彼が心配な週末
現在、2020年3月27日0時43分。わたしの心はざわざわしている。目からは久しぶりに涙がこぼれているし、そのせいでスクリーンが見えづらい。
一昨日、東京都で不要不急の外出自粛要請が出た。
そして立て続けに、神奈川、千葉、埼玉でも。
昨日、彼の働く会社でも「やっと」在宅勤務が認められた。
東京では、食べ物がないらしい。いつまで続くかわからない、「ロックダウン」の危機。人々は2020年になっても食べ物がないと生きていけず、物質社会の象徴、スーパーから品物が消えているらしい。
今週末行くはずだった東京。彼と見るはずだった、例年よりも早めに満開になる桜。そんな、はじめて東京で過ごす桜色の季節。やめにした。
もうかれこれ、3週間も会っていないし、正直、今すぐ飛んでいきたいくらいなのに。まさに苦渋の決断だった。
わたしの仕事は塾講師。授業は再開している。毎日春期講習で朝から晩遅くまでせっせと働き、息が切れるほど喋って、お金をもらっている。生徒はほぼ皆マスクをしているし、そのせいで発音している口を見ることができなくて、仕事がかなりやりづらいけれど、おかげさまで順調で、楽しい。彼も、わたしも、週末に向かって頑張って働いているせいで疲れてはいるけれど、元気だ。体調もよいらしい。
身体は元気で、彼が居ずともどうぶつの森なんていう娯楽も、この前2歳になったばかりのかわいいわんこもいるのに、こんなにも苦しいのは、膨らみすぎる想像のせいかもしれない。
ネット・SNS・ニュースからはコロナウイルスの、ネガティブなニュースばかりが耳に入ってきて、耳を、目をふさいでしまいたくなる。
東京のスーパーの描写をみて想像するのは、大好きなたまごが売り切れていて悲しむ彼の顔だし、マスクも消毒液もなければどこへ行っても不安だろうし、新幹線に乗って京都へ帰ってくることもできない。家にある、買っておいた5キロのお米とカップ麺ばかりを食べていたら、それこそビタミンも足りないし、食のバランス崩して免疫力が落ちちゃうじゃない。ドラッグストアに行けば、どこからか流れたデマで買い占められ、本来そこにあるはずのティッシュペーパー・トイレットペーパー・おむつのすっからかんな棚があるだけ。そこから想像するのは、おむつがなくなったお母さん。トイレットペーパーを買えなかった、おじいちゃん、おばあちゃん、ひとり暮らしのお兄さん、お姉さん。
どうして。こんなにも感染者が増えているのに、なぜまだ社会を通常通り動かそうとするの。こんなにも異常な事態で、世界各国で「外出禁止命令」が出ているのに、日本はなぜ自分の首をいつも自分で締めようとするのだろう。わたしにはお金の話はわからないけれど、1週間お休みにしようよ。1週間休んでおわってしまう社会なんて、おかしいよ。通勤電車に乗っていれば、あんなに至近距離で、密閉された空間で、つり革握っていれば感染するのは当たり前。開けた遊園地を休園するのと同時に、なぜそこを辞めないの。
わたしにはわからない。勤勉すぎる日本人が、なぜ感染の危険を払って出退社して、ちゃんと働こうとするのか。仕事があるから、と言うけれど、その仕事は一週間後ではいけないものなのか。「こんな時」に、一番に優先されるのは、迅速な仕事や対応よりも、自愛ではないのか。
わたしが働く中小企業の塾に対しても、本当は物申したいが、毎日自分たちで除菌作業をして、生徒たちに手洗いうがいをさせて、対策は打っている。子どもたちやその保護者にとっては、学校もなくて家に引きこもるストレスを少しでも発散することが最優先事項で、塾はそのニーズに応えなければならない。でも、人々が抱いてしまうこのニーズ、wantが、今のサービスに溢れた、「お客様第一主義」で休めない社会を作り出してしまっているのだと、とてもとても悲しく、虚しく感じる。
P.S. 幸い京都にはまだ食べ物もあるし、うちにはマスクも消毒液もあるから、週末の間に送りたいな。おせっかいおばさんだと思われているだろうし、おせっかいはいつもとてもとても嫌悪されるのだけれど、ちゃんとした食生活をサポートできるなら、上記の理由でサポートしたいのだ。わかってくれ、彼。