会社(と人の関係)はどうなっていくのか キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(51)
今回はこれからの人事やキャリア開発を考えていく上で参考となる書籍やHPをご紹介したいと思います。
とはいえ、私の独断と偏見での選考となりますことをお許しください。
★「会社はこれからどうなるのか」
最初は、財団法人新潮文芸振興会が、日本語によって行われた言語表現作品一般の中から「自由な精神と柔軟な知性に基づいて新しい世界像を呈示した作品(小説・戯曲・詩歌等のフィクションは除外)」に与える第2回(2003年)小林秀雄賞を受賞した「会社はこれからどうなるのか」(岩井克人・東京大学経済学部教授)です。
ほぼ日刊イトイ新聞が仕掛けた「智慧の実を食べよう」の第2弾として開催された「学問は驚きだ」という「超時間講演会」(全部で6時間!)でも取り上げられたテーマですのでご存じの方も多いのではないでしょうか?
この本の帯に糸井重里さんが書いているように「中学生でも分かる」くらい平易に「会社とは何か」が解説されていますので、株のことや商法のことなんてちんぷんかんぷんという方でも読んでいけます。
ホリエモン事件(「事件」というより「三文芝居」だと私は思いますけどね。まだ続きがあるのかもしれませんが、もしこれで終わったらとってもつまんない結末なので、田舎芝居にもなりゃしないと思います)を聞いて、「よく分かんな~い」と思っている方、ぜひ勧めです。
さて、人事の立場から見たときのこの本のポイントは次の点にあります。
1)組織特殊的人的資産という考え方
2)日本的経営の持つ意味
3)ポスト産業資本主義での組織のあり方、働くということ
特に理解しておきたいのは組織特殊的人的資産という概念です。
組織特殊的というのは、「その特定の組織でしか役に立たないような」という意味です。
つまり組織特殊的人的資産というのはその会社では役に立つけれど他の会社では役に立たないかもしれない「人」ということになります。
それって、転職に不利ということで、最近ははやらないのではないか?と思いますね。
確かにそのかもしれません。
転職雑誌や電車のつり広告をみると「あなたは他社で通用する人材か?」だとか「あなたの市場価値はいくらか」とかいって、どこに行っても通じるようでないとこれからは生きていけませんといわれているような感じがしますからね(こういう危機感をあおろうとするやり方は本当に好きになれませんねぇ)。
しかし岩井先生によれば、大量生産大量販売による価格競争力で収益を得ることができた「産業資本主義社会」ではそうした設備・装置を持てるだけの資本があることが市場で勝つことができましたが、低コスト化が行き着き、また消費ニーズの多様化が進んだ現代(ポスト産業資本主義社会)では、価格以外の差別化が求められるようになり、設備・装置の性能格差ではなく、それをうまく取り扱うノウハウや知恵、さらには製品の元となるアイデアの違いが求められるようになっています。
家電製品でいえば、「水で焼く」という新発想を搭載し、ローカロリー調理をうたった調理器具(ウオーター・オーブンというのですね)が大人気を収めていますね。
こうした新製品を生むのは設備ではなく「人の頭」です。
また第三次産業は人が提供するサービスの質が問われます。
外食産業でいえばメニューや価格も大事ですがその雰囲気や接客も大切です。
これらは全て「働く人の頭と心」に付随しているものであり、会社を辞めるといったときに、置いていってもらうことはできません。
いまや機械設備以上に人が大切なのです。
人こそが会社の「資産」なのです。
しかも、他社との差別化という観点からいうと、我が社独自のサービスやアイデアであって欲しいわけですから、必然的にそこに我が社なりのカラーなり文化なり、経営理念が織り込まれていくことになります。
従って人材は「組織特殊的人的資産」にならざるを得ないことになります。
一方、働く人にとっては「組織特殊的」であることは当然リスクを抱えることになります。
その会社がなくなってしまっては役に立たなくなってしまうからです。
全く役に立たないということはないにしても、これまで評価されてきた特殊的である部分が逆にネックになってしまうかもしれません。
だからこそ自分の今いる会社には頑張ってもらわなければなりません。
会社に愛着を感じ、忠誠を誓い、業績の向上に躍起になれるのは、慣れ親しんでいるからだけでなく、これまでに自分が獲得してきた、言い換えれば時間を投資してきた組織特殊的なスキルや知識などの価値を保つため、本当にいわゆる運命共同体だからという側面もあるわけです。
こう考えると従業員は経営者のために働いているのでも、ましてや株主のために働いているのでは決してありませんね。
本でも指摘されていますが、日本人は「我が社」といい、「我が家」と同じような扱いをします。
欧米の人はそうは考えません。
日本人にとって、会社とは自分の中にある知的資産を最大限活かせる「他にはない特殊な場」なのであり、だからこそ「我が社」なんでしょうね。
そうした信託にこたえない経営をしていると、従業員はその会社の「組織特殊的」になることにリスクを覚えますから、それを回避するために転職するという行動に結びつくことになります。
★古くて新しい日本的経営を
こうして考えると人を大切にしてきた日本的な経営は間違っていないし、もっと見直されてよいのではないかということになりそうです。
人を大切にするという面では○ですが、だからといって全てがよいというわけではありません。
組織特殊的人的資産といっても、長く勤めていればノウハウや知識などの資産を獲得できているかというとそうではありません。
従って「年齢序列主義」(年功ではない)というのはやはり×です。
では終身雇用の方はどうでしょうか?
この本では、従業員が安心して組織特殊的資産を蓄積できるように、またそうした人的資産が散逸してしまわないように企業年金や退職金制度などを存続し、会社の成長を長期の視点でシェアできるような形のストックオプション制度を取り入れるべきと指摘しています。
これについては財務安定性の面からの議論が不可欠ですが、少なくとも終身雇用は、これまでこのめるまがで何度も取り上げているように、私も○だと思います。
要は成果に見合った処遇になっていればよいわけで、一定の役割を果たすことができるうちは、年齢が一定以上であるということだけを理由に雇用をうち切るというのは理不尽だと思います。
本当に人を大切にするということはどういうことなのか?
それは個人個人の仕事人生(=キャリア)を、組織の要請との摺り合わせをしながら大切にすることだと思います。
この点を再認識した上で、もう一度日本的経営の良さ、悪さを洗い直してみるべきでしょう。
その観点を提供するという点でもこの本は必読です。
★ポスト産業資本主義の組織
この本のもう一つのポイントはこれからのポスト産業資本主義の下ではどのような組織であるべきかを提言している点にあります。
それはなにか?
これについては読んでみてのお楽しみ。
わたくしは「やっぱりキャリア開発だわ~」と思いました。
★おまけ
余談ですが、この本でイギリスのサーチ&サーチ社のことが出ていました。
先のホリエモン事件で、ニッポン放送の従業員が「経営が変わるのであれば我々は会社を辞める」と発言していましたが、1990年にサーチ&サーチ社で同様のことがあったそうです。
そのとき、株主に追われた元の経営者とそれを慕って会社を辞めた従業員が興した新会社が、結果的には元の会社を上回る規模になってしまったとか。
人的資本が中心になると、「会社は株主のもの」とは言えないというよい例ですね。