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人生はいつでもどこでも "First Take!"

この物語はノンフィクションであり、1961年夏からスタートします。
主人公である私は8月生まれ、昨年8月に定年を迎え、再雇用制度を
適用頂きスターティア人材開発部で勤務中のYAMAMOTOと申します。
自身の歩みを振り返り
「次の世代に伝えたいこと」 を探りたいと思います。
記憶に残る出来事、自分にとって大事にしたい経験を洗い出そうと、
10年刻みの年代別に整理してみました。
これからは何が起こるかわかりませんが、これまで歩んだ我が人生は
「リハーサルはなく全てが本番」
「何事も一発勝負」
「ありのままを受け入れることが究極の幸せ」

であると思えました。

とにかく「スポーツで一目おかれる男になりたい」と、
小学1年から地域の野球チームで一生懸命活動する子供でした。
「バテルから練習中は一滴も水を飲むな!」
「下半身強化、ウサギ飛びでダイヤモンド一周!」

 今では信じられないですよね。スポーツ科学なんて言葉などなく、
「辛いことに耐えられた奴がレギュラーになれる」
「輝いたプレーができる」

と洗脳されていたところがあったかも知れません。
スポーツに携わった我々世代は「根性論」ですぐ物事を語り、評価する傾向にあるのはこうした経験の影響が否めません。
いい迷惑と若い皆さんは思われるでしょうが、ドーピングやステロイドを
使用するいかさまアスリートの指導よりましではないでしょうか。
少なくとも仲間と辛い練習に向き合っていた10代の経験は、今でも自分を励ます原動力になっています。
また、「夢中になるもの」を持つことが何歳になっても大事、充実した人生を送るうえで欠かせないと感じます。
私は「根性」がなくて「夢中」にウサギ飛びをしていましたが、
高校からは髪を伸ばしたくてサッカーに夢中なチャラ男でした・・・。

 高3の現役受験生の時は、センター試験の前身である共通一次試験が
始まった2年目、志望大学とは見解の不一致で入学を許されず、
それから予備校に2年通ってしまった結果、大学入学時は20歳に
なっていました。
親元を離れ、右も左もわからない東京での一人暮らしが始まります。
 これまで文化部の活動を小ばかにして来た体育会系単細胞の私が、
大学生活で文化会演劇活動に全力を注いだのは、
入学式でかわいい先輩女子大生から熱心に勧誘されたことは言うまでもな
く、「人の喜怒哀楽」に触れ、受け入れ、自分の「感性」を発信することで
「人を感動に導く」ことができる演劇の奥深さに取りつかれ、夢中になったからでした。
スポーツではなく、様々な書籍を探し、芝居を創作し、舞台演劇の世界を
探求する行動が大学生活を充実させる大きな柱となったのは意外でしたが、
世間知らずで視野の狭い自分に恥ずかしくなりました。
 あっという間に大学3年が終わり、就活雑誌が自宅に届く季節になってい
ました。
我々の時代は4年の
4月~5月にOB訪問、
6月~7月に企業説明会、
8月~9月が適正、筆記、面接、
10月1日内定式、
という半年の就活フローがスタンダードだったと記憶しています。
夏の甲子園が開催される頃が就活生もエンジン全開で、大正製薬の説明会で
配られるリポビタンD飲んでから次の商社の2次面接を頑張るみたいな
スケジュールを組んでいました。
 4年の就活の年1985年はプラザ合意で円高が始まり、輸入ビジネスが伸びる経済環境から将来性のある輸入専門商社での営業職を希望、入社が
叶いましたが、配属先が「人事部」、私の社会人人生は想像していた景色と
全く異なるスタートになったのです。御多分に漏れず、
「就職先を間違えた、早く自分を活かせる次の場所を探したい」と1年目は
葛藤の日々。
2年目に後輩が入り、仕事を引き継ぎながら「無責任な行動を取れない」
信頼を損なわないことを肝に命じました。
後輩の存在に感謝した瞬間です。

「必ずトップセールスになる自信がある」
「商品を売り込むのではなく自分を売り込むことは人一倍得意だ」
「自分はとにかく健康で忍耐強い」
「会社はなんでやる気のある人間を適材適所で仕事させないのか?」
など「新入社員時代は葛藤の連続」でした。
「営業をやる気がある」
「明るくて健康で人に嫌な印象与えない」
「デスクワークは向いてない」
とか自分で勝手にイメージを作り上げていました。
 営業の仕事に納期があるのと同様、担当する人事の仕事は個人、チーム、
会社全体と各々に期限があるものがほとんどです。
上司からの指示によって動くだけではなく、社員に指示して動かすこと、
経営者と労働組合のコーディネーターにならなければならないことなど業務
「経験」を積むことでようやく人事業務へのやる気が安定しました。
「意気込み」ばかり語っていた20代は本当あまちゃんだったと思います。
 また、結婚というイベントを機に「役割」を意識するようになりました。
これまで「職場での役割」を果たすことに集中していれば良かったですが、
「夫という役割」が増え、子供が生まれ「父親という役割」が増えて
「3つの役割」を同時に果たして行くことになりました。
喜ばしい中にも責任重大な事態です。忙しさにかまけてどれか一つの役割を
疎かにしないためには何をすべきか?、
健康維持のためにスポーツに携わることをまた意識し始めた年代です。

外資系企業の人事責任者として転職、内資系企業と求められる業績レベルの違いに愕然とします。
役員会上程用人事案件10枚綴りにまとめた資料を議場デスクにセット、
役員が集まり資料を手にした社長から一言、
 
社長: 「この資料を今から全部目を通せということ?」
私: 「いえ、これから私が内容についてご説明します。」
社長: 「それならはがき1枚に5行にまとめて出してよ。」
私: 「グラフも見て頂きたいのではがき5行にはまとめられません。」
社長: 「我々役員に判断して欲しいなら、時間をかけてこんなにたくさん
     資料を作りましたってアピールするより、何を判断すべきかを
     分からせることが人事のプロの役目だろ、
     そのためにあなたがここにいるんじゃないの。
     ポイントを5行でまとめて、あとはあなたの頭の中に入れて来て
     説明してくれればいいんだよ。」 
「人事のプロ」「あなたがいる意味」という言葉に私はどれだけ
「当事者意識」を持ってこの案件を承認させる行動をとったか考えました。
単に判断を仰ぐ受け身の説明をしようとしていたことが否めませんでした。
「自ら考え行動すること」が業務効率化、生産性向上についての実現に向けて不可欠であると実感しました。
    
 仕事の進め方をスポーツに例えると、内資系企業は野球、外資系企業は
サッカーです。
野球は9回というイニングが決まっていますが、何時になっても決着がつくまで試合を続けていました。今は延長12回までとなっていますが、
1イニングのプレー時間に制限がないので3アウトになるまで時間は無制限
のスポーツです。結果が出るまで働く日本人が好むのがよくわかりますね。
一方サッカーは限られた時間の中でいかに効率よく得点をあげるかで、
延長戦も時間が決められ最後はPK戦で決着をつける。
野球よりサッカーファンが増え、野球の視聴率が落ちて来たことは、
働き方改革が叫ばれる時代の趨勢を表しているように思えてなりません。
 外資系企業に来て、時間に対する価値観が日本と欧米で大きく違うこと、
長時間労働者がいかに無能扱いされるか切実な体験でした。

 我が物入りで外資系に転職した頃と外部環境がすさまじく変化しました。リーマンショック、JALが経営破綻、東日本大震災、そして何と言っても
新型コロナウイルス感染症の流行で国内外経済への悪影響の話題が絶えない時代の到来です。
環境の変化に順応できるビジネスマン、ビジネスウーマンが求められ、
そうした「人材を育成」して行くこと「専門性を高める」ことの重要性を
目の当たりにしたのがこの年代です。
私の場合は事業会社で人事という専門的職務を遂行して来たわけですが、
誰でも何かの「専門家」であれと思います。
若い皆さんは何の専門家になりたいですか?。
その理由とその専門スキルを習得することで人生にどんな変化が起こるか
考えてみて下さい。人生経験を積むにつれ進むべき道が見えて来ます。
そのためにも「好奇心を持って」「読書量を増やして」学ぶことが
近道です。大事なのは「沢山失敗を経験すること」、その失敗から学ぶこと
だと思います。その領域で最も多くの失敗をした人が本当の意味で専門家と言えると思います。
後輩に知識、技能を教えることで自分自身の理解も深まり指導力が高まります。たくさん失敗を経験した私は自信を持って指導をして来たつもりです。

まだ1年しか経験していませんが、ここ最近自身のITリテラシーがどんどん下がっていて、各ツールの活用について行けてないと実感しています。
携帯電話とPCにメール機能さえあれば日常生活に全く支障がなかったのに、チャット、スラック、グーグルミート、ツイッター、フェイスブック、
インスタグラムとその利便性、使い分けがまだよくわかりません。
わからないから使わない、使わないから使えない、語学力と同じですね。
語学は究極のコミュニケーションツールで、外資系企業では業績を出していることは当然ですが、英語、仏語、独語等語学が流暢な人の方がグローバルヘッドとのコミュニケーション力が高く、自身の成果をアピールできて評価され易い環境であったと思います。翻訳機という便利なツールも出回っていますが、日本語も含め人の言葉は大切にすべきと思います。
 多くのITファンクションを使いこなせる若い皆さんは、そうしたツールを通じてコミュニケーションを図り他から自分がどう評価されるかを知ること
に興味を持つ、「いいね!の文化」の中に暮らしていると思います。
知人だけではなく見ず知らずの人達からたくさん「いいね」が出て来ると
満足、一方見ず知らずの人達から「誹謗中傷」が一瞬にして出回る危険な
環境であることも事実で、コンプライアンス、メンタルヘルスの自己管理が非常に重要です。
どんな人生が良い人生なのかコンテストで決めることになったとしたら、
その「審査員は自分自身」だと思います。
自分を冷静に受け入れ「自分らしくあり続けること」で人気がなくなっても「人格」は残り続けるはずです。
あとはどの年代にも言えますが健康管理を怠らないことですね!

これからも続く人生が70代を迎えることができたなら、
学ぶ姿勢を忘れずに
楽しみながら自分らしさを維持して行きたいと思います。
以上、年代別に整理をした私の経験を総括すると下記内容になります。
若い皆さんの参考にして頂けるところがあれば幸いです。
これから社会人として様々な道で活躍されることを祈念しています。

 
 
 
 
 



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