夢うつつ湯治日記7
10月某日 初めての湯治
【三日目(3)】 お寺のむかご・お犬岩
地図を見ながら、現在地を確認する。
花の湯は、ここだから・・・と見ると、花の湯の近くに、「〇〇寺 薬師観音」がある。
お湯に入って元気になってきたので、ついでに薬師観音にお参りするか…と〇〇寺に向かった。
雑木林を背に、小さいながらも凛とした雰囲気の寺が見えてきた。
菊がたくさん植えられている。
だいぶつぼみを付けていて、季節が着実に進んでいることを感じる。
やや緊張しながら境内に入る。本堂は扉は閉められていたので、薬師観音のお姿は拝見出来なかったが、
本堂の前で手を合わせた。
境内を出ようとすると
「ありがとうございます」
と背後からいう声がした。
振り返ると、竹ぼうきを持った作務衣を着た女性が立っている。
このお寺の尼さんだろうか。このお寺は尼寺らしい。
「そこの花の湯さんに入ったのですが、地図を見たら薬師観音とあったので、お参りさせて頂こうと思って」
と答えると、尼さんは
「そうですか。ありがとうございます。この辺りではご利益がある観音様と言われているんですよ」
とおっしゃる。
有難い気持ちになっていると、尼さんは
「どこのお宿に泊まっておられるの?」
と聞くので、
「〇〇荘」です。
と答えると、
「ああ、セツさんの所ね。 ああ!そうだ、ちょっと待ってて」
といって、母屋に入っていくと、手に袋を下げて戻ってきた。
「申し訳ないけれど、これをセツさんに渡してもらって良いかしら? むかごが沢山取れたから」
袋を受け取ると、ずっしりと重い。
見ると、何かの実のような、やや不揃いな豆のようなものが沢山入っている。
「お宿のお客さんにお使い頼んじゃって、セツさんに叱られるかしら。ごめんなさいね」
「いえ、全然大丈夫です。セツさんに渡しますね」
日も傾きかけてきたし、お使い物も預かっているので、今日の散歩はここまでにして、宿に戻ることにした。
宿に戻って母屋のセツさんに、
「薬師観音に行ったら、お寺の方から、これをセツさんにと頼まれまして」
と袋を渡した。
セツさんは、袋の中を見て、「あら!むかご。お寺の山で沢山取れるのよ。今晩のおかずに少しつけようかしら」
と嬉しそう。
そして、
「ご住職からお使い頼まれちゃって、申し訳なかったわね。良かったらこれ食べて」
と事務所の奥からそっと何かを持ってきた。
受け取ると、ラップに包まれたふわふわのケーキが一切れ包まれていた。
「朝市にも時々お菓子を出している人がいるんだけど、なんとかケーキって言ってたんだけど、
新しく焼いてみたから、食べてみてと持ってきてくれて。
さっき、一切れ食べたら、ふわふわで美味しかったから」
手に持った感触からシフォンケーキだろうか。
ふわふわと軽く柔らかい。
「ありがとうございます!なんか、かえってすみません」
思わぬお使いのお駄賃?まで頂いて、ちょうど小腹も空いてきた時もあり、
ウキウキして部屋に戻った。
コーヒーを入れて、頂いたシフォンケーキを一口、口に入れる。
ほんのり、ミカンの香りがした。
少し、ミカンのピールが入っているようだった。
そうこうしているうちに、夕食の時間になり、母屋の食堂に行った。
今日は、昨日の男性陣3人と私だけだった。
メニューのメインは昨日とほぼ同じで、きのこ汁と炊き立てご飯。
きのこはやはりたっぷり。今日は大根と人参も入っている。
冷ややっこと、数種類の野菜炒め。
冷ややっこ用に好みで葱や韮がトッピングできるように具材が入ったボウルが置かれている。
「今日はね、頂いたむかごを、味噌あえにしたのよ。食べてみて」とセツさんが持ってきた。
「持ってきてくれたんだから、たくさん食べて」と私にたくさんついでくれた。
すりごまも入っている味噌和え。温かいご飯に合う。
「むかごって何ですか?」
と若い男性。
「山芋のツルに生る実みたいなものよ。山芋は根っこだけど、むかごは実。だから味は山芋に似ているのよ」
山の幸のような夕食。
きのこ汁はやはり、しみじみと美味しい。気持ちがほぐれてくる。
そこへ、食堂のドアが開いて、中田さんが顔を出した。おもわず会釈する。
「むかごの味噌和え、中田さんも食べて」
セツさんは中田さんに声をかけた。
「あら、美味しそう!うちのお父さんには毒だわねぇ。私だけ食べちゃおうかしら」
と中田さんは、少し受け取って部屋に戻っていった。
「今日、寝ころび湯に行ったんですよ。気持ち良かったです。
その帰りに薬師観音にお参りに行ったら、住職さんからセツさんにむかごを預かって」
「ああ、それで、俺たちもお相伴に預かれたんだな」
「ビールが進むなあ」
と笑いながら、初老の方の二人の男性が口々に行った。
「そうそう、さっき連絡が回ってきたんだけど」
とセツさんが言った。
「お犬岩の近くで熊が出たらしいのよ。この辺りは熊は今まで出たことなかったので、びっくり。
北の方から山伝いにこっちに来たんじゃないかって。怖いわ。散歩とか、気をつけてね」
「お犬岩か。そういえば、昨日か一昨日か、夜、犬たちが遠吠えしていたなぁ」
と初老の男性の一人が言った。
「この辺りの伝説で、この辺りに何かあると、お犬岩が吠えるっていうからな。
さては、熊出没か。それで周りの犬たちも呼応して一緒に吠えたのかもなあ」
「やまちゃん、そういう怪談好きだからなぁ」
ともう一人の男性。
「怪談じゃないよ、民話だよ」
とやまちゃんと呼ばれる男性は、薄くなった頭をつるりと撫でながら答えた。
「お犬岩」…地図にあったなぁ。
私は思い出していた。
「熊ですか・・・散歩も怖いですねぇ」
と私。
「歩く時は、鈴とか何か音を出しもの持ったり、しゃべったりとか、賑やかにしていると、熊は怖がって逃げるというな」
「熊の嫌う匂いってなんだろうな。犬猫はかんきつ類の匂いが嫌いらしいけど」
「みかんの香り程度では熊は逃げないだろうなぁ」
「そういえば、今日の薬湯は、チンピだったな」
ビールも入り、上機嫌で男性陣が口々に話している。
そうだ、今日はここの宿のお風呂はまだ入っていなかったな。
「今日の薬湯はちんぴ」
と聞いて、食後にちょっと風呂に入ろうと思い立ち、
「お先に」と言って、部屋に戻った。
風呂は私一人だった。
脱衣場に「本日は陳皮湯」と書かれた手書きの紙を見て、
「ちんぴって陳皮と書くのか」
と納得。
まずは大きい湯船には軽く浸かってから、おもむろに陳皮の薬湯に入った。
陳皮が入った袋の香りを嗅ぐと、みかんの香りがした。
そうか、陳皮ってみかんの皮を干したものだっけな。
そういえば、昔、おばあちゃんの家で、みかんの皮をいれたお風呂に入ったことがあったっけな。
「みかんの皮で体をこすると、汚れが取れる」とか、
「肌がすべすべになる」
と、おばあちゃん、言ってたっけな。
香りを嗅ぎながら懐かしく思い出した。
身体をこする時は、みかんの皮の裏側の白い部分でおばあちゃん、こすってたっけ。
あれ、ある意味、ソフトなスクラブ洗いだよなぁ。
オレンジオイルを使った…と謳った掃除用洗剤があるよなぁ。
「みかんの皮で汚れが取れる」もあながち、嘘じゃないな。
お肌がすべすべも、そのオイルが肌を覆うからだろうな。
ああ、そういえば、夕方頂いたシフォンケーキはみかんのピールが入っていたなぁ。
部屋にまだ、みかんが残っていたな。
陳皮湯の香りに包まれながらいろいろ思い出し、身体もすっかり温まった後、部屋に戻った。
残っていたみかんを食べた後、皮を捨てる気がしなかったので、
陳皮を作ってみようと、手で小さく割いて、折り畳み机に広げて乾かすことにした。
テレビをつけると、天気予報をしていた。
明日は天気は良いらしい。
明日は何をしようかな。
散歩はどうしようか。
とりあえず、朝市はまた行ってみようか。
寝床に入りながら、本を読む。
遠くから犬の遠吠えが聞こえ、それに呼応するように宿の犬も遠吠えしている。
気になって本を閉じる。
お犬岩は、この辺りに何かある時に鳴くという…。
熊が来ているのか、それとも…?
どんな話なのだろう、お犬岩の伝説というのは。
昨日、耳にした三地蔵の伝説もあるな。
この土地の伝説に想像を膨らましているうちに、いつしか眠りに落ちた。
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