見出し画像

「ヒストリカお座敷」「清少納言は椅子に座れなかったか?ーアニメーションの身体性表現が捉えた『枕草子』の時代ー」レポート

はじめに

2024年1月28日開催「京都文化博物館京都ヒストリカ国際映画祭のカンファレンスイベント」片渕須直監督の講演 「清少納言は椅子に座れなかったか? ーアニメーションの身体性表現が捉えた『枕草子』の時代ー」 に行ってきました。

以下私の感想も含めてレポートします。
片渕監督のご発言の部分は記憶によって記載したものです。発言そのままではありませんので私が受け取った大意くらいでご理解ください。特に筆者がうろおぼえで自信がない部分は記載していません。
また、記憶違いや誤りがあるかもしれませんがご寛恕ください。言うまでもなく文責は全て筆者にあります。

最初にパイロットフィルム上映があり、その後、三巻本と能因本の成立について簡単な説明がありました。

"枕"の由来について

パイロットフィルムの描写も念頭においてのことか「枕元で書いた、或いは読んだ」ことから。とのお話でした。

"枕"の由来は、古来より諸説あって定説ありませんが、片渕監督のご意見はそのままで素直なものだと思います。
私は、北村季吟「春曙抄」他の『枕詞/歌枕から』がやはり説得力あるように思いますが、 春曙抄にもある「枕にこそし侍らめ」(枕にいたしたいものでございます)と清少納言が言って、中宮から書く紙をもらったから。という説は片渕監督のご意見に近い見方だと思う。
「枕にこそし侍らめ」の「し」があるのは能因本であって、三巻本にはないので旗色は悪いが、枕詞/歌枕説より中宮との関係も表して雅である。

題號を枕草紙といへる心は、此草紙に「ことことなる物」、「めでたき物」など枕詞をかきて、さてそれそれと書きつらねられたれば、枕草紙といへるにや。但し、此草紙の奥に云ク、「宮のおまへに内のおとどの奉り給へりしを、之に何をかかまし。うへの御前には、史記といふ文をなんかかせ給へる、とのたまはせしを、枕にこそはし侍らめ、と申ししかば、さはえよ、とて賜はさたりしを、あやしきを、こよ何やと、つきせすおほかるかみのかすを書きつくさんとせしに、いと物おぼえぬことぞおほかるや」と云々。枕にこそし侍らめとて、申しうけたる物にかかれたる草紙なれば、ま くらざうしと、申し侍るなるべし。

枕草子春曙抄 上 (岩波文庫)北村季吟, 池田亀鑑 校訂 岩波書店S22 ※太字は筆者による

また、池田亀鑑説(岩波大系本補注263)の白氏「白頭老監枕書眠」によるとするのも牽強の感なしとしないが、大系本補註にあるように、想像される中宮や清少納言の落魄の境遇を思えば説得力がある。

白楽天全詩集 第2巻 (佐久節訳注、日本図書、S53)

このことについては、「枕草子に関する論考」(中古国文学叢考第一分冊)中に詳説してある。長徳二年初秋の頃、小二条宮における中宮の御生活は寂寥を極め、「秘省後庁」の詩の自然的・人事的背景は、とりもなおさず、その御生活を暗示するものといってよい。作者はそのことを「枕」の一語に託して、こうお答えしたと考えられる。なお能因本には「枕にこそはし侍らめ」とあるが、「し」が本来あったものかどう かは疑問である。三巻本の本文を重視したい。

「枕草子 紫式部日記」補注263(日本古典文學大系19、池田亀鑑・岸上愼二・秋山虔校注、岩波書店、1958)

なお、契沖に「枕にするばかり身に近くもてあそぶといふ心であらう」というのがあることが知られています。

枕草子跋文について

パイロットフィルムに登場する跋文について、能因本にのみある部分である旨の説明がありました。
そこまで詳しくおっしゃられませんでしたが、 能因本のみにある「筆も使ひ果てて、これを書き果てばや」の文を指してのことと思われます。

「つるばみ色のなぎ子たち」パイロットフィルムより

「筆も使ひ果てて、これを書き果てばや」は、能因本(第一類三条西家本)にあり、三巻本(第一類、第二類とも)にはありません。

伝能因所持本(A)第一類(三条西家旧藏本)
物ぐらふなりて文字もかゝれずなりにたり。筆もつかひはてゝ、これをかきはてばや。此さうしはめに見え心に思ふ事を人やはみんずるとおもひてつれづれなるさとゐのはどかきあつめたるに
三巻本第一類(宮内庁書陵部図書寮蔵本)
此双紙めにみえ、心に思ふ事を、人やはみんとするとおもひて、つれづれなるさとゐのほどにかきあつめたるを、
第二類(刈谷図書館蔵本)
このさうしめにみえ心に思ふことを、人々は見んとすると思ひて、つれづれなるさとるのほどにかきあつめだるを、

「枕草子本文の研究」 四 枕草子跋文の研究(田中重太郎、初音書房、1960)※太字は筆者による

なお、上述の能因本、三巻本双方にある「つれづれなるさとゐのほど」の文言がパイロットフィルムで省略されている理由は不明です。或いはそういう版があるのかもしれないが、管見では見つけられませんでした。

女房装束について

設定資料を元に帷子からびらひとえうちき(五衣)ー袿(表着うわぎ)やについて説明がありました。 

「プレミアムカラー国語便覧」(数研出版、2020)
「プレミアムカラー国語便覧」(数研出版、2020)

帷子について

一番下に着る白い帷子(=下着)について、 袖が今の振り袖と違い、胴の部分に下まで縫い付けられていたこと、 袿に手を通したままだと細かいことはやりにくいこと から、女房たちはあわせの所から、帷子を着たまま手を出していたことを幾つかの資料からご説明されていました。
画像は源氏物語絵巻「柏木一」から。(監督がこれを示されたのではありません。)
そのことから、今までの設定では、白い帷子が外から襟の所に見えていたのを、見えないように修正(修正中)とのことで実際に修正前後の設定資料を見せていただきました。 確かに見えない方が平安の着物らしかったです。

源氏物語絵巻「柏木一」拡大 別冊太陽愛蔵版「源氏物語」(平凡社、1976)

「裳」について

片渕監督は実際にジャケットを腰に巻いて、裳の形状をご説明され、こんなのを付けていたのでは動きにくいので、楽にするときは紐を緩めたり(また結んだり)したようだ。だからそれをアニメにしなければいけないとおっしゃってました。
描くのは大変かもしれませんが😅楽しみです。

「佐竹本三十六歌仙絵巻」小野小町 別冊太陽「源氏物語 色と装束」(平凡社、2024)
※講演の時にこの絵巻が示されたわけではありません。

清少納言は椅子に座れなかったか

枕草子のホトトギスの鳴き声を聞きに行く話(九十九段「五月の御精進のほど」)をあげてお話しされました。
清少納言たち女房がホトトギスを聞こうよと、松ヶ崎(推定)に行って、そこの知り合い(高階成忠)の家に寄り、食事を出されるわけですが、みんな椅子に座るのを嫌がったとのこと。
確かに裳を引きずって椅子に座るのは無理でしょうと。

なお、枕草子には清少納言たちが「椅子はいやだ」と言ったとは書いてありません。
中国の絵にあるようなテーブルに食べ物が載っていて(唐絵にかきたる懸盤して、もの食はせたるを)そのお膳につくのは位の低い女官みたいで嫌だ(いかでか、さ女官などのやうに、着き並みてはあらん)とあります。
「唐絵にかきたる懸盤」だけでは形状は特定し難いですが、萩谷朴による現代語訳でも「唐絵に描いてあるような(背の高い)食卓」とあるように、椅子を伴うテーブルというのは妥当でしょう。
しかし、九十九段を読んで、そこに椅子の存在を見出す片淵監督には驚かされました。
私は、今日まで九十九段に背の高いテーブルは認識していても、椅子は全く「見えて」いませんでした。
確かに、お客が来て、高いテーブルに食事があって、「立ったまま食え」はない。

文章からそこに気づく凄さは勿論、アニメにするなら、その解像度と想像力が必要でそれを求める姿勢に感銘を受けました。

片渕監督は九十九段の、(高階成忠が)テーブルと椅子を嫌がった女房たちに「じゃあ、いつものように腹ばいになって食え」(「さらば、取りおろして。例の、はひぶしにならはせ給へる御前たちなれば」)という場面について、やっぱりからかったのだろうけど、ここから普段から女房たちは、腹ばいに近い前傾の姿勢をしていたのだろうとご説明されていました。

ほととぎすの歌よまむとしつる、まぎれぬ。唐繪にかきたる懸盤して、もの食はせたるを、見入るる人もなければ、家のあるじ、「いとわかくひなびたり。かかる所に来ぬる人は、ようせずは、あるじ逃げぬばかりなど、 責めいだしてこそまゐるべけれ。むげに、かくては、その人ならず」などいひて、とりはやし、「この下蕨は、手づから摘みつる」などいへど、「いかでか、さ女官などのやうに、着き並みてはあらん」などわらへば、「さらば、取りおろして。例の、はひぶしにならはせ給へる御前たちなれば」とて、まかなひさわぐ程に、

「枕草子 紫式部日記」枕草子 九九段(日本古典文學大系19、池田亀鑑・岸上愼二・秋山虔校注、岩波書店、1958)

この点は昔の註(昭和六年)にも説明があるので引いておきます。
(文中の春註は北村季吟の春曙抄を指す)

さて這臥とは、春註に身を自由にありならふ心也といへる如く、当時の女房たちは、衣服の幅広く裳袴の長きに、身の運動心に任せず、何事も人を使ひてさせ、身を自由にして己れと働かぬより、這臥といふ渾号アダナをいへる也。
明順は皇后の御伯父にて、宮に縁ある女房達には、遠慮もなければ、戯れ交りに客をあくしろふ様、目に見ゆるが如し。(三〇九頁)

関根正直『枕草子集註」(S6.3)
田中重太郎『枕冊子全注釈」二巻(S50.10)から孫引き

更に、腹ばいに近い姿勢と長い裳は畳の存在を思わせるし、畳があるということは、雨が入り込んでベチャベチャになるのを防ぐために蔀戸しとみどの存在が必要ではないかということで、
「女房装束(十二単衣)と畳と蔀戸は3点セットで同時期に成立したのではないか」というお話をされていました。
尚、畳の研究をしている人が少なく、いつ頃から使われたなど基本的な事でわかっていないことが多いとのこと。

「建築知識」2022年8月号「日本の家と町並み詳説絵巻」より
「建築知識」2022年8月号「日本の家と町並み詳説絵巻」より

確かに平安時代については文章以外の一次資料はほとんど残ってないので、ある程度でも矛盾なく動くアニメにするだけで大変なことだと思う。
まして諸説あるなかで決めねばならない。

会場の質問に答えて

○このように細かく調査するモチベーションはなにか
「この世界の片隅に」でもそうだったが、「自分の目で見たい」という思いがある。「マイマイ新子と千年の魔法」の取材で山口県の防府にいった時、清少納言の父の清原元輔の屋敷跡と思われる場所を発掘していた。
そのまさに清少納言が走り回ったであろう地面に触れて感動した。

○彗星や日蝕について
パイロットに登場する彗星について「あれはハレー彗星ではないです」と。
当時の日毎カレンダーを、小右記、御堂関白記などの資料から作成しており、実際の資料(エクセル)を投影して見せてくださいました。

最後に

アニメを作るということについて、技術論だけではなく、コンテよりもっと前の考え方や、監督の真摯なお姿を感じられ、創作の真髄を垣間見るようで、いつも聞くたびに大変興味深く、得るものが多いです。

完成をとても心待ちにしています。

参考文献

枕草子本文関連

・「枕草子 紫式部日記」(日本古典文學大系19、池田亀鑑・岸上愼二・秋山虔校注、岩波書店、1958)
文中の章段数、章段名、引用本文はこれに拠った。

・「枕草子」(新日本古典文学大系25、渡辺実校注、岩波書店、1991)
上記大系本の補完として注釈等を参照した。

・「枕草子解環一〜五」(萩谷朴、同胞舎、1981〜1983)

・「枕冊子全注釈 一〜五」(田中重太郎・鈴木弘道・中西健治、角川書店、1972〜1995)
能因本のみの部分はこれに拠った。

・「枕草子[能因本]」(松尾聰・永井和子訳注、笠間書院、2008)

・「枕草子春曙抄 (岩波文庫)」(北村季吟, 池田亀鑑 校訂、岩波書店S22)

・「枕草子本文の研究」(田中重太郎、初音書房、1960)

資料

・白楽天全詩集 第2巻 (佐久節訳注、日本図書、S53)

・「プレミアムカラー国語便覧」(数研出版、2020)

・「建築知識」2022年8月号「縄文から江戸時代まで 日本の家と町並み詳説絵巻」(エクスナレッジ、2022)

・別冊太陽「源氏物語 色と装束」(平凡社、2024)

・別冊太陽愛蔵版「源氏物語」(平凡社、1976)