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自分を騙して怒りの感情にフタをすると、何も変わらないよ?

先日から記事に登場するA君。

記事に書いたA君の経緯はこんな感じだ。

28歳のA君という毎年部署異動を経験している後輩がいる。

彼は頑張り屋さんで私の部署で頑張って仕事をしていた。

毎年異動だとキャリアもクソもないので「今年こそはここで頑張って結果を出して成長したいです!」なんて言っていた。

そんなA君に出向の辞令が下された。

出向先は公募をしても誰も応募しないハズレの場所だった。

A君はめちゃくちゃ落ち込んでいた。

A君とランチに行ったときこんな話をしてくれた。

A君「これまでの異動も今回の出向も少しずつ気持ちの整理ができてきました。自分が犠牲になることで出向から帰ってきたら、こんな不幸な思いをする後輩を一人でも減らせたらいいなと思います。」

私は何を言っているのか理解できなかったのでこんな質問をしてみた。

私「私の思い違いかもしれないけど、自分を騙してない?」

その後こんな話をした。


行動の原動力は怒りなのかもしれないよ?

私は26歳の時に直属の上司と合わず会社に行くのが嫌になり休職することになった。当時は自分がなんて根性なしのダメ人間なのかと自分を否定した。

その気持ちは時間が経つと怒りに変化した。自分が休職するまで追い込んだ上司がなぜ出世しているのか?

結局会社は綺麗ごとばかりで利益をもたらす人間を優遇している。それは会社のシステム上当然のことなのだが、私には納得できなかった。既存の会社のシステムに対して猛烈に怒りがわいた。

私はその後、その上司のようになりたくないと思い、マネジメントやチームビルディング、コーチングの勉強を本気でした。勉強していく中で怒りはさらに増した。私のこれまでの上司たちがいかに学んでこなかったのかを知ったからだ。

部下を持つということは部下のサラリーマン人生において重要な影響を与える。その人間が学ばないということは責任を放棄していることに他ならない。

復職して数年後出向に行く機会があった。出向先は同業他社の最大手だったのだが、若手社員の仕事のレベルが当社に比べ圧倒的に高かった。

また当社が情報を上の人間だけが握りしめているのに対し、出向先はどんな情報にもアクセスできた。その情報を基に若手社員は難しい仕事に取り組んでいた。

ここでも怒りがわいた。自分と出向先若手社員の業務レベルが圧倒的に違ったのだ。若くて体力気力があるタイミングに負荷をかけて仕事をするのはどの会社でもある。

負荷をかける先が雑用一辺倒な当社に対し、出向先は違った。責任ある仕事を次々と若手に任せ彼らは仕事は大変だけど成長という対価を受け取っていた。

私は自分の能力不足を棚に上げ、当社の社員の育成方針に対しても怒りがわいた。時代は転職を視野に入れたキャリア形成が必要になってきている。

今のやる気ある若手社員が安心して働けるためには「自分はどこでも通用する」という市場価値が担保されている状態が必要だ。それすら分かっていない当社に対してやはり怒りがわいた。

このときも怒りが原動力となり、仕事にこれまで以上に熱心に取り組んだ。考え抜いて自分にしか発揮できない価値を模索した。

このときはまだ管理職ではなかったのだが、管理職になってから必要な知識を先に勉強しまくった。結果として最短で管理職になった。
※最短といっても同期の一部も同じタイミングで出世したので、遅れなかった程度の話だ。


怒りの感情に蓋をしたら、あなたは牙を抜かれた犬になる

私は会社に楯突けと言っているわけではない。自分で自分の牙を抜くなと言っているのだ。

これまで理不尽なことがあった時にグッと呑み込むことが大人になることだと思っていた。過去の上司たちにも言われた。

「そんなこと気にしていたら心が持たないよ。気にしないのが一番!」

これは正解でもあったし不正解でもあった。上司たちの言う通りすべて気にしていたら心が持たない。一方で気にしないというのは反応しないということだ。

反応しないって仏教の世界では正解かもしれない。すべてをあるがままに受け入れるという聖人の在り方だ。でも私たちは仏教最盛期の飛鳥時代に生きているわけではない。資本主義真っ只中の令和の時代を生きているのだ。

※私は資本主義より仏教の考え方の方が好きなのは別の話。

私は自分の牙を抜かれ続けてきた人たちをたくさん見てきた。彼らは上司からどんな理不尽なことを言われても、どんな理不尽な異動があっても我慢し続けていた。

私にはその過程で彼らが人として大切なナニカを失っているように見えた。自分を守るために自分に嘘をつき続けているように見えた。そしてその嘘は自分をも騙せるような域まで達しているように見えた。

会社はあなたの牙を抜き続ける。あなた自身も自分の牙を抜きはじめる。すべての牙が抜けたときに定年、もしくはリストラになったらどうだろう?

私は印象に残っている本がある。

企業で50代社員向けセミナーをすると、必ず出てくるのが「好きなことをやれといわれても何をやっていいのか分からない」という言葉…。これは典型的な「サラリーマン脳」の発想です。…「サラリーマン脳」とはいったい何か?それを一言で表すと、「すべての活動が受動的である」ということです。

大江英樹『お金の賢い減らし方』P172

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牙を抜かれ続けてなくなったとき、会社から放出される。牙は一度抜いてしまうとなかなか生えてこない。もしくは一生生えてこないかもしれない。

A君は自分で牙を抜いてはダメだ。サラリーマンとしての処世術は牙を抜いているようにに見せかけ、隠れて磨き続けることだ。A君は私と最近働き始めたから分からないかもしれないが、長年働き続けている人は分かるだろう。

私は「こいつアホやな」と上司が思ってくれるように好かれる人柄を演じてきた。その方が上司は安心するからだ。別に私はプライドもある方ではないのでそれでよかった。

牙を全く見せてこなかった。でも見つからないように磨き続けてきた。

※その結果が退職だからいいのか悪いのかは知らんけど(笑)

ここまででA君に伝えたいことは自分で自分を騙すのはやめてほしい。怒りの感情は悪いことではない。むしろその感情をどう扱うかが人生にとっては大切になる。そんなことを言いたいのだ。

こんな話を私がしたらA君の感情が揺さぶられているのが分かった。私は本当に驚いてしまった。

A君、過去に向き合ってくれる人いた?

こんな私の主観全開の話でA君が揺さぶられていることに対して驚いた。何に驚いたかって、こんなこと私がいつも周りに話している当然のことだからだ。

私は近しい間柄の人に対して綺麗ごとは言わない。今自分が持てる考えや知識など総動員して、目の前の人にとってベストだろうと私が考える発言をする。

それが正しいか間違っているかは分からない。ただその点に対して手は抜かないようにしている。それは年齢とかは関係ない。だって人間は対等だからだ。また時間は有限だからだ。限られた時間の中で自分と自分の大切な人がお互いにとって有益になるよう努力はしているつもりだ。

「A君、社会人になってから向き合ってくれる人いた?」

単純な疑問だった。最近思うのだがパワハラやセクハラなど〇〇ハラが騒がれてからコミュニケーションはうすーくなった気がする。みんな本音を言うことが怖くなったのだ。

勘違いしてほしくないのは〇〇ハラなんてもってのほかだ。〇〇ハラが騒がれてからコミュニケーションが薄くなったということは、もしかしたら私たちはコミュニケーションの取り方を知らないのかもしれない。

コミュニケーションってなにも難しくなくて、対等な間柄で相手のことを考えて双方向に行ったり来たりするだけのものだ。そして結果としてお互いが変わるものだ。

その当たり前のことを上下関係や役職など見えない権力に甘えた結果、コミュニケーションの取り方がわからなくなったのかもしれない。

A君の過去は知らないけど私は薄いコミュニケーションの被害者のようにも感じてしまった。

長くなってしまったのでこの辺りで終わりにしたい。次は前の記事で書いた資本主義社会の裏道。A君におすすめの投資家としての道について書きたいと思う。

さいごに

怒りについては山崎元さんの『がんになってわかった お金と人生の本質』から気付きを得た。

「お金よりも大切なもの」に気付く手段、それは、「怒り」でした。

『がんになってわかった お金と人生の本質』P188

本質をついていると思う。山崎さんが亡くなられる前に書かれたお金と人生の本質。人生の早い段階で読みたい一冊だ。

山崎さんは今年1月に亡くなられたが、彼の思想は今でも私に影響を与え続けている。

ここまで書いて思ったのだが、A君このアカウント知らんやん🤣
口軽そうだからこのことは直接話すことにするね🤭

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おしまい!

今日の猫さん!

握手!


こんな拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございます!これからもサポートいただけるよう精進いたします!