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夢うつつ湯治日記 10

10月某日 初めての湯治 

 【四日目(3)】 太鼓の音、菊の香り


そろそろ食材も整理しないといけない。
昼食は、2日目と昼食と同じくパスタを茹でて、残っている野菜を炒めたものと和えた。
そして、昨日買った煮卵の残りの1つと、いちじくの実。

今日は、午前中は思わず、外出したので、
午後は、ゆっくり宿のお風呂に入りたい。

母屋で食器と炊飯道具を洗った後、ふと風呂の方を除くと、「掃除中」の看板がかけられていた。

覗くと、中から、タワシかデッキをかける音と共に、
「ああ、今、掃除中だから、少し待ってくださいね」

という知らない男性の声。
掃除を担当している人のようだ。

時間つぶしに、再び軽く散歩に出た。

あまり遠出する気にならず、なんとなく、行き慣れた公民館方向に向かった。

公民館の前に来たところ、建物の中から十数人ほど、人が出てきた。
何かの集まりが終わったらしい。

その中に、中田さんの姿があった。
傍らにご主人らしい方もいる。

中田さんは私を見つけて「あら!」と声をかけてきた。

「こんにちは。今日はここで何かあったのですか?」

と尋ねると、

「ここの公民館で、週2回、体操教室があってね、それに出てたの。
地元の人だけでなくて、宿に泊まっている人も参加して良いと言われてね、
主人と一緒に、出るようになったのよ」

とのこと。

傍らのご主人も
「良い運動になって、気分も良いですよ」
とニコニコされている。

話をしているうちに、公民館の中から、今度は太鼓の音が聞こえてきた。

「お祭りの太鼓の練習が始まったね」

誰となく、そんな声が聞こえてきた。

中田夫妻は、他の人と談笑しながら、宿の方に向かって歩いて行った。

宿泊している人も一緒に参加できるのって、良いシステムだ。

公民館の中に入ってみる。

小さな図書コーナーもある。

公民館の管理人室を覗くと、管理人らしいおじいさんがいる。

練習中の太鼓の音が激しい。

『すみません、そこの図書コーナーの本は読んでも良いのですか?』

と聞く。

お互いの声が太鼓の音にかき消されて聞き取れず、難儀したが、

『貸し出しはしていないけれど、ここで読むだけなら良い」

とのことは分かり、図書コーナーに行く。

色褪せたり、古ぼけた本の中に、健康雑誌と園芸雑誌だけは数冊、最新刊が置かれている。

『〇〇村史』

と背表紙に印刷された厚い本を見つけた。

手に取ってパラパラと見てみる。

〇〇村はこのあたりの地区も含んだエリアの昔の名前らしい。

『伝説』のページが目に留まった。

見てみると『三地蔵』『お犬岩』の話も載っている。

読もうとしたが、とにかく太鼓の練習が佳境に入っているのか、建物中に響いて耐えられない。

管理人のおじさんは外に出て煙草を吸いだした。
これは管理人もたまらないだろうなぁ。

また出直してこよう。

太鼓の音を聞きながら、公民館を出て、宿に戻った。

母屋を覗くと、風呂掃除は終わったようだ。

『今日のお風呂は菊の花のお風呂です』

という手書きの紙も貼られている。

一番風呂かもしれない!

急いで部屋に戻り、支度をして風呂場に行った。

誰もまだいない浴室に入ると、窓のすりガラスからの午後の日差しが柔らかい。

体を洗って、まずは大きい浴槽の湯に入る。

軽い硫黄の香り。日の光の中で揺らぐ湯気。

じんわり温まってくる。

なんて優しく気持ち良いのだろう。

そういえば、ここの宿に来る前に、手が荒れて、足もかかとがひび割れ始めて痛かったけれど、
痛みがないのに気づいた。

見ると、手足の荒れもひび割れも治っている。

ここの温泉の効能に『肌荒れ』もあったけれど、やはり温泉は効くんだなぁ。

指先を眺めてながら感動する。

公民館のから、太鼓の音が聞こえてくる。

しばらく、ぼおっとしていたが、小さい方の浴槽は、今日は菊の花風呂だというのを思い出し、

小さい浴槽の近づいた。

菊の花が束ねた茎ごと、お湯に浮いている。

今日は豪快だなぁ!

湯に入ると、菊の香りがふっと立ち上った。

みやこさんのところで作っている菊。

午前中に訪ねたみやこさんの花畑を思い出しながら、目をつぶってぬるめの湯に浸かる。

ガラガラ…

誰か別の人が脱衣場に入ってきたようだ。

しばらくして、

『失礼します』
といいながら、若い女性が入ってきて、体を洗い始めた。

そろそろ上がり時かな。

その人は、
『今日は、菊の花のお風呂なんですね』
と話しかけてきた。

『いい香りでしたよ』

と答えると、その女性は、

『菊の香りはイライラに効くそうで、若返りの効果もあるそうですよ』

と言いながら、大きい湯船の方に入っていった。

『若返り!それは嬉しいですね!お詳しいんですね』

と言うと、

『私、アロマテラピーの本に最近はまっていて』

と照れながら答え、『ふう~っ。気持ち良いですねぇ』とじっと目をつむって湯に浸かり始めた。

私は、湯から出て、使ったカラン周りや桶を軽く洗った後、

『お先に』

と声をかけて脱衣場に戻った。


イライラにも若返りにも良いなんて、菊のお風呂、素敵じゃない♪

ほかほか温まった体を服で包み、部屋に戻った。

その後、テレビを見て、ぼんやり過ごす。

しばらくして、アフタヌーンを気取ってコーヒーを淹れ、朝買ったシフォンケーキの残りの一切れを味わう。

優しい甘さが体に染みる。道の駅でも人気って言ってたな。

いつの間にか、公民館からの太鼓の音は止んでいた。練習が終わったらしい。

コーヒーを飲み干し、本を読み始めた。

気づくと、空が薄暗くなっていた。

10月になると日の落ちるのも早い。

夕食も食材を整理するために、今夜の夕食は、残りの果物だけで軽く済ませた。

夜、寝る前に、再度、浴室に行き、体を温める。

もう一度、みやこさんの菊のお風呂にも入ると、
せつさんが新しく入れ替えたのだろうか、夕方の花と違う菊の花が入っていた。

再び、菊の良い香りに包まれ、気分良く部屋に戻る。

布団に入り、ぼんやり、今日の出来事を思い出していた。

今日は、朝から、菊の香りに包まれた一日だったな。
みやこさんから菊の苗も頂いたし。

温泉で肌荒れは治るし、花の香りで若返るかもしれないし、
何よりも、心が柔らかくなっている。

でも、明日は最後の一日。一抹の寂しさがよぎった。

…それにしても、公民館にあった本の伝説の内容、気になるなあ。
太鼓の音が、私に話を読ませないようにしているみたいだったなあ。

伝奇物語のような妄想も思い浮かべているうちに、眠りに落ちた。


(つづく)

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