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サピア=ウォーフ仮説①

私たちの村には、言葉が色を持つという伝説があった。代々伝わる言葉の集まり—そのすべてに、色が宿るというのだ。伝説によると、言葉の力を知った者は、その色を見抜き、言葉を自在に操ることができるようになる。けれども、それを知りすぎた者は、やがて言葉に呑み込まれてしまうという。

エミは、幼い頃からその話を耳にして育った。だが、言葉に色があるなんて、信じるはずもなかった。エミは、普通の言葉の使い手にすぎなかった。ただ、他の人々と同じように、日常の中で無意識に言葉を使い、思考していた。それで十分だった。

だが、ある日、町外れの図書館で出会った一冊の古びた書物が、エミの世界を一変させることとなる。その本は、彼女が今まで見たこともない言葉の連なりで満ちていた。ページをめくるたびに、そこに描かれる情景が、エミの目の前に立体的に広がってくる。言葉そのものが、まるで音や色、匂いを伴って現れたかのようだった。

エミは恐る恐る、その本に書かれた言葉を口にしてみた。その瞬間、彼女の周囲の世界が一変する。言葉が空気の中に漂い、目の前に鮮やかな色が現れた。それは、彼女が今までに見たことのない、奇妙な色だった。赤とも青ともつかない、不思議な色。それが言葉そのものに宿っていることを実感する。

その日を境に、エミの視界は次第に変わり始めた。街の中で誰かが話す言葉、そのすべてに色が宿っていることに気づいた。誰かが「愛」と言えば、真っ赤な色が空気を満たし、誰かが「悲しみ」と呟けば、灰色の霧が漂う。しかし、それは単なる色ではなかった。言葉に込められた感情や意図が、色となって表れ、エミの心に直接届くのだ。

次第にエミは、自分の周りの人々と話すことが難しくなった。彼女の目には、言葉が色を持って現れるようになり、その色が人々の内面を暴露するかのように映し出される。ある日、町の広場で、親友のミナと話しているとき、ミナの言葉から現れた色が、エミを震え上がらせた。それは、深い暗い青色で、冷たい闇のような色だった。

「ミナ…どうしたの?」

エミが問いかけると、ミナは無意識に微笑んで答えた。

「何でもないよ。ただ、最近少し疲れているだけ。」

だが、エミの目には、その青色が言い訳を超えて何かを物語っているように見えた。ミナの言葉の裏には、深い孤独と不安が隠れている。それを知ってしまったエミは、彼女にどう接するべきか、言葉をどう使うべきか、次第にわからなくなっていった。

その後、エミはさらに多くの言葉に触れることとなる。街の中で聞こえてくるさまざまな会話や、新聞や本の中の文字に触れるたびに、言葉がもたらす影響がどんどん強くなっていった。人々が使う言葉そのものが、その人の心の状態や運命を反映するかのように感じられるようになった。

次第に、エミは言葉の力を使いこなそうと試みる。言葉の色を変えることで、周囲の人々を助けたり、影響を与えたりできるのではないかと思ったからだ。しかし、言葉の力には大きなリスクが伴うことに気づき始める。言葉が持つ色が、彼女自身の思考にも影響を与え、エミは次第に自分の感情や考えを支配されるようになった。言葉に呑み込まれそうな自分を感じる瞬間が増え、彼女は恐れを抱くようになる。

ある日、図書館の書物に書かれた一節が、エミに衝撃を与える。「言葉は色を持つが、色を持つものは決してただの言葉ではない。その力を制御する者は、時として言葉に支配され、無力になってしまう。」エミはその言葉に恐れ、そして自分が今、どこかで言葉に囚われていることを自覚する。

しかし、エミは最後に気づく。言葉が持つ色を理解し、制御することができれば、言葉は単なるツールとなり、自由に使うことができると。彼女は言葉の力を使いこなすことを学び、色を超えて、真実の意味を掴もうと決意する。

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