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家訓を考えよう③【話せる相手に】

結局まだ夫と話すにも至れていない家訓作り。

家訓のキーワードとして【安全基地】【心理的安全性】というのが浮かんでいるのだが、やっぱりこれらを大事にしたい!と思う出来事があった。


今日はハロウィン、遊んで帰ってきた子どもがお菓子を手に持っていた。「断ったんやけどな!持って帰ってって渡されてん!」と。
よかったね〜と言いながら、季節のイベントを適当にしがちな私は内心やばいやばいと思って、お友だちの保護者へお菓子のお礼の連絡をした。
すると、どうやらご自宅へ遊びに行っていたらしい。
お菓子をもらっただけと思って連絡をしたものだから、お邪魔していたなんて!と焦った私。
子どもに「お家で遊ばせてもらったならお話ししてよね〜」と言ったものの、真剣に聞いてくれない子ども。

最近、こんなことが多々ある。
保育園の時は、園での様子は先生にも聞けたし、子ども本人も聞いて聞いてと何でも話してくれていた。
だけど小学生になり、学校の様子はなんとなくしかわからないし、放課後子どもだけで遊ぶ時間も増え、前ほど話もしてくれなくなってますます見えなくなってきた。
特に1番上は怒られるかもと思うと隠すクセが昔からある。

ああ、こうやって親とこの距離は離れていくのかなぁなんて寂しさもあるのだが、実は今日、自転車でコケていたらしいということも発覚。
これは夫と子どもがお風呂に入っていて、手が真っ黒だったので聞いてみたら話してくれたらしいが…

私、帰宅してから子どもの手見てなかったんだ、と落ち込んだ。反省、した。

子どもが話してくれない。成長と共にそれは起こり得ることだ。
だけど、私はそもそも聞く姿勢になれていなかったのではないか?
話したいと思ってもらえる母でいたか?
娘が生まれてからのこの1年、上2人と向き合う時間がどれだけ取れていただろう。

私は、夫や子どもたちにとって、何でも話せる存在でありたい。
嬉しいことや楽しいことは勿論、
困った時、悩んだ時、辛い時、悲しい時、しんどい時、私なら何でも受け止めてくれる、話を聞いてほしいと思い浮かべてもらえたら嬉しい。

そのためには私は、家族は、何を大切にしていくといいのか。
考えるきっかけを、宿題をもらった気分。

「家族には何でも話そう」とか「きちんと話を聞こう」ということではないし、家訓というよりは夫と共有する教育方針として別途テーマに挙げる方がいいのかもしれない。

まずは近々、上の2人それぞれとデートの時間を作りたいと思う。