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自分だと思っているものを越えていく

作家友達のかなやんが去年の創作合宿の書簡を書いてくれたのでその返信書簡です。

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大嫌いな作家友達がいる。かなやんだ。

2020年NewsPicks主催の、大友監督と佐渡島庸平さんによるビジネスストーリーメイキング講座で一緒になった。

その際各々が描いたものはこちらで第1章が読めます。


最初から嫌いだったわけではない。
・・・と書こうとしてイヤ、最初から嫌いだった、と思い出した。
世の中のクリエイターで作家ほど偏屈なものはいないのではないかいと思う。
全力で世界を自分の色眼鏡で見ている。
それこそが自分の作品を作る核になるんだと思う。
だから通常運転の私は「初対面の人は皆、悪い奴。だから嫌い」と思っている。(・・・自分のキャリアコンサルタントとしての立場を台無しにする発言だな。大丈夫なんだっけコレ書いて?)

初対面の知らない人に対してやあやあやあと自らフレンドリーな笑顔で近寄っていけるスキルを持っている人は、絶対悪魔に魂を売っていると思う。
かなやんは、そんな人だった。

講座の為に赴いた銀座のど真ん中のイケてるビルの上層階で誰とも目を合わすこともできずにプルプルと震えていた私にとって、明るい笑顔でやあやあやあと誰とでも分け隔てなく会話するかなやんはディープインパクトだった。
「ヤベー奴いる!」

色白なお肌に色素の薄い髪、小柄な体躯に屈託のない満面の笑顔。
人懐っこい小型犬。
という表現がぴったりだった。
コイツはヤバイ。

私の人見知りアンテナは全力で警報を出した。

そんなかなやんの文章を読んで、私はさらに震えあがった。
たぶん私がこの後5回くらい転生しても描けないであろう美しい情景描写をサラリと描いていた。
ギャー!!!!!
こんな奴おるんか!!??
ムカツク!ハラタツ!キライダー!!!!
人は自分がほしくて手に入れられないものをなんてことなく持っている人を憎む傾向があると思う。
自分がほしいものじゃなければ何とも思わないが、自分がほしくてほしくてでも絶対今生の自分には手に入らないと気づいているものを、当たり前のように持っている人を目の前にして平静ではいられないものだ。

かなやんの目には世界はそんなにキレイに見えてんの?
なんで私の目には世界は濁ったり歪んだり澱んだり、スモーキーに見えてんの?
コンチクショー!!!
私だってそんな光と宝石と綿菓子の上みたいな世界で生きたいよ!

あ、いかんいかん。
如何にかなやんが嫌いかということなら永遠に書きそうだ。
まあつまり、かなやんはそれくらい私とは全く違う才能に満ち満ちた作家さんだ。

そんな彼女と去年創作合宿をした。
新潟で。
お互い描き始めたら全集中タイプだが、それまではのほほんとしている。
見たり聞いたり話したりすることで思考を磨き作品を研いでいく質なのだと思う。
作品を描き始める前にお互いその頃自分が興味を持っていることをシェアしたりした。
私はその頃(というか今も)自己認識にハマっていたので、そのワークの一つをシェアした。
そしたらさ。
かなやんってばその時になって初めて、自分の中にあると思っていなかった自分では良くない事だと思いこんでいるものを見つけ出し震えていた。

ちょ、待てよ!
いったい、いくつやねん!
なんでその歳までそんなピュアピュアでいられんのよ!!!
私なんか3つの年には自分もこの世もスモーキーだって知っとったわ。

なんかもう気分はすっかりエデンの園でイブに林檎を教える蛇の気分。

アンタもこの世も本当は澱んでんのさ。イヒヒヒヒ。
自分で知りたきゃ林檎を食べればいいんだよ。ヒヒヒヒヒー。

※蛇はそんなことは言いません。
っていうか色々大丈夫か私。

私個人としては蛇は別に悪いことをしてはいない、と思っている。
食べたら賢くなるよ。
は真実だ。
ものすごくぶっちゃけ話、蛇が悪魔だという設定はキリスト教が経典を守らせるための方便だと思う。

「知る」は人間の本能だ。
覆いがかぶさっているものは剥がずにはいられない。
それは世界に対しても、自分に対しても。

自分はこんな人間だ。
これこそが自分だ。

と自分が思っているものは大抵、とても浅くまったく検証されておらずなんなら他者の意見を鵜呑みにしたものに過ぎない。
親、教師、友達の何気ない言葉だったり、血液型や星座の刷り込みだったり。
実は自分のことは本当は良く知らないことが多い。
知ろうとすると恐怖が芽生えることもある。
その実は食べてはいけない。
そう思い込んでいるから。
自分だと思っているものを越えた先に未知の自分はいる。
捕まえた!
と思った途端にあいまいになる。
捕まえた!「これこそが自分だ」と思ったらさらにその先にまた未知の自分が出てくる。
私たちは自分の奥に無限を持っていて、多くは知らないまま終わる。
だからこれはずっと続く探究の旅。
そこいらの冒険小説より波乱万丈で楽しく苦しく感動する、自己認識の旅。

私はそんな旅にかなやんを導いたことになる。
この旅がかなやんにとって幸多からんことを祈る。
と、思いつつさらに一皮むけて表現力に磨きかかったらどうするよ。
また蛇に化けて「そんなに熱心にその旅しない方がいいよ」と止めるべきか思案のしどころかもしれない。

※言うまでもないことですが
自分の「嫌い」が嫉妬にまみれていることを自己認識しております。

#嫌いと好きはほぼイコール


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