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老親の存在の大きな意味は、全員集合の蝶番役

私の母の誕生日は1月2日。
例年我が家では、お正月は1月2日に両親宅に全員集合していました。
私は3姉妹なので、全員集合とは、3姉妹とそれぞれの家族、みんなの全員集合です。

集合にあたっては、各自がお正月料理やおいしいお菓子を持ち寄り、小さい子どもたちへのお年玉を持ち寄り、各家庭から各家庭への御年賀を持ち寄り、そして、母への誕生日プレゼントを用意してお祝いをする・・・。
これが我が家の年始の恒例事業でした。
12月に入ると、何を用意する?という相談が始まるのです。

しかし、3年前に父が施設に移り、一昨年には母もサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に住み替えたので、1年半前から両親宅は空き家。
そうなると、両親にとっての家族にあたる私たち子どもは、全員集合する場所も、きっかけも失ってしまいました。
私たち姉妹だけなら会うことはそう難しくはないのですが、全員集合の機会は、意識して作らないとなくなってしまうのです。

我が家は父の両親と一緒に暮らす3世代同居家族だったこともあり、考えてみると、昔からしばしば父の兄弟姉妹が来ていました。
父も、母も、自分たちの兄弟姉妹にはお中元お歳暮を毎年贈り合っていたし、それが届けば互いに御礼を兼ねて長電話をしていました。
父は5人きょうだい、母は4人きょうだいだったので、お中元とお歳暮の時期はしじゅう親戚と電話していました。

親の代から私の代に変わり、ずいぶんと親戚づきあいが変わりました。
薄くなったのかもしれません。

私たち姉妹は比較的仲の良い方だとは思いますが、今、お中元やお歳暮など儀礼的なことはしていません。
これが世の中の流れなのか、他の人たちはそんなことをしているのかどうか。
介護や空き家の管理等、両親に関わる問題で、今も姉妹間ではまめに連絡を取り合っているし、姉妹で会う機会は少なくはありませんが、それは個人同士であって、連れ合いや子どもたちを含めた家同士のつきあいというわけではありません。

両親の存在が、なかば強制的(苦笑)な全員集合のシンボルになっていたのです。
それぞれの家族全員と会う、すなわち対面することで、みんなそれぞれの近況を知り、子どもなら大きくなったことを知り、互いに元気でいること目で確認する機会になっていたのでした。

昨年父が亡くなり、我が家の全員集合の次のシンボルは、父の法要になるのかもしれません。
が、それも毎年ということではないので、次第に消えてしまうのでしょう。
親の老いというのは、次世代同士の関係づくりに大きく影響が及ぶのですね。
今さらですが、リアルにそんなことを実感しています。

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