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15日間引きこもってみた。コンフォートゾーンでぬくぬく過ごしたい。
無職になって実験してみたいことがあった。一般的に人間は社会的な動物なので社会とのつながりが必要だと言われている。社会とのつながりが無くなると精神に不調をきたすのだとか。なぜなら他者からの承認が得られずに自分のことを認められなくなるから。
コロナ禍の強制引きこもり体験
私はこれをずっと疑っていた。なぜ疑っていたかというとコロナ禍の経験があったからだ。前職の会社はコロナ禍で約40日間の自宅待機となった。私は不安だった。これまで約10年サラリーマンとして働き、仕事の日は毎日私の周りは同僚がいたからだ。
それが急にプツンと切れてしまうと自分の精神状態はどうなるのだろうか?
杞憂に終わった。その40日間は人生で一番楽しい時間になった。私は田舎に住んでいるので人の目を気にする必要は無かった。朝起きておにぎりとコーヒーを準備。海沿いを自転車で10キロ走り海を見ながら準備したおにぎりを食べる。
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毎日お昼ご飯はスーパーで安い肉を買い、妻とたまに両親を呼んで七輪でしっぽりお肉を焼いていた。午後はひたすら読書をした。そんな生活をすること40日。
私の精神は過去最高に健康になった。
ただ当時は世間も同じような状態だったので「みんなと同じ」だからこそ精神は問題が無かったのかもしれないとも思った。
だから、無職になって試してみたかったのだ。今の状態は「みんなと同じ」ではない。日本を探せばそんな人はいっぱいいるかもしれないが、私の狭い交友関係の中では私だけがその状態だ。
この10日間はこんな生活をしていた。
■午前
・朝食
・散歩に行く
■午後
・昼食
・noteの記事を書いたりココナラの依頼を受けたり
■夜
・お風呂
・夕食
・映画鑑賞
結果どうだったか?
普通に楽しい!
引きこもりの才能
これまでを振り返ると私はとんでもなく出不精だ。日本人の中で上位1%には入るレベルである(完全に私の主観)。サラリーマン時代、理想の休日の過ごし方はこうだった。
いかに家から一歩も出ないか。
一日中家に入れるのであれば100点の休日。一度でも家から出ることがあれば-70点だった。
そんな生活をしていることを過去の上司に話すとこんなことを言われた。
「コンフォートゾーンに留まると成長できないよ?」
コンフォートゾーンとは、ビジネス書を読むとよく出てくるワードです。ストレスや不安を感じずに過ごせる居心地のよい心理的な領域です。慣れ親しんだ環境や人間関係、活動などが含まれます。
こんな図を使って説明される。
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自分の心地よい環境から抜け出すことで成長を促進させよう!という考え方だ。
私は心の中でこんなことを思った。
「あなたはコンフォートゾーンからどうぞ出てください。成長してください。自信をつけてください。私はコンフォートゾーンを愛しているのでどうかほっといてください。」
狭い世界と広い世界
ここまで書いてみてコンフォートゾーンとは「狭い世界」、コンフォートゾーンの外は「広い世界」と言い換えることができるかもしれない。安心・安全のコンフォートゾーンとは自分の手の届く狭い世界のことだ。
今の私にとっての狭い世界とは家族であり近しい友人、そして自宅から数キロ圏内の散歩コースだ。この狭い世界に留まると人間は成長できない。だから広い世界に繰り出す。そこには不確実なことがたくさんあり自分を悩ませる問題も頻繁に発生する。
それらの問題を解決していくからこそ人間は成長するし、魅力的になる。そんな考え方だと思う。
では広い世界とはいったいなんだろうか?私は学生時代長期休みを使ってアジアの国々に遊びに行っていた、中国やタイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシアなどだ。
(ラオスでメコン川を眺めながら吸うタバコは最高に美味かったなあ。)
当時は様々な世界を見ることは自分の価値観を広げることだと思っていた。今も別に間違っているとは思わない。一方でこんなことを思う。
これ、際限なくないか?
1つの国に行って1つ価値観が広がる、1つの国に行った人より10か国いった人の方が価値観が広がる。10か国の人より100か国の人、100か国の人よりすべての国を制覇した人。
もっと考えるとすべての国を制覇した人の中にも、それぞれの国で何か所の都市を回ったのかなんて数え方もあるだろう。
全ての国を回った人たちはもはや海外を回ること自体がコンフォートゾーンになってしまうかもしれない。だってそれが日常だからだ。ではその人はコンフォートゾーンから出るために次はどうするのだろうか?
もしかするとその人たちにとってコンフォートゾーンから出ることは、一箇所に留まることなのかもしれない。狭い世界から広い世界に出続けた。その結果、その行動自体がコンフォートゾーンになってしまった。そのコンフォートゾーンから出るために一箇所に留まる。
人生はこのようなことが多いと思う。何かを求めて求めて探し続けたけど、結局それは目の前にあった、なんてやつだ。お金の世界もこれに近しい。
お金を増やす過程は楽しいし刺激的だし、でもその楽しさは一生は続かなくて徐々に落ち着いてくる。頑張って働いて給料を上げて支出を削って投資の勉強をして、その先にあるのはやっぱり家族との時間は大事だよな、なんてことなのかもしれない。
ただ、先ほどの世界を見る話とお金の話は、一周回ったからこそよく見えるということがあるのかもしれない。というかその人たちは一周回らなければ目の前にある大切なことが見えなかったのかもしれない。
そう考えると人生とは自分の大切なモノにどうやって気づくか?そんなゲームと考えることもできる。そのルートは無限にあって狭い世界で気づく人もいれば、広い世界に出たからこそ気づく人もいる。
つまるところ、私は今幸せですか?その問いに「イエス」と答え続けられる状態を作ることが大切なのだと思う。
何が言いたいかって、
上司さん、私は無職になることがコンフォートゾーンを出ることでした!🤣
おしまい!
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