コンテンツとエンゲージメントの関係性
「御社の理念に共感しました」という違和感
面接でよくある「御社の理念に共感しました」という志望動機っておかしいという感覚を常に持っています。共感だけなら、ファンでもいい。別に社員じゃなくてもいいはずなんです。
どのようにしてその理念に関わるのか。例えば、購買者として関わるのか、1円でも株を買うのか、友達にその企業の商品を進めるのか。
私はビジョンのことを「風景」、その企業が見たい風景と訳しているのですが、その風景を自分たちで早送りして見たい人たちが一緒に働けばいいと思うんです。逆に、その風景を見ることが後ろ倒しになってもいいということなら、それは多分、一緒に働くという関わり方でなくてもいいかもしれない。
あんなの万人が共感できるものを載せるに決まってるじゃないですか。もしかしたら、「ここに価値をおいている」ということだけではなく、「ここには価値を置きません」ということも、企業は積極的に開示した方がいいのかもしれませんね。
人事も経営者視線が必要な時代
人事個人が存在感を高めることの可能性があると思うんです。自分の会社のことを「良い会社」って思うのは当たり前、でも自分がそこに属している以上、どこまでいっても「自分にとっていい会社」でしかないです。
じゃあ、どんな人にとっていい会社なのかを伝えるためには、まずは率先して「自分がどんな人か」を開示した方がいい。自分にとって良いから他人にとっても良い、というのは論理の飛躍を感じます。 言わなくても、そこで楽しそうにやってる自分を見せ続けることが一番のエビデンスになると思っています。
それに、チームとして強くなるには、まず個として強くならなければいけない。自らが表に立つことで、結果的に会社のいろんなチャンスに繋がるかもしれません。
私は自分の中で使う言葉をとても大事にしているんです。「採用広報」という言葉がありますが、そもそも、「広報」という言葉がしっくりこないんですよね。広報って、「広く報じる」、1対nの関係構築ということ。それってすごく昔の言葉だなと思っていて。僕自身が採用の場においてその言葉を使うことが、理解できないから。
「広く報じる」って、PVが欲しいということ。言葉自体にエンゲージメントの要素がないんですよね。私は1万PVでシェア0のコンテンツよりは、100PVでもシェア30のコンテンツの方に価値を感じます。 共感性の高いコンテンツの元に生まれる民主的なコミュニティをデザインするのが理想です。
われわれは採用にかかわる人間である前に、意志のある人間です。
もし、がんじがらめのスクリプトが決まっていて、余白がないのであれば、それこそその会社にとってペッパー君以上に優秀な人事っていないんじゃないかなと。ペッパー君は文句言わずに言うこと聞いてくれる。でも、そこに意志がないから、一緒に働きたい!とはならない。だから心は動かせないと思うんです。