夢うつつ湯治日記8
10月某日 初めての湯治
【四日目(1)】 朝市
温泉で温まって寝るせいか、ここに来てから、夜はぐっすり眠れ、目覚めはすこぶる良い。
朝が明るくなるのとともに目覚める。
しかし10月に入って、朝はずいぶん遅くなり、ここは低山とはいえ山間なので、朝陽が射すのもやや遅い。
そういったこともあり、かなりよく眠れる。
今日でもう四日目。何もないようで、それでも何か小さな新しいことがあるので、毎日が新鮮だ。
スマホは最低限の連絡の確認だけすることにしているせいか、目の疲れも取れたように思う。
窓から青空が見える。
今日は朝市やっているだろうな。行ってみよう。
時計を見ると7時近い。
身支度をして外に出た。
今朝はひんやりする。そういえば、ここに3日前に着いたときは、風に乗って強く香っていた金木犀の香りが、今朝は薄いの気づく。
着実に季節は進んでいるのを肌で感じる。
母屋の前の小屋にいるワンコは、ちらりとこちらを見てから再び眠った。
宿の前の道を、朝市をやっている公民館に向かって歩く。
既に買い物を終えたらしい人が膨らんだ買い物袋を下げて、降りてくる。
「おはようございます」
挨拶をして通り過ぎて行った。
今朝は何があるだろうか。ちょっとワクワクしながら公民館前に着いた。
一昨日の朝市と同じように、数台の軽トラがとまり、公民館前には、何人かの地元の人らしい人達が、シートを敷いて、野菜やらいろいろ置いている。
柿を売っている軽トラの前に、数人、人が集まっている。
覗いてみると、一昨日に柿を買った時のおじちゃんが、「これ、食べてみて」とニコニコして言う。
プラスチックの密閉容器に、オレンジ色の、薄いチップスみたいなものがこんもりと盛られている。
「へえ!これ、美味しいよ」 と一つ、つまんで食べたお客の一人が言う。
私も一つつまんでみると…パリパリとした食感で、咬むとじわっと甘い。
この味は…?!
「これ、柿の皮のチップスだよ。向いた柿の皮を、窯で低温でじっくり焼いたんだよ」
「へええ! 柿の皮チップス! これ、美味しい」
思わず私も、先のお客さんと同じことを言う。
クリスピーな干し柿という感じ。柿の皮って食べれるんだ!
朝市は、来るたびに新鮮な驚きがある。
一昨日買った柿がまだあるが、明後日帰ることもあり、また柿を数個購入した。
この旅から帰ったら、家で家で柿の皮チップスを作ろう。
「まだ試作中なんだけどね。家にオーブンがあれば作れるよ。温度は…」
とおじちゃんが教えてくれた。
他の店も見て歩いていると、雑貨を売っているおばちゃんがいた。
「お犬岩の方で熊が出たっていうからね。熊除けの鈴も持ってきたんだよ」
おばちゃんの声に思わず、品物をのぞき込む。
「お犬岩って、犬の形してるんですか?」
と聞いてみると、おばちゃんは、
「犬がね、空を見て遠吠えしているように見える岩が峠にあるんだよ。
この辺りの昔話でね、犬がこの山に上がって周りに危険を知らせるために吠え続けて、それがそのまんま、石になったって言われていてね」
「熊が来たら、熊が来たぞーって教えてくれてるんですかねぇ?」
「伝説では、村に火をつける盗賊の集団が来たと知らせたというんだけどね。
熊は火はつけないけれど、餌を探しに来てるんだろうから、かち合うと怖いよ。
最近、ニュースでもあちこちで出没して、怪我したり亡くなったりしているからねぇ。
まあ、用心に越したことない。鈴を持っておくと良いよ」
おばちゃんは、鈴を持って振った。鈴はチリンチリンとよく響く甲高い音で鳴った。
山の方に行くつもりはなかったけれど、熊は住宅地にも出るというし、やはり用心のために身に着けようと、
鈴を1つ買った。
隣は、ちょっとおしゃれな感じのスイーツなどを売っている女性がいた。
「最近、道の駅にも卸しているんだけど、結構人気で、よく売る切れるんですよ」
ちょっと嬉しそうに話しながら指す方に、手作りクッキーや、カットされたパウンドケーキ風のものが並んでいた。
「あ、シフォンケーキ。昨日、セツさんから頂いたシフォンケーキに似ている」
と言うと、女性は、
「あら、セツさんのお宿のお客さんですか。そうなの。昨日、ちょっと新作を作ってみて、批評してもらおうと、セツさんに食べてもらったのよ」
「オレンジピールの入っていたものですよね? 良い香りで美味しかったですよ!」
「あら!食べてくれたの! それは良かった。あれはうちの庭で取れるみかんから作ってみたの。ここにあるお菓子は全部、卵はうちで飼っている鶏のものを使ってる。シフォンケーキは、みかん風味は今日は売り切れちゃったけれど、他の味はまだあるわよ」
見ると、プレーンと書かれたものと、抹茶と書かれたものが数切れずつ、透明フィルムに包まれている。
1つは今朝の朝食にしよう…あ、いや、今朝は、昨日、寝ころび湯で買ったものを食べるんだったっけ。シフォンケーキはおやつでも軽い昼ご飯でも良いよね。
誘惑に勝てず、プレーンと抹茶味を1つずつ買ってみた。
ケーキとは別に、「ラベンダーのポプリ」と書かれた手書きのポップとともに、小さな香り袋が数個、置かれている。
「ラベンダー!そういえば、うちの宿に最初に泊った時のお風呂にラベンダーが入っていて、いい香りでした」
と言うと、女性は、
「ここから更に上がったところに、ラベンダーを栽培している農家さんがあるのよ。
そこのラベンダーを、セツさんはお風呂に入れているのね。
ラベンダーは初夏に咲くけれど、花を収穫して密閉容器に入れていると、何年も香りがキープされるのよ」
と話す。
初日のラベンダー風呂のほのかな香りを思い出し、ラベンダーのポプリも1つ買った。
なんか、楽しくなって、ついいろいろ買っちゃうな。
周りを見ると、結構、人が集まっている。
地元の人、宿泊の人、いろいろ交じって、お店の人と話したり、
世間話が聞こえてきたり、朝のちょっとした社交場という感じかな。
甘い香りが漂ってきて、さっきから気になっている。
焼き芋を売っている軽トラから、
「この辺りで取れた芋を使ってるんだよ。甘くておいしいよ」
とおじちゃんの声がする。
おなかが空いてきた。
さっきシフォンケーキ買ったし、もう今日は我慢しよう。
自分に言い聞かせながら、ふと見ると、公民館の入り口に、
「秋の収穫村祭り」と大きく書かれたポスターが貼られているのに気がついた。
「案山子品評会」「ふるまい蕎麦」「演芸大会」「くじ引き」など、出し物が書かれている。
開催日は、明日明後日。
場所は〇〇ヶ原運動公園となっている。
「〇〇ヶ原運動公園ってどこですか?」
とそばでタバコを吸っているおじいちゃんに聞くと、
「ああ、この道を下って行ったところに体育館と野球場がある。そこだ。歩いて30分位だな」
とのこと。
山の方よりは熊も出なさそうだし、催し物で人が多いところには熊も近づかないだろう。
明日はそこに行ってみよう。
そう思いながら、朝市を後にし、宿に向かう。
朝市楽しいなぁ。
面白い話も聞けるし。
母屋の前のワンコが小屋から出てきて「わん」と軽く吠えて、しっぽを振った。
さっき聞いた、お犬岩の話を思い出した。
伝説の犬は、村に盗賊団が来るのを知らせる為に吠え続けて、岩になってしまったという。
お前も、悪い人が来たら、ちゃんと吠えなさいよ。がんばるんだよ。
勝手にそうワンコを励ましながら、部屋に戻った。
(つづく)
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