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キャリア開発と成果主義 キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(44)
さて、先日、「キャリア開発と成果主義」というテーマで2時間ほどお話をさせていただく機会があり、そこでいつも思っていたけれどまとめて話してはこなかったことをお話ししたところ、おもしろかったという声をいただきました。
そこで調子に乗って、めるまがでもその事を書いてみたいと思います。
(その時の勢いというのもあるのですけれど、うまく伝わるかな?)
★成果主義とは
前(例えばこれ)にも取り上げましたが、成果主義については誤解がつきまとっています。
そもそも「○○主義」というの考え方や行動の指針を表すものです。
成果主義というなら「成果=良い結果」を重視して考えよう、行動しようということを指しているに過ぎません。
それがなぜか成果主義といっただけで「評価制度」や「賃金制度」「賞与制度」の話になってしまいます。
本来ならば「成果主義報酬制度」だとか「成果主義評価制度」ときちんと表現すべきなのです。
そういったことではなくて、自分のキャリアを考えるということは成果主義という発想ととても関係があるということを説明してみたいと思います。
さて、「虚妄の成果主義」で著者の高橋さんが指摘しているように、成果を測定して、それを賃金に反映させるという意味での「成果主義評価・報酬制度」というのはやはり弊害がでてくると思います。
なぜなら人間が働くのはお金のためだけではないからです。
成果が挙がれば報酬が高くなると、その報酬の高さで当面は満足できるかもしれません。
しかしそもそも報酬というの麻薬にも似ていて、だんだんを強くしないと、つまり報酬を高くしていかないと効果が薄れてしまうものです。
人事考課の結果が良かったからといって報酬を増額すると、その時はとてもインパクトがありますが、翌年はそれ以上でないと、なかなかモティベーションを維持するのは難しいのです。
去年頑張って報酬が上がった、うれしい。今年も頑張って同じくらい成果を上げた、でも報酬は去年と同じ‥‥。う~んと思ってしまうのです。
ましてや今年頑張って成果を出しても、翌年普通の成果なら下がってしまうかもしれないというのでは、分かっていてもやりきれなさが残ります。
報酬が上がってうれしいのは、そのことが自分についての評価だと取ることができるからではないかと思います。
だからいくらかでも少しずつはあがってほしくなるのです。
「ちょっと待て、著者はいつも役割にあった報酬水準にすべきだと言っているではないか、毎年あがるのであれば年功的になるではないか、いつもといっていることが違うぞ」-そう思います? やっぱり?
職務給というのは仕事に応じて報酬水準が定まっているのだから、同じような仕事をしている限り報酬が上がらなくても当然と、いつもいっていることと違うぞと思われるかもしれませんね。
そうなんです。
職務給方式だとあがらなくても当たり前なんです。
やりきれなさが残るかもしれないけれど、その基本ははずせないと思います。どうしましょう?
思い起こしておきたいのは、成果に報いるのは報酬だけではないということです。
以前にこのメールニュースでも取り上げましたが、ハーズバークは動機付け・衛生要因理論の中で、賃金を衛生要因、つまり不足すれば不満を呼び起こす要因と位置づけ、満たされると満足感を引き出す動機付け要因には区分しませんでした。
動機付け要因に入っているのは賞賛されること、達成感を感じること、そして仕事そのもの。
そうです、「虚妄の成果主義」でも指摘されていることですが、「次の仕事」で報いることを考慮に入れるべきなのです。
つまり、毎年の成果は賞与をいくらにするか、翌年の月例報酬をいくらにするかという「成果の短期決済」だけで考えるのではなく、今後どのような役割を担ってもらうかという「成果の長期決済」で貢献に報いることも有効に活用すべきなのです。
このことは組織にとって、ごく自然のことです。
なぜなら、成果を上げている人により重要なあるいは難易度の高い役割を任せようとするのはとても妥当な判断です(当然「名選手必ずしも名監督ならず」ですから、任用先は考えなければなりませんが)。
本人の達成した成果に着目して短期、長期の報償システムをもつことが成果主義人事制度には必要なのです。
★個人にとっての成果
成果に対する報償を報酬だけでなく仕事そのものでも実施していくとき、個人の側にもやらなければならないことがあります。
それは自分のキャリアを考えること。
なぜなら成果主義的な人事制度をきちんと展開しようとすると、次にどんな役割をしたいのか、本人が分かっていないと、組織としては一方的な役割の割り当てをするしかなくなってしまうからです。
どんな仕事人生を送りたいのか?
これを短期的にいうと「次はどんな業務がしたいのか」ということになりますし、長期的にいうと「どんなキャリア・ゴールを目指したいか(あるいはキャリア・パスを歩んでいきたいか)」ということになります。
そう、成果主義が個人にもたらす意味とは、ダイナミックな報酬、うまくいけばがっぽり稼げるということではなく、自分のキャリア・ゴールを目指すということになるのです。
当然、中には高い報酬そのものを目指す人もいるかもしれません。
どんなゴールを目指すか、それはその人ごとに違うものです。
しかし、少なくとも自分はどんなキャリア・ゴールを目指すか、どんなキャリアを経験していきたいかが分かっていないといけないとうまく機能しないのです。
★あなたは成果を見据えていますか?
こうした長期のキャリアの視点がなければ、目標による管理(MBO)も決してうまくは機能しません。
なぜなら目先の目標しか検討できなくなってしまうからです。
当面の目標しかなければ、「この仕事は難しいし、もしかすると達成できないかもしれないけれど、自分にとってはためになることだからやってみよう」だとか、「今年は組織の目標にあわせてあげますけど、来年は私の希望を入れてあの分野の仕事をさせてくださいね」といった長い視点を含んだ目標設定などできません。
そうすると必然的に目先の目標をいかに低く設定して良い評価を取るかということに関心を向けざるを得ません。
ぐっとこらえて難しい課題にチャレンジし続けることが、自分の将来につながるということにはならないからです。
先のことを話題にすることで取引をしよう、えさをぶら下げようというわけではありません。
組織が個人を評価する視点には、これも前に述べたことがありますが、当面の評価(業績評価)と、将来性予測(アセスメント)という二つがあります。
当面の評価がいかに良くても将来性予測は低いということがあるのです。
今の仕事はできるけれど、将来のより高度な仕事や重い責任を担ってもらうかどうかを判定するとき、目先のことしか考えられない人はどうしても後回しにせざるを得ませんよね。
成果主義人事制度では、個人は自分が達成したい成果をしっかりと見据えることが必要です。
そのためにはCDW(キャリア開発ワークショップ)に参加するなり、キャリア・カウンセリングを受けて見るなりする必要があります。
自分の将来をイメージするためのトレーニングをしてみるというのも良いかもしれませんね。
それにはNLP(神経言語プログラミング)が有効かもしれません。