I-14)初めての転職を前に
こんにちは。今日も読んで下さり、ありがとうございます。
2年制の学校を卒業後入社した会社を退職&転職することになった理由は、前の記事で書いた通りカラダの不調や社内結婚だったこと。でも、やっぱり給与によるのが大きかったかな。バブル経済期でもあって、私の実力などさておくにしても、転職することのほうが会社にとどまり、毎年の微々たる(数百円程度の)昇給率を待つよりは確実だし魅力的だったので。自力でなんとかしないと、住む家もですが、何しろ全てのモノの値段が高く感じられた頃でした。
そういえば、退職間際に社長に呼び出されまして。当時、私によくして下さっていた社長秘書が私の退職を残念がってくれていたため、設定して下さったのだと思います。外資系企業ではよくある退職者への面談(Exit Interview)ですが、当時はスタンダードプロセスでもなかったのに。アメリカ南部から来て、カウボーイハットもよく似合っていた社長から、Why? なぜ辞めるのか、と聞かれたため、私はこう答えたのです。
「Full timeのhousewifeになりたいので」
誰から聞かれた時も、そう答えればたいていの場合、あ、そうなのね、と数秒で済んでいましたし。でも社長には「本当のことを言って欲しい」と言われました。ならば誠実に答えなければ、と思って、because of my salaryってちゃんと言いましたよ。
当時会社には外部のコンサル会社から幾人か人が来ていて、意識調査など徐々にすすめていたところでした。私のこのヒアリングもサンプルの一つになったのかもしれません。ま、その後会社がどう変わろうと私にはもう過去、前を向いて歩きだしました。
その頃書店で「国際秘書への道―オフィスで輝く女性になるために」という本を偶然手にしました。著者は石川愛さん。当時大手外資系生保の秘書でいらした方。確か当時既に日本秘書協会の理事をされていた方です。その本で、CBSを知りました。Certified Bilingual Secretaryという、日英語を使って仕事を一定レベルでできることを認めてもらえる資格です。この検定試験に合格すると、転職に有利になるかなと考えたのです。
この試験のために週末講座に数回通いましたが、本当にもりだくさんで奥の深い学びの数々でした。マクレガーのX理論・Y理論とか、マネジメントとはそもそも何か、とか。当時の勤務先では、ひとたび配属されてからは、ほとんど研修の機会はなかったので、自分にはものすごく刺激的だったのを覚えています。いくつかある試験科目のうち、In-Basketも感動的で、筆記試験でいながらリアルな秘書の日常業務を試されるものでした。上司の期待に応えて、次々に仕事をどうこなすのか試されるものです。そこへ取引先からの訃報が入る、という設定が与えられ、適切に手を止めてその弔辞の手配を最優先にするべく判断と処理ができるか、といったことを試すなど。勤め人として極めて常識的なことでも、当時は若くて未体験のことも多かったので、試験勉強はそのまま自分の業務遂行能力の向上に役立った部分もあり、資格取得の挑戦が本当に有意義でした。
おかげで無事試験に合格し、この資格を手にしましたが、この試験への挑戦で得たもっと貴重なものは、人との出会いです。講座の時?または試験当日どちらだったか忘れましたが、昼の休憩時間に話をしたことで親しくなり、その後今でも30年以上お付き合いを続けて頂いているY子さん。私が転職を考えている旨を彼女に告げたところ、ひとつアドバイスを授けて下さったのです。それは、私が次の数年間に出産するつもりがあるのか、とか、そういう可能性があるのだから、そういう視点もふまえて次の会社選びをする必要があるよね、ということでした。単に給与など条件がいいとか、自分が没頭できる刺激的な職場であるとか、決してそういう観点だけで次の職場を選んではダメだというのです。
Y子さんは私より5つ以上年上。へー、そうなのかな、と全然自分ごととしてハラオチしなかった私ですが、それでも彼女から、さらに具体的に、「こんな質問を、面接に行った時に聞いてみては?」と伝授頂きました。自分とは勤め先も異なる彼女でしたが、私のために親身に色々言って下さったのでした。明確にすべきことを教われたおかげで、私はちゃんとそれを意識して、面接試験を受けました。その質問とは、
「子供を持って働いている女性社員の方は(何人)いらっしゃいますか」
と聞くこと。今では女性活躍推進があたりまえの風潮で、これを読んでいる人はみなお笑いになることでしょう。今では会社四季報や企業のHPなどで、どんな情報も得られることでしょうから。しかし当時はまだインターネットもないし、そもそも男女雇用機会均等法は施行されても名ばかり、といえてしまう時代。なるほど、そうか、その会社を知るにはそういう質問に対する答えが大事なんだ。女性にとって、出産後も子育てしながらも働き続けるのが可能か、少なくとも、少しでもわかるかな、と。これはなかなかいいことを教えて頂きました。
つまり、これって「出産しても働き続けることができるでしょうか」と直接聞かないですむのです。そんなこと採用面接で聞いたら、それだけで採用されないと思われた時代でした。
ちなみに当時の状況ってこんな感じ。独立行政法人 労働政策研究・研修機構のデータをご覧ください。1990年代前半に逆転するまでは、夫婦二人で共に稼ぐという共働き世帯のほうが、全然マイノリティだったのですよ。
当時は銀行や証券会社など、外資系金融機関の空きポジションもたくさんあり、私も、ともすればそういう給与水準が極めて高かい、けれどもそれなりに猛烈に多忙な秘書職という選択をすることもできました。がしかし、Y子さんのおかげで、自分の数年先も、ほんとにうっすらながら考慮して、すすむ道の選択をしていく重要性を教えて頂いたのでした。当時は両立とか、長期的なキャリアといった視点が、自分に一切なかった頃のことです。
この視点は次の私の職場選びをおそらく適切なものにし、その後長い期間にわたり私が就労を続けることができた、重要なきっかけになったものと思います。
Y子さんには今でもとても感謝しています。