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つらさを『乗り越えた』とは、どうしても言えない

つらい経験をどう乗り越えるか――多くの人が直面するこのテーマについて、私の自己紹介note記事を読んでくださったよっちゃんが、Xでこんな投稿をしてくれました。

「『乗り越える』、僕はこの言葉をずっと使ってきたけど、どうしても乗り越える気概だけでは自分を疲弊させることもある。」

よっちゃんのX投稿より(ご本人から転載許可をいただいています)

よっちゃんの言葉に、私はうなずくばかりでした。

もちろん『乗り越える』という言葉には、ポジティブな響きがあります。
そして乗り越えるその過程で、成長することができたら素晴らしいです。

でも実際には、乗り越えようとする気概だけではどうにもならないときがある――あなたもそう感じたことはありませんか?

生きていれば誰でもつらい経験はある

生きていれば、誰もがつらい経験をします。
失恋、裏切り、家族との対立、大切な人との別れ、仕事や挑戦の失敗…。
どれもが心も体も苦しめ、痛みを感じます。

私にも、過去に多くのつらい経験がありました。
20年間で20回の転職、依存症やうつ、夫の突然の死、etc……

つらい出来事を『乗り越えた』とは言いたくなかった

もちろん、つらい出来事には終わりがありました。
でもしばらくしてから振り返ったとき、どうしても『乗り越えた』という言葉を使いたくありませんでした。

まるでその出来事が、自分とは無関係な過去のものになってしまう、そんな感覚を覚えたからです。
トカゲが自分の尻尾を切り捨てるように、大切な一部を手放してしまうような気がしていました。

つらさを経験した後にふと変化を感じる瞬間

つらい経験の最中は、悲しみに沈み、どん底と感じるものです。
私もそのような時期が長く続きました。

しかし、つらい出来事が過ぎ去ったあと、ふと気づく瞬間がありました。
自分は何かが変わったかもしれない」と。

痛みが完全に消えたわけではないのです。
でも自分の中で何かが変わって、痛みや悲しみに浸るだけではなくなったのです。

ただ泣いているだけでは何も変わらない
そんなふうに思うようになりました。

そしてある日、夕陽を見上げて「きれいだなぁ」と素直に感動しました。
また、友人がかけてくれたさりげない励ましの言葉に胸が熱くなりました。
周りの世界に目が向くような、小さな心の変化が生じていったのです。

痛みを経た自分に、何か変化が起きていると実感する日々がありました。

出来事を、自分の一部として受け入れる

そしてさらに気づきました。

つらい経験が、自分の変化を生み、私はそれを『自分の一部』として受け入れたのではないか?と。

起きたことは元には戻せない。

だけど、出来事に抗うのではなく、無理に忘れるのでもなく、それを『自分の一部』として受け入れることはできる

あの変化は、私が『自分の一部』として受け入れた瞬間だったんだ、と。

あの経験があったからこそ今の私がいる。
そうやって変化した自分は、痛みを経た分、少しだけ強くなり、少しだけ人に優しくなれたような気がしました。

だからこそ、私は『乗り越えた』のではなく、『自分の一部にした』という表現を選びます。

つらさがあなたの力になる日

今、もしあなたがつらい思いをしているなら、すぐにそう感じられないのは当然です。

そして無理に『乗り越えなければ』と自分にプレッシャーをかける必要はありません。
でも、いつかその経験があなたの一部となり、新しい力に変わる日が来るはずです。

その日が来ると私は信じています。


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