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ちはやふる:やりたいことが見つからない時にはコレ

【ちはやふる:末次由紀】


そんな簡単にCallingは降りてこない。これが自分の「天職だ!」と思えるほど、熱中できることはそうやすやすと見つからない。

「好きを仕事にしろ」

って最近よく言うけど、自分の中に仕事にできるほどの「好き」ってあったっけ??音楽やサッカー、ゲーム・・・寝食忘れるほど好きかと言われると、ちょっと困る。ゲームクリアまで貫徹とかすることはあっても、クリアしたらそこで終わり。何度もやり込むほどじゃない。サッカー好きって言ったって、部活じゃあるまいし、毎晩リフティングとかしない。

でもヤル奴はいる。
クレイジーだと思うけど、そういう奴はいる。で、そういう奴の好きを「好き」だというのなら、自分の好きはそこまでじゃない。

自分は何かに夢中になって、他を忘れるようなことはない。明日もあるし今日はソロソロやめとくか。ブレーキがちゃんとかかる。この世にはブレーキがかからない奴が一定数いる。それを「天職」だというなら、自分の天職はコレじゃない。っていうか、そんなもの、ない。

自分には、Calling(天命)がない・・・

そこそこ器用で要領も悪くない。空気も読むし、気も遣える。

でもな。それだけ。

こんな時、今までやっていた、自分では結構好きな、到底誰かに及ばないモノを手離す?熱量冷める?

負けた時の言い訳、用意しとく?

それとも自分の限界を見てみる?

ちはやふるの主役は綾瀬千早ちゃんという女の子。彼女は才能あふれる天才。
なんだけど、私の中で、この物語の主人公は断然、真島太一・まつげくん。
もうもう、泣かずに読めない。
彼はこのかるたの世界にさえいなければ、ずっと心平らかに生きられる。
彼の幸せを祈らずにはいられない・・・

で、何が言いたいかっていうと、好きだけど、到底誰かには敵わないな、と思うことがあったら、まずはもう限界、もうおなか一杯、ってことまで行ってみると良い。
もう見るのもヤダ、ってなるかもしれないし、役割に気づくかもしれないし、終了感が出るかもしれない。
こればっかりは、行ってみないと分からない。

一つにしか注力しない人生もあれば、複数に注力する人生もある。一つづつやっていく生き方もあれば、同時進行の生き方もある。
どちらが良くてどちらが悪いとかないし、本当はそこに優劣はない。
日本人は、一つに注力することが偉いことだ、っていう認知バイアスかかっているけど、そろそろその思い込みは外して良い。

あれこれ同時進行で進めていたら、ある日突然つながることもある。もっと自分の運と本能を信じてゆだねてやってもいいんじゃないかな。

もし号泣することになっても、得るものはあるから。

なんにしろ、40巻、神回。泣いて目が溶けるかと思った。


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