ホンモノの自分?ありたい自分?
こんにちは、いなっくまです。
本日は、「ホンモノの自分?ありたい自分?」というトピックについて考えをまとめてみたいと思います。
最初の質問ですが、あなたは性格検査が好きですか?
・どんなことでも最後までやりとげないとスッキリしない
・どちらかと言うと、しっかり考えをまとめてから動き出すほうだ
・仕事で感じる違和感は放置せず、はっきり意見として言うことが多い
といったような質問がたくさんあって、そう思う、あまりそう思わない、と回答していくアレです。カジュアルなものであれば無料アプリで診断できるものもありますし、シリアスなものであれば採用や配置転換に活用されています。個人的には、無料アプリのものは誰かがSNSでアップしていると、こっそりやってみたりしています(笑)。思ったより当たっているなぁ、といつも感心してしまいます。
さて、2つ目の質問です。
皆さんは、「ホンモノの自分」で回答していますか?それとも「ありたい自分」で回答していますか?
実は、私は回答する時にこの境界線がわからなくなることがあります。「自分のキャラ」と想像しながら回答していくのですが、そのキャラが偽りのない「ホンモノの自分」なのか、周囲に認識して欲しい「ありたい自分」なのかがわからない感じです。私は、先ほどの質問例でいうと「どんなことでも最後までやりとげないとスッキリしない」には迷わず「非常にそう思う」を選択するのですが、これは自分に本当にそういう性質があるのか、周囲にそう思って欲しい(≒そうあるのがカッコいい)のかがわからなくなってしまいます。・・なんだか書いていてややこしくなってきました(笑)。
誤解のないように補足しますが、シリアスなシーンで活用される適性検査は本人の志向性を知るためのものなので、どちらの自分であっても結果に意味はあると思っています。ただ、自分のキャリアを考える上ではこの2つはごっちゃにするのは危険だとも思っています。「ホンモノの自分」は自分がキャリアの舵を握っていますが、「ありたい自分」はキャリアの舵を他者に預けてしまっているようにも思えるからです。だから、ありたい自分をベースにキャリアで大切な意思決定をすると、遅かれ早かれしんどくなってしまう・・のではないでしょうか?
でも、なんで「ありたい姿」がキャリアの舵を他者に預けてしまうことになるの?
ここで言っている「ありたい自分」は、他者からの期待やフィードバックから生まれます。1つの集団(コミュニティ)では役割があり、そこに期待が生まれます。上司だから難しい意思決定をして欲しい=的確な意思決定ができる自分でありたい、といったような感じです。ただ、ここに1つの問題があります。それは、当たり前のことですが、期待が1つのモノサシに偏ってしまうということです。
期待が偏ってしまうと、その期待に応えることが全てになってしまい、周囲からの期待に応えられる自分が「ありたい自分」になってしまいます。そして、その期待に応え切っている自分が「ホンモノの自分」だと考えてしまいます。これは、他人起点で自分を決めている、ということになってしまうのではないでしょうか?私は、この状況を「キャリアの舵を他人に預けてしまっている」と感じています。
ではどうすることが、自分がキャリアの舵を持つことなのでしょうか?
そのキーワードは、「運動量(モビリティ)」だと思います。1つの集団(コミュニティ)から飛び出して、いくつかのコミュニティに関わると他者からの期待も変わります。ここのコミュニティではおとなしい人が多いからリーダーキャラを期待されるけど、あっちのコミュニティでは議論がとっちらかることが多いからサポートキャラを期待される、といった感じです。そうすると、色々なモノサシに触れて、その中から自分にしっくりくるモノサシを選ぶことができるようになると思います。
一方で、どのコミュニティでも変わらない共通の自分キャラも見えてくると思います。どのコミュニティにいても、自分は違う角度から意見を言うことにこだわっているな、みたいなキャラです。きっと、これが「ホンモノの自分」であり、それを見つけて大切にすることがキャリアの舵を自分で持つということなのではないでしょうか。これは、1つの場所で1人でじっくり考えているだけではわからないことです。自分が参加してみたいな、と思えるコミュニティに実際に参加してみて、何かやってみて、初めて考えることに意味が出てくるのだと思います。
皆さんの性格診断の回答は「ホンモノの自分」ですか?「ありたい自分」ですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。今日は「ホンモノの自分?ありたい自分?」というテーマで書きました。今回の記事が自分に合った「キャリアの描き方」を見つけるヒントになれば嬉しいです。
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