キャラクターとペルソナ
ユングの心理学的タイプ論
をベースに60年以上にわたり 研究・開発が繰り返されてきた性格検査のメソッドMBTI®︎。私がはじめて検査を受けたのは、 MBTIトレーニング講座をうけるとき、でした。
報告された結果は
全16タイプに分類されているうち、報告された結果(私のレポーテッドタイプ)は INFP でした。この検査の結果は あくまでもきっかけに過ぎず、ワークを通じて自己洞察しながら 真のタイプ=ベストフィットタイプ を検討していきます。私の場合、結果として ベストフィットタイプも INFP で落ち着きましたが、認定ユーザーとなった時点でもベストフィットタイプが確定しないこともあるようです。それはそれで、自己探究のしがいがあるとも言えますね。
エッセンシャルMBTI
MBTIトレーニング講座は、一般には出回っていないテキストで学びます。真新しい知識がたくさん入ってくるため、それ以外の本を読む余裕はまるでなく、手が回らなかったMBTI関連の本
エッセンシャルMBTI 2014/1/1
ナオミ.L.クエンク/著 園田由紀/訳 (著)
を業務に活かそうと、繰り返し読んでいるいま、目に止まった INFPのカウンセラーの特徴を抜粋します。
・クライエント中心アプローチを好む
・長期的にわたる精神力動的なアプローチを好む
・クライエントの個性に純粋な関心をもつ
・(ある条件下において)対極のタイプESTJを、浅薄(せんぱく)で、自己防衛的で、過度に支配的であると見ることがある
特に、長期的にわたる精神力動的なアプローチを好む、のところで、ん?・・・精神力動ってなんだっけ(笑)ウィキペディアによると
精神力動(せいしんりきどう、psychodynamics)とは、リビドー(性的欲動)やアグレッション(攻撃欲動)を含めて人の心を解釈する手法および学術体系である。精神分析に用いられる理論である。これらを想定せず、生物、心理、社会的な視点から人の心を解釈しようとする力動精神医学とは異なる。
ふーん、そうなんだ・・・(←よくわかっていないww)こういうとき、このことを理解したいかどうかで判断している私がいて、いま分からなくてもいつかきっとわかるときが来るからいいやと楽観視することがあります。もし先になっても分からなかったとしたら、私にとって必要のないことだったんだなどと意味付けることもしばしば・・・。
本に話を戻して、エッセンシャルMBTIには、カウンセラーの特徴だけではなく、クライエントの特徴(例:INFPのクライエントは、など)についても触れられていて、読んでいてとてもおもしろいです。
余談になりますが、カウンセラーにはINFPが多いのだとか。それは INFPがカウンセラーに向いているという意味ではなくて、INFPの人が対人支援職を好みやすいということ。その他のタイプのカウンセラーで活躍されている方も多くいらっしゃるはずで、誤解があってはいけないのが、MBTIは
・能力をはかるものでも
・タイプによって優劣があるものでも
・職業の向き不向きを見極めるものでも
なく、あなたが(わたしが)
・どのように情報を収集するのか?(知覚機能)
・どのように結論を導いているのか?(判断機能)
など、個々人に備わっている心の働きについての情報を提供するものだ、と教わりました。
先天的な性格 or 後天的な性格
先にも書きましたが、検査の結果をきかっけに心的機能(知覚機能 や 判断機能)をワークを通じて自己洞察しながら、受検者のキャラクター(先天的な性格)or ペルソナ(後天的な性格)について考えるプロセスを、MBTIはとても大切にしています。
▶︎キャラクター:もって生まれた先天的な性格
▶︎ペルソナ(パーソナリティ):後天的に身に着けた性格
生まれもったキャラクターと、社会に適応するために身につけてきたペルソナが、 相互に作用して心が成長していくとユングは言いました。
「自己理解」って、キャラクター?ペルソナ?
世の中を見渡せば、あちらこちらに多種多様な自己理解のツールやセミナー、そのための解説が盛り沢山です。特に学生さんは就職活動のタイミングで、 自己理解に努めましょう! と言われるのではないでしょうか。そんな私も数年前、とあるツールを使って大学で自己理解を支援する授業を担当していたことがありました。そのときに焦点が当たっていたのは、そういえばコンピテンシーだったなぁ・・と懐かしみます。
どんな人でも、一度ぐらい自己理解をしようと意識的に試みたことがあるかもしれません。そのとき、どんなふうに自己を理解しようとしたでしょう。キャラクターを理解しようとしたのか、ペルソナを理解しようとしたのか、はたまた両方だったのか。どうだったでしょうか?
多くの場合、 性格理解はペルソナに力点がおかれがちと言われます。 もちろん、ペルソナが悪い というわけではありません。集団(家族・友人・学校・職場)において社会生活を営むため、受け入れられるためにペルソナを育てることが優先されてもおかしくありません。 むしろ、それが自然なのかもしれませんよね。
突然ですが・・・
私はキャリアコンサルタントとして仕事をしています。キャリアコンサルティングでは、クライエントの自己理解をお手伝いすることがありますが、私の目の前に座ってくださったときには、自己分析や自己理解をたくさんされてきたあとで、自己効力が下がってしまった、どうすればいいかわからなくなってしまった、と話されるクライエントに多く出会ってきたのも事実です。
自己理解のおかげで、「わたしはこんな(例えば何もできない、つまらない)人間なんだ」 と思い込まされ、身動きが取れなくなることもしばしばある気がします。そんなとき、自分をどう捉えているかを紐解くと、次のようなことが側面として言えるのかもしれません。それは、ペルソナを理解して、他者との比較をしている、です。あくまでも可能性の範囲ではありますが、まずもって何のための自己理解なのか、自分の役に立てるどころじゃなくなっている自己理解ってなんなのか?と思わされることが何度もありました。
MBTIはタイプ(類型)論である
他者と比較してエネルギーが出ることもあるでしょう。それも否定はできないことですが、自信を失ってしまうかもと分かっていながら、自分より優れていると思う誰かとついつい比較してしまうのは、どうしてでしょう。
それは、私たちが小さな頃から慣れ親しんでいる物の見方、捉え方にヒントがあります。特性論という考え方で、データを見聞きして育ってきたからです。身長、体重、テストの点数などは、特性論で処理されています。その特徴は、他者との比較です。
一方、MBTIはタイプ論。MBTIが光を当てているのは、持って生まれたキャラクターの自己理解です。こうやって書いているだけで、自分がいかにこれまで他者との比較ばかりして落ち込んできたかを思い出します。だからこそ、もっともっとタイプ論を理解していきたい熱い想いが湧いてくるのです。
・・・とはいえ、ちょっと疲れてきたので、今日はここまで。次は、特性論についてをさらにアウトプットしてみようと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました!またよかったら遊びに来てくださいっ。