【 Care’s World case 03 小さく続けた先にある、モノや想いの循環 〜モノモノコウカンプロジェクト 田中慶悟さん 〜 / -前編- 】
“ケアすることは、生きること”
そんなテーマでお送りしているCare’s World。
今回の主人公は、鹿児島県の大隅半島を中心に『モノモノコウカンプロジェクト』を展開されていた田中慶悟さんです。現在、このプロジェクトは新しい方に引き継がれています。
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住民の声と自分の困りごとから
田中:僕は関西出身で、志布志は妻が出身だったことや転職を考えていた時期に志布志市役所の職員募集を発見したこともあり、鹿児島へ移住しました。ありがたいことに採用していただき、市職員として12年目になります。
税や防災など様々な分野の仕事を経験したのですが、企画関連の部署にいた時に『モノモノコウカンプロジェクト』に繋がるきっかけがあったんです。それは性別・世代関係なく、市民の皆さんにアンケート調査をする内容のものでした。
教育や介護、防災など、多岐にわたる声をいただきました。その中でも個人的に気になる内容があって、それが頭から離れませんでした。
志布志は物流関連の大きな港があるからか、転勤族の方が多い状況です。それで、旦那さんの転勤の都合で縁もゆかりもない志布志に引っ越されて、子育てに不安を感じる・友人ができないといった不安を抱えてらっしゃるお母さんたちが多いことを知りました。
「それって、子育てに優しいまちではないよな…」と思って。そんな時、友人からおさがりをもらう機会がありました。
田中:どこの地域も同じだと思いますが、少子化や晩婚化が進んでいます。それで何が起きるかというと、おさがりをもらったり・あげたりする場面が少なくなるんです。
実際、私も子供が二人いるのですが、友人からもらったおさがりで経済的に助かった部分があります。そんな背景もあって、アンケートで出たお母さんたちの声に対して何ができないかと考えるようになりました。
行政は行政だからこそできることがあります。それなら、行政が活動しにくい部分を個人の活動として始めるのはどうかと思ったんです。
そこで思いついたのがおさがりを交換する場『モノモノコウカンプロジェクト』でした。単におさがりを交換するだけではなくて、そこに集まったお母さんたちや私たちとの交流を通して、コミュニティが生まれたらという想いから始めました。
私の子供も大きくなってきて、洋服が入らなくなり「誰かもらってくれる人いないかな」「処分するのはもったいないよね」と思っていたので、僕の困りごとを解決することにも繋がると考えたんです。それなら、僕でもできる。そう思いました。
思い描いた光景とぶつかる壁
田中:最初のモノモノコウカンプロジェクトは2016年の春に開催しました。それにあたって、志布志市内の図書館や音楽教室さんなどに協力していただき、ポスターを貼って、まずはモノを集めることから始めたんです。
すると、予想以上に集まり、プロジェクトのスタート地点に立つことができました。集まった洋服は、晴れた日に芝生の上でまとめて虫干しをしたりして、ちゃんとした状態で交換できるように準備を進めました。
そして、本番。志布志駅で開催された『ぽっぽマルシエ』にてブースを借り、出展させてもらったんです。恥ずかしい話、段取りがうまくいかなくて、来たお客さんに「手伝いますよ」と声をかけてもらったり、テントも自治会から借りたりして、多くの方のサポートがあったからこそできた場になりました。
告知は大々的にできなかったものの、面白がってくださった方が足を運んでくださいました。子供たちがオモチャで遊んでいる間に、お母さんたちが洋服を見たりお話したりと、思い描いていた光景が広がっていました。
ちなみに、手伝いに声を上げてくれたお客さんはプロジェクトのメンバーとして、その後も関わりを持つことになります。
田中:開催するペースは年に5〜6回程度でした。最初はイベントやマルシエを中心に、こちらからお願いをして出展させてもらっていました。
次第に、回を重ねるごとに認知度が広がり、需要があると認識していただいたのか、主催側から声をかけていただけるようになったんです。
それで、志布志以外でも大隅半島内で無理なく出展できる範囲でプロジェクトを展開していきました。輪が広がっていく反面、1つの問題も抱えるようになります。
それは、モノがどんどん増えていくことでした。実際にこちらが準備していたモノを持っていってくださっても、一人で5~6点だったり、多い方だと20~30点ほど提供してくださる方もいらっしゃったので、溜まってきたモノをどう管理していくか。そこの壁にぶつかるようになりました。
でも、このプロジェクトをするにあたって、その壁は宿命なんだ。受け入れるしかない。そう思い、その解決策をメンバーと一緒に考えました。
すると、志布志市内のあるスペースを所有している方から「あなたたちの活動は聞いているよ」「必要な活動だから、保管する場所として、このスペースを使っていいよ」と嬉しい声をいただいたんです。
それはプロジェクトを始めて2年経った時のことでした。
(後編へ)
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