどんな赤ちゃんより愛おしかった。
子供を作る予定はなかったし、まだ結婚する気もなかった。
自分の気持ちにも気づいていたから。
ある日彼女に「妊娠した」と言われた。
何かの間違いだと思った。
僕は自分のこれまでの行動を振り返ったが、子供に関して細心の注意を払っていた。
でも何かしらの理由がなければ現象は存在しない。
そして彼女はとても嬉しそうだった。
僕は考えた。
でも答えは出なかった。
彼女に対して悪い想像が浮かばなかったわけではない。
でも。
その言葉の先は僕には言えなかった。
そして子供の命を奪うことも考えられなかった。
そして僕らは結婚した。
大学時代。好きだった女性がいた。
彼女とは大学入学してすぐに知り合い、僕らは付き合い始めた。
明るく元気な女性だった。
好みの女性のタイプは?
そんな質問に今でも「明るく元気な女性」と答えてしまう。
彼女のためによく食事を作った。
料理付きの友人によくレシピを教えてもらっては彼女に振る舞った。
彼女は美味しく食べてくれた。
「こんなにおいしいものばかり食べてたら太る!嫁にいけない!絶対結婚してよね!」
よくそんなことを言っていた。
深夜まで映画を見て、明け方まで愛し合う。
そんな享楽的な恋愛が僕の日常の全てだった。
大学2年の春、彼女はバイトを変えると言い出した。
「私も料理覚えたい!」
そんな彼女を微笑ましく見ていた。
バイト先は個人経営の飲食店。
彼女は研修という名のもとでひどい働き方をさせられていた。
僕と会う時間も減っていき、
あんなに健康そうだった彼女は、だんだんと痩せ細っていった。
明らかに彼女の様子はおかしかった。
そして僕は心療内科を勧めた。
最初は病院に通うことを嫌がったが僕もついていき、彼女は診察を受けた。
薬の副作用で彼女の情緒はどんどんと崩れていった。
僕の部屋で眠り続ける日もあれば、ただただ僕の腕の中で泣き続ける日もあった。
そんな彼女を見ていて僕も限界だった。
後から知ったことだが彼女がバイトを変えた理由は僕へのプレゼントを買うためだったらしい。
僕は自分を責めた。
何を責めているのかわからなくなるほどに僕は自分を責めた。
そして僕は自分を守るために彼女と別れるという決断をした。
今の結婚に後悔がないかと言えば嘘になる。
僕は今でもあの子を愛している。
あの子が結婚したことも風の噂に聞いた。
でも奥さんの人生と子供の人生を壊してまで、彼女のもとに走る勇気が僕にはなかった。
どこまでも僕は自分を恨んだ。
もう一度。
もう一度。
何度そんなことを思っただろう。
でも僕にできることは彼女に告白して、はじめてのデートで来たみなとみらいに来て煙草を吸うことぐらい。
秋になり、ここも冷えるようになった。
ふと左腕を見る。
そこには、あの子が必死にバイトをして買ってくれた最後のプレゼントの腕時計が光っていた。
もう日付が変わる。
僕の結婚生活が偽りなのかどうか。
それは僕にもわからない。
でも1つだけ言えることは、
僕はあの子を今でも愛しているということである。
家に帰ろう。
僕は思い出の桜木町から家路についた。